ありそうな話
カタルーニャ地方の中世修道院遺跡
カタルーニャ地方の文化
美術資料によると、ピレネー山脈のスペイン側山麓には大小の修道院や、町や村の聖堂が点在する。今世紀初めこれらが廃墟と化し中世の遺産が破壊散逸の危機に瀕したが、積極的な保存運動が起こり、かなり崩壊した聖堂まで徹底的な修復や復元が行われた。ただし、壁画は、高度な技術を駆使して壁面から剥離し美術館に移管修復されこの場所には無い。バルセロナのカタルーニャ美術館はこれらを保存するのを主な目的として作られたものである。
現在、この地方に散在するこれらの歴史的建造物は観光施設として整備され、規模の大きなものは国営のホテル「パラドール」として運営されているものもある。
写真の、古代ロマネスク様式の宗教画は、1039年に完成され、16世紀まで続いたクリスチャンの僧院跡に、当時の教会での食事様式を知る資料として展示されていたものを写したもので、原画は、11世紀末のものと思われる(最後の晩餐か?)。
この僧院は、深い谷に突き出した山の尾根の先端に位置し、現在では谷がダム湖になり、半島の様になっている。晴れた日には雪を被ったピレネーの峰が望まれる風光明媚な場所であるが、今日でもそこに到達するには、駐車場から狭い岩の間を30分ほど歩く道しか無く、当時は谷から登ってこのような規模の建造物を作ったと考えられ、宗教の力の程が偲ばれる。
以上は画像に関連した説明ですが、観光施設といっても、他のヨーロッパ各地と同様に、これらの場所を訪れるには自分で運転する車でしか方法がありません。九月初めはまだ観光のハイシーズンであり、この地域ではパラドールに2泊の予約しか取れなかったので、残念ながら、ごく一部を垣間見るだけでした。
今回の旅では、イベリア半島の複雑に交錯した特異な文化の流れを残す遺跡を3週間ほどかけて回りました。特にイスラムとキリスト教文化の結びついた独特の美術など、都会の美術館では見られない建造物あるいはその遺跡を見ることができました
スペインは高速道路網が整備されていて、各都市間を短時間に移動することが可能なので効率的に旅をすることが出来ました。車の走行距離は全行程で三千キロ足らずでしたが、残念ながら、この程度の期間では、サラマンカやサンティァゴなど北西部まで足をのばすことは出来ませんでした。
老後の生活設計
老後の生活と公的介護
最近在宅ヘルパーが認知症の老人の預金から4千万円横領したというニュースを見た。
高齢者のかなりの人々が高額資産を持っているのは周知の事実である。
私たち高齢者にとって介護制度の充実はありがたいが、日本の社会全体の経済バランスから高齢者問題を考えてみよう。
先ず、日本の個人資産の総額は1400兆円ほどあるといわれていて、60歳以上がその資産の半分以上を所有している。総人口に対する60歳以上の人口比は20%ほどだから高齢者の個人あたりの資産は非常に大きいものといえる。
世界的に展開しているイギリスの金融グループHSBCが行った主要各国の意識調査によると、老後の資金準備として「特に計画なし」の回答が日本では67%、それに対し、カナダ0%、アメリカ18%となっていて、日本人は老後の準備をしなくても、預貯金や年金、公的支援で老後を過ごせると思っている人が多いと解釈されるが、この結果を、日本人は老後も働きたいと思っている人が多いのも一因であるとの分析をしているという。
しかし、我々現役の高齢者の本音は、上記のように資産家であるのにも関わらず、個人資産や預貯金は老後の安心のための保障であってそれを食いつぶすことは考えていない。年金と公的介護だけで老後をつましく過ごそうと考えているのである。
老後の生活のために預貯金を計画的に使うことは、人生の終わりが何時来るか分からないので不可能だという心理は当然であり、結果的に、たくさんの資産を残してこの世をおさらばし、相続税と被相続権者に残すことになる。相続税は社会に還元されるが、本来自己資産でまかなうことが出来る経費を公的介護に頼り、その社会負担分が相続資産に含まれることになる。
公的介護の費用は、約17%が自分の介護保険料でまかなわれ、83%が税金や、医療保険でまかなわれているのが現状のようだ。
社会的公平性を考えると、高齢者が死亡したとき遺産があれば、その中から、その人が生前公的介護に使った費用を返還するというのはどうか。こうすれば、高齢者も生きている間は自分の資産は減らないから不安も無く、また資産の貯えが無いのに長生きする不安からも解放される。
この意見は荒唐無稽な話だと思われるかも知れないが。公的支援が無かったほんの少し前までは、高齢者に資産があるなしに関わらず家族が介護をしたわけで、この負担が大きすぎ現代の社会情勢には合わなくなっただけであり、本来は自分の老後は自分の資産でまかなうべきであると考えれば当然のことである。
自然災害と援助
自然災害と援助 アメリカの場合
今回のカシミール地方の地震災害に対し国際社会はすばやく援助の行動を始めている。インドネシアの津波災害のときも人道的援助活動に力を入れた。
それに比べると、ニューオリンズのハリケーンカトリーナ災害においては、援助の初動体制が余りにも遅れたことを指摘され責任問題になっている。この原因を、アメリカ国内の人種差別が原因のように云う人がいるが間違いと思う。
カトリーナの場合、事前に災害が予測され、ニュースメディアは何時間も前から特別番組を組み、避難命令も出ていた状況で、経済的理由で避難するすべの無い人たちがこんなに多くいたことを一般のアメリカ人は始めて知ったのではなかろうか。また、行政も、避難する交通手段を始め、避難場所や食料まで世話しなければならない状況を想定していなかったと思う。
一般のアメリカの社会は、自己責任と個人の信用で成り立っている。可能な場合、自分の生命や財産は自分で守る、そのためには、教育を受け、職業を持ち、納税者番号の保持者で、銀行に口座があり、クレジットカードと或る程度の保険に加入していることが最低の市民の条件であろう。このような社会の成り立ちを無視して、カトリーナの災害において危機に直面した人たちに黒人が多いからといって人種差別だけが原因のように見るのは間違いである。
地震のような、予測不能な災害の場合であれば、被災者の援助活動は、政府の組織や軍の機動力を駆使して最大限迅速な援助が差別なしに行われたと思う。
或るアンケート調査によると、低所得者層でも、高額所得者の所得税を重くすることに反対の意見が出てくると云う、アメリカ人は何時かは高所得階層になれる可能性を信じているのか。また、社会に所得格差が出来るのは本人の自己責任で、それ自体が悪であると決めてかかっていないようにも見られる。
ノーベル賞
ノーベル物理学賞と平和賞
何のかかわりも無いと思うが、物理学賞はアインシュタインが特殊相対性理論と光量子仮説を発表した1905年より100年目にあたり、平和賞は日本が原爆を投下されてから60年目の節目を意識した人選のようにも見える。
この二つの年の共通点を探すとすれば、この両方とも原爆と深いかかわりがある。アインシュタインは、質量とエネルギーの互換性を最初に導き出したのと、量子論の基本となる光量子説の提案により、原子核エネルギーの解放に関する理論的根拠を与えた。今回の受賞者の一人 Roy J.Glauber 教授は原爆とは関係は無いが、光と物質の相互作用についての基礎理論を発展させた。アインシュタインは第二次世界大戦末期に、ナチが原子爆弾を完成する可能性を考えてアメリカ大統領に原爆開発に関する手紙を出したことも有名である。
アルバラダイIAEA事務局長は、査察の結果イラクに核爆弾がある証拠が無いことを言い続けた人である。
自然科学の受賞者に比べ、平和賞は相変わらず、国家権力の暴走を食い止めるべく努力した人の評価と将来の働きへの期待観を免れない。人類は、古代ローマ時代から相変わらず権力闘争を続けている。
物質と光の相互作用 光の持つ情報
憲法改正の国民投票法案
与党と、野党の案の骨子を見ると、与党案は、周知期間を短くし、その間報道管制を敷き、原案に賛成か反対かの一括投票とし、原案の一部でも異論を表明する議員は反自民党員として議論を封じ込める。メディアの反対報道は、虚偽報道として取り締まる。このような意図が見え隠れするように思う。
海外在住の皆さん
6日より国会での議論スタートとの新聞記事を見ました。
今回も、海外在住の皆さんの投票が手続き問題で実質不可能にならないよう、具体的な運動を海外在住方々が連絡を取り合って始められるようお勧めします。
与党案では、周知期間の最短を30日としているようで。報道規制をかけて出来るだけ短期間に、情報コントロールが出来る有権者だけで投票を済ませようとする工作が見えています。総選挙では、運動期間中立候補者のWebページの新しい書き込みが凍結されていたことをご存知でしょうか。
小泉大統領の郵政民営化の代議員選びの選挙
ちょっと古い話になるが、他のブログにコメントした内容の記録のために。
今回の選挙は郵政民営化の国民投票と位置づけた小泉さん、そうならば否決されましたよ。
毎日新聞12日発表の推定によると、自民党は有効投票数の47.8%、この中で、自民党員で民営化案に反対している人を自民党票としてカウントしているかどうか記載されていないので分からない。また、非自民で民営化案に賛成している人もあるかもしれない、何れにしても微妙な結果である。
小泉大統領の郵政民営化の代議員選びの選挙と位置づければ(現実にはそうだが)圧倒的に信任されたこととなる。
郵政の改革を、国鉄や道路公団改革と比べる人がいるが、こちらは改革後もいわば日本だけの鎖国状態で、国際的には非常識な料金でも運営できるが、金融の民営化は国際金融と一体化することであり、大きな違いがある。