思考能力の欠如した人たち、人は例外なく老いて行くという実感を持たない世代
上のグラフは日本の敗戦年代1940年から10年毎の労働人口(20歳から60歳まで)を基準にして、養育・教育世代(0歳から20歳)および高齢離職後の世代(60歳以上)の人口比をグラフにしたものである。
1940年代では 労働人口(現80歳~120歳になる世代)とほぼ同じ人数の次世代人口を養育していた事が分かる。以後指数関数的に養育・教育世代の割合が減少し、労働世代の負担を減らしている。逆に高齢者人口が増加し2000年でこの関係が逆転している。ここまでを理解するには思考能力は必要ない。
現在の中堅エリート官僚が提案している各種社会政策の立案に、思考力不足が懸念されるのは、高齢者人口の増加だけに目が奪われて、間もなく自分たちがその構成員になることに考えが及んでいるのだろうかと云う疑問である。
自然と「蟻とキリギリス」の童話の連想が浮かぶ。少数の蟻しか育てなかったキリギリスもやがて老齢の冬が来る、餓死するしかないのか。イソップ物語の解釈はいろいろあるようで、最も残酷な解釈は、「蟻は冬になって餓死したキリギリスを食べた」と云うのが世界の大勢の様だ。年金積み立ての食いつぶしはその前兆か?
データーソース e-Stat 政府統計の総合窓口・長期時系列データ・我が国の推計人口 http://www.e-stat.go.jp/
世代別生涯サイクルと日本のGDP
GDP: 国内総支出
世代を10年ごとに区切って、それぞれの世代について、成長・教育期のGDPと生産活動期間のGDPを比べてみた。人生第一段階の0歳から20歳までのGDP総額は、一方的にサービスを受けた期間の社会環境の状態を表す指標として、20歳から60歳までの40年間は、GDPを生み出した活動の期間として比べてみた。右の図は生産期間の総GDPと生育・教育機関の総GDPとの比で、もし全期間にわたってGDPが一定ならばこの比は2.0となるはずである。
これで見ると、2000年に60歳以上となった現退職者世代は際立って日本の経済活動の向上と社会資本の蓄積に貢献してきたことが分かる。また、現役世代40歳以上は20歳までに社会から受けた経済的恩恵に恵まれていた事がうかがわれる。
GDPデータは内閣府*のデーターベースによるもので、期間1955年ー2000年のものを用いた。したがって、データ期間が不足するので、右下図のように、GDPの対数時系列の回帰直線を用いて外挿することにより1940-2020年までのDPG時系列を 作成した。1945年日本の敗戦時には、社会資本はほとんど無いに等しいと思われるがこの期間は1955-1972年のトレンドで外挿し、2000年以降は1990-2000年の回帰直線で外挿した。いずれの場合も上限値として見た場合それほど誤りはないように思う。
現在、高齢者医療保険など高齢者の社会制度について、計画・立案した現40歳以上の高級官僚の皆さんは、自分たちの恵まれた成長期とその後の社会貢献の実績について考えてみたことがるだろうか。
このような社会現象について研究をした経験がない上に、すでに知られている文献を調べたわけでもなく、データソースも詳しく検討していない、世代別の人口変動の効果も気になる、いわば思いつきのこのような分析の手法が社会科学としての欠陥のある恐れはあるが、一人の老人の現実的な感覚とはよく一致しているように思われる。
*データ・ソース: 統計情報・調査結果・内閣府・国民経済計算・旧基準計数・概要項目別時系列表・実質暦年ファイルより。 http://www.esri.cao.go.jp/
雨後のアスパラ
新しい道路交通法の変更で、今まで任意であった高齢者マークが強制になるようだ。70歳以上だという標識を公示しながら道路を走らなければ違反になる。こんな規則はプライバシー、憲法で保障された差別のの無い市民権の保障に抵触しないだろうか。
日本の警視庁の報告でも、科学的に詳細に分析された世界の先進国の統計でも、高齢者の運転危険率は他の年齢層と殆ど変わらない。先進国では、高齢ドライバーの人数が急激に増加しているのでそれに比例して高齢者の運転事故が目立つ様になっただけである。この事実は、警視庁でも認めているにもかかわらず、事件好きのメディアを使って一般に対して高齢者は危険な存在のようにキャンペーンし、こんな規定を作らせたとしか考えられない。
70歳以上の女性なら、年齢を知られたくないと思う人権を無視して良いと云うのだろうか、独立して事業を営んでいる人が、老人マークをつけた車でお得意さん回りをしなければならないことにもなる。自爆テロを見つけるためにはある程度のプライバシーを犠牲にしてカメラなどで監視しなければならないが、老人だというだけで、この車は危険な運転手が運転していると云うマークを表示しなければならないというのは、ドイツ・ナチ時代のユダヤ人マークを連想する。こんなことを提案する思考力欠如の官僚がどうしてこんなにも多くなったのだろうか。言い訳のうまい官僚は、老人を保護するためだという答えが返ってくるのは言うまでもないが、それなら現在と同じように任意ではいけない理由にはならない。
こんな法律が決まる過程を考えてみると、今問題になっている後期高齢者保険法を多数決で決めた議員の何割が理解していたかが疑われるように。官僚が出してきた法案に一括して手を挙げただけでは無いだろうか。まして、高齢者がこんなことを勝手に決められたことを知る由もない。法律家の法理論上の意見を聞きたい。
朝日新聞記事「高齢者の運転」を読んで毎回感想を送ったメールの記録
高齢者の運転1 高齢運転者の人身事故 4月7日、2008年
相変わらず「高齢者の交通事故が増えている」という結論。こんな無責任な認識の警察やマスメディアは高齢が故の差別をしていることに気付いてください。外国の統計しかありませんが、高齢者にとって道路歩行や、公共交通機関の利用が自動車運転よりもっと危険であることがはっきりしていなす。
今日の記事にも高齢者の事故件数だけの年次グラフが出ていますが、高齢者の運転者数は示されていません。ニュースメディア的には、事故数が多いこと自体が社会的関心事だというのでしょう。警察もやはり昨年に比べて(他県に比べて)事故の絶対数が多いか少ないかだけに関心があるということでしょう。高齢者人口の割合が増加する現在、高齢者の運転を排除すれば事故数が減り交通の安全が確保されたように見えるのは当たり前です。
しかし、本当に高齢者は運転危険層でしょうか? 警察庁の2007年2月の報告では、人口10万人当たりの事故率が発表されていますが、高齢者の事故率は他の年齢層とほとんど変わりません②。 ただ日本の警察庁の公的なデータは分類が不明確で、アメリカや、ヨーロッパの各公的機関のレポートに比べ、おおざっぱで、たとえば、遭遇した事故が運転者なのか同乗者なのか、普通乗用車なのか、軽乗用車なのか、信号の無い地方道なのか、事故形態が単独事故なのか、車対車なのか、車対歩行者なのか、それから、年間走行距離に対する事故率など、統計的分析に必要なデータが公表されていません。先ほどの警察庁のデータでも原付以上となっていて本当のところはわかりません。また、死亡事故に関して見れば、高齢者は同じ規模の事故の場合、致死率が他の年齢層の3倍以上であることを警察庁も認めているように、自動車先進国の欧米ではこの事実は既知の常識です。日本ではいまだに単純に高齢者の起こす死亡事故激増などというニュースが目立ちます。
今日の記事にあるように、地方に住んでいる高齢者の生活の質を確保するためには高齢者自身による運転が欠かせません。警察に言わせれば、それは我々の業務ではありませんということでしょうが。統計的分析で、対社会的に危険層でもない高齢者が増加して事故の総数が増えたというだけで年齢差別をすることは、かつて、身体障害者という理由だけで運転免許を交付しなかった時代に戻った感があります。
確かに、高齢になれば、運動機能も、認知能力も落ちてきます、にもかかわらず、どの科学的な事故分析でも高齢ゆえに危険であるという結果が出ないことを承服できなかった時代がヨーロッパでも1960-70年代にありました③。このことは、安全運転は身体の反射機能だけでではなく、経験からくる予測能力が助けになっていると思います。もし反射機能が安全運転の重大な条件ならば若年層の事故率がもっと低くなければ説明がつきません。
高齢者の起こしやすい事故は、交差点での右折や、信号のない交差点の出会い頭の事故などですが、たとえば、日本の右折信号が直進を終わってから出るが、これを、直進停止の状態から先に右折させるようにすれば、直進信号が停止になった直後速度を上げて通り抜けようとする車の危険から避けられ、高齢者の事故を大幅に防げるのではないでしょうか。このような信号を取り入れているアメリカの信号の例を紹介します④。
免許人口を減らすことによって自動車事故の総数を減らすことだけでは、ますます増加する高齢者の社会生活が機能しないことになるという事実に注目をして総合的な取材をお願いします。
② http://www.npa.go.jp/toukei/koutuu41/20070228.pdf
③ http://www.internationaltransportforum.org/home.html
④ http://projects.kittelson.com/pplt/images/yel_solution.swf
高齢者の運転2 高齢運転者の事故の特徴は ? 4月8日
今日の記事は高齢者の運転人口が増加した(増加する)ことに触れていますが、高齢者が危険運転層かどうかを統計的に数値で表さなければ判断基準になりません。
高齢者の右折時や、無信号の交差点事故が多いのは、欧米先進国の報告書でも統計的に検証されているのに加え、高齢者は自動車の側面からの衝突で死亡する割合が特に大きいことが確認されています。アメリカでは、昨日のメールに書いたように左折信号など道路標識の研究と改善が行われています。ヨーロッパの交差点はラウンドアバウト方式がほとんどなので日本や北米大陸とは違いますが、高齢者の生活圏内の小さな道路の構造の安全対策の研究がすすめられています。
今日の記事にあるように、警察は高齢者の事故原因として、思い込みをクローズアップする傾向がありますが。運動機能や認知機能が衰えても統計的に事故の割合が少ない理由の一つとして経験からくる予測が大きく助けになっていると思います。事故が起こって初めて、ニュースや警察の記録に残り、予測は悪い原因と取られがちですが、事故を起しにくい原因の研究も大切と思います。OECD/CEMTには年齢より経験という言葉もあります。
警察庁の統計は、いろいろな点で、欧米自動車先進国の統計と異なった結果が出ていますがどこに原因があるのでしょうか。
わたくし事ですが、67歳で定年してから、74歳の昨年まで、毎年アメリカやヨーロッパでレンターカーを自分で運転して旅行していますが(合計2万キロメートル以上)日本と道路事情はそれほど変わりません。幸い事故にも遭遇していません。そこで感じた大きな違いは、日本の道路標識は運転に必要な情報があいまいで、不必要な注意や標語が氾濫していることです。たとえば高速道路に道路番号が付けられていない、東西南北どちらに向かうランプかの表示もない。一般道路では、急なカーブなどにアメリカでは通過可能速度の表示を数字で示しているが、日本では急カーブとか徐行とか漠然としていて運転に必要な情報にはなっていません。
お願いしたいのは、記者の方が、自動車先進国の道路を、飛行場から目的地まで単独運転したり、住宅地域周辺の道路安全策がどのようにされているか、実際に運転した体験のシリーズなども企画してください。また、1960年代以降外国で活躍し、現在日本に帰ってひっそり暮らしている方の意見なども掘り起こして紹介ください。日本が欧米と同じようにグローバルなビジネス環境になるためには、たとえば外国からの出張ビジネスマンが中部空港からレンターカーで豊田や鈴鹿市に行けるのが当たり前にならなければ、いずれ日本からビジネスが外国に移っていくのではないでしょうか。このように見てくると、交通行政は単に規制をかけて事故の総数を減らす手立てを考えるといった狭いことではないように思います。
高齢者の運転3 高齢者講習のアドバイス ? 4月9日
高齢者講習について。
県の公安委員会から高齢者講習の案内が来、高齢者講習実施機関のリストが送られてきました。
リストにある自動車学校に電話して指導員の資格を尋ねたところ 「安全運転中央研修所で高齢者講習実施のための資格を取得した者が講習を担当します」とのことでした。特殊法人自動車安全運転センター安全運転中央研修所ではないかと思い、その内容を調べてみました。組織・役員の項を見ると役員名簿に、理事長:1972年警察庁採用 警察庁警備局長、 常勤委員:4名 警察庁2、自治省、財務省、非常勤5名は民間出身者とみられる、常勤監事:1名 運輸省出身 といった具合で、今問題になっている「天下り」機関のように見られ、調査研究の概要を見ましたが、お知らせ程度の内容しかなく、アメリカや、ヨーロッパの政府系研究機関と比べものになりません。
自動車学校指導員の教育機関の項目は見当たらなくて、それが運転技術レベルアップコースだとすると、理論600分のカリキュラムは項目だけの表示で、各種資格を出す各種学校や短大とは比較にならないと思いました。
高齢者講習を義務付けることは法律で決まっていることでもあるしそのこと自体は良いことだと思うが、民間の自動車学校が、教育資格もはっきりしない指導員の判定をもとに有料で証明書を出す、こんな制度が適法かという疑問と、民間の企業でありながら全国統一料金というのもおかしな話のように感じます。
昨日も書いたように、欧米の研究報告にあるように、運転の適性は年齢ではなく、殆ど医学的問題で、自動車学校が判定出来ることではないはずです。
今日の記事の取材内容にあるように、自動車学校では、反応時間の0.2秒の違いや、何の前触れもなく障害物を飛び出させてブレーキ操作を測る、こんな事が事故防止に重要な要因ならば、若年者の事故率が高齢者層より際立って高いことをどう説明できるだろう。70歳になったとき一度講習を受けましたが、20年前のゲームセンターにあったような機器で、医学教育をどこまで受けたか不明の担当員が評価するのを見て疑問を感じました。
警察には事故の結果のデータだけが集まるわけで、安全な運転はどのようにして守られているかのデータはなく、運転をしている者ならばだれでも経験したと思うが、相互事故の場合、どちらか一方がミスに気づき回避して事故にならない場合が圧倒的に多い、いわば運転ミスも、事故もお互い様である。この視点に立って総合的に交通安全を図らなければ、みんなが検察官になって事故が起こってしまってから、どちらが悪い悪くない、あるいは事故の原因だけに注目したのではよくならないと思います。
高齢者の運転4 運転の「自画像」正すには ? 4月10日
まず感じたのは。警察庁が実施した「高齢者運転に対する国民のイメージ調査」もしこれがこの記事で取り上げられただけの内容の調査ならば、こんなくだらない調査にどれだけお金を使ったか。調査の報告があれば調べてみようと思っていますが、見出しにある「・・・・甘い評価」は、はたして高齢運転者だけの特徴でしょうか。たとえば、運転を始めて10年以内の初心者、10年以上の経験者、男性運転者、女性運転者、などの区分で互いに他の区分の人たちの運転をどう思っているか。おそらくすべての層で自分に甘い結果が出るように思います。
自分も高齢者でありながら、信号の無い交差点や脇道から出てくる車を見て、高齢者や、幼児を乗せた女性、あるいは軽乗用車を見た場合、こちらを確認しているかを注意して、危険な場合避けられるよう用心します。別に腹立たしいとか、相手の運転が下手だとか思いません。ミスを起こすのはそれなりの理由があるものです、事故はお互い様で不幸な結果をどう避けるかが大切と思っています。
自動車交通の歴史が長い外国での経験ですが、運転習慣も規則も微妙に違う私は、軽いミスをすることは多々ありましたが、若年運転者は別として、ほとんどの場合相手はにこにこして待っていてくれます。多数国家のヨーロッパはもちろん、アメリカでも州毎に交通法規は決められています、微妙な法規の違いがあり、自分が正しいと相手を罵倒しても始まりません。無用な争いを避けて、お互いに譲り合って事故を無くすることが一番得だということを知っているからでしょう。
この記事に引用されたアンケートが、もし警察庁が、これから増大してくる高齢運転者を規制して日本の運転者総数を減らすことで年間事故の数を減らそうとしてのキャンペーンならば、こんな組織内だけの論理による無責任な行政はありません。
もうひとつ、言葉尻を捕らえるようで恐縮ですが、この記事の中に運転が「下手」「上手」という言葉が出ていますが、自動車先進国の今、運転の上手下手を意識するようなレベルではないとおもいます。 蛇足、私は運転は下手ですが、大きな事故に遭遇はしてはいません。
高齢者の運転5 認知症への対応は ? 4月11日。
今日の記事にあるように、認知症に代表される、脳生理学的な運転の不適格性の診断は大切ですが、欧米の文献でも決定的な方法が確定されていないようです。
前にも書いたように、警察主導の免許行政は、事故の際の目立つ事故原因の羅列だけで、それが一般的事実のように誤認されているということです。
たとえば、今日の例のように、家族がキーを隠すと暴れるとか、警察の助言に食って掛かるとか、それは事件になった警察の記録であって、高齢者全体の傾向とは言えません。このような極端な事例で、誤解されやすいキャンペーンが行われ、高齢者一般の尊厳を失わせ、人権に配慮のない、警察の片手間で行われている免許制度から、アメリカにみられるように 運転免許局? DEPARTMENT OF MOTOR VEHICLES(DMV)として独立させ、市民サービス機関として信頼ができる免許制度にする時期が来ているように思われます。
上の画像は、高齢者運転にに関する刊行物の表紙ですが、日本のだけが高齢者に対し敬意がなく、品位の無い表紙とは見えませんか。文書の内容もほぼこの表紙の印象と違いがないように思います。はやく先進国のレベルになってほしいと思います。
警察庁の「運転免許の関する懇談会 平成18年11月」 「高齢者運転に係る記憶力、判断力等に関する検査導入等についての提言」を見ましたが、書かれている内容の根拠を示す関連文献などの記述は一切なく、とても医学的な内容に基づいた提言とは思えません。
出来ましたら、私のブログも見てください。
URL http://space-glow.spaces.live.com/blog/cns!A841E9CE14183CB0!4034.entry
高齢者の運転6 周囲はどう支える ? 4月12日
阿久沢悦子 さま
ご苦労様でした。全部読させていただきました。またその都度メールを差し上げたのですがお読みいただいているかどうかはわかりませんが最後のメールを差し上げます。
高齢者の自動車運転は社会問題として重要であることは否定できません。ただ年齢で差別する安易な強制は人権問題であるとの認識が規制当局に欠如していると思わざるを得ないということです。特異な事例をあげて、高齢者を辱めるようなキャンペーン、こんなことが行われたのは欧米では1960年代末までで、それ以後は学問的に総合的な見地から高齢者運転に関する分析の必要が認識され、ちょっと調べただけでもこのことに関連した論文が多数書かれていたことがわかりました。各国の政府関係機関の刊行物はこれらの論文を参照しながら人権を考えて慎重に作成しています。それに比べると、“日本の独立法人系の組織は、天下り管理職と思われる人物をトップに迎えて、強権的独断的な「お知らせ」刊行物しか作っていないように見られます”、この私の言い方もいささか独断的とは思いますが。
本日の記事、認知症と車の運転。これは深刻な問題ですが、認知症の傾向には程度の差がありどこからが認知症かの判断、特にそれと運転の危険性の関連についての医学的な研究結果も専門家も十分ではないようです。また欧米に比べ、不適切な道路標識や紛らわしい警告、危険な道路の構造が放置されているのが気になりますが、それを改善するだけでも高齢者も含めて事故はかなり防げるのではないかと思います。今日の記事にもあるように車の安全機材の研究は日本では最先端にあると思いますが、アメリカの研究では、軽量車両に乗っている高齢者の死亡率が高いという報告があります、日本で、高齢者の利用が多い軽自動車が特に死亡事故に繋がり易いことも容易に推測されます。
いつかの機会に、安全工学、医学、統計学、社会科学などの科学的研究を背景にした取材により、高齢者の安全な道路交通に関する総合的なレポートをお願いします。
文章が至らなくて失礼なことが多々あったと思いますがお詫びします。
なお、朝日新聞の記事を転載するようなことはしませんが、テーマとそれに関して私が出したメールの文章の一部は日記形式で私のブログに書かせていただくつもりでいます。
朝日新聞の「生活」高齢者の運転シリーズ全6回の記事を読んで
朝日新聞の「生活」高齢者の運転シリーズ全6回の記事を読んで。最も痛感したのは、現在も正常な判断力と知見を持つ大多数を占める高齢者への取材が全く無かったことである。高齢者の尊厳や人権に無頓着、これは現役世代の思考力の欠如の一般的な表れともとれる。
最も大きな間違いは、高齢運転者が社会に危険と危害を与えているという前提である。日本でも、先進国でも科学的な交通事故統計分析の結果は、高齢者層の事故率は、基本的には他の年齢層と大差ないことを示している。先進国社会の共通課題として、急激な高齢者人数の増加がいろいろな社社会的困難に顕著に表れてきていることは事実で、高齢者を単に道路から締め出すだけで解決できる問題ではない総合的な対応を迫られる緊急問題であることは間違いではない。
取材では、高齢者に関する情けない「逸話」を断片的に綴り合せた記事が第2回まで続き、内容は主に警察庁やその外郭法人での取材のようだ。第三回は自動車学校の話、第4回は警察庁の65歳以下から集めたアンケートの一部だけを逸話的に取り出したものを話題にしている。5回目は認知症の話だが、医学的な軽度の認知症と運転の危険性についての取材は評価出来るが、書かれている数値データの事例数が統計的な結論を云うには少なすぎる。最終回では、高齢者の安全で実行可能な道路交通を確保することの必要性とその方策に関した取材と提言で、この内容は締めくくりにふさわしい記事であった。
天下の朝日新聞の記事をこんなにこき下ろすのは荒唐無稽、誇大妄想と思われるかもしれないが。その根拠は、OECDが2001年に発表した論文、 “Aging and Transport Mobility needs and Safety Issues” を読んでいたからである。OECDは日本も加入している組織で、その事業の一部に、交通関係の統一されたデータの集積や分析、シンポジュームなどを主宰している。総ページ数131枚のこの論文の結論の文章の一部を引用すると、「高齢者の運転の安全について最新のデータを詳細に科学的な分析を行い、それまで漠然と信じられていた、高齢者の運転についての、神話的な誤解を払拭し、高齢者が安全な交通の必要を達成できるバランスのとれた見解を、政策当局や、規制立案者、一般の大衆に、明確で客観的な情報を提供するよう試みたものである」と云うのである。警察庁その他の規制当局での取材と思われる逸話は、まさに、この論文で言っている「神話的な誤解を与えるもの」と言ってよいと思う。
OECDのこの論文がバイブルのように正しいと言っているのではない、科学論文を書いた人なら、この論文と、警察庁や外郭法人などの意図的で非科学的な各種文書を読んだ時、あまりにも知的レベルの違いを痛感するということである。
高齢者に対する欧米と日本のイメージの違い
上の三つの画像は、3カ国の高齢者の自動車運転の安全に関する刊行物の表紙ですがこれを見てどんな感想を抱かれますか。
上段はアメリカの National Highway Traffic Safety Administration (NHTSA) 。
左は 日本の財団法人交通事故総合分析センター。
右はヨーロッパ諸国を中心に先進国(日本も加入)協議機関 Organization for Economic Cooperation and Development (OECD)。
欧米の二つは、それぞれ若い頃の思い出や、豊かな老後の生活をイメージしているのに対し、日本の表紙の画像だけが高齢者を情けない危険人物として描いていませんか。こう見えるのは老人のひがみでしょうか。読めばわかることですが、この刊行物の記事の内容はほぼこの表紙の印象と一致します。
欧米のこの種の刊行物に共通することは、高齢者に対する尊厳や、人権と生活に配慮した品位のある記述になっているのに対し。ITARDAは警察の発表した事故原因記録を羅列しただけの非科学的な認識で、高齢者を道路から締め出そうとする意図が見える粗野なものです。
この種の文書作成には、科学論文を書くときと同じように、先ず国際的に流通している文献を調査したした上で、先進国に見合ったレベルで作成してほしいものと思います。
日本眼科学会のお知らせ 不安を隠せない
昨日に続き、IFIS(Intraoperative Floppy Iris Syndorome)と云う日本語用語を調べていたら、日本眼科学会のお知らせにたどりついた。IFISは”術中虹彩緊張低下症候群”と名付けられていた。それはともかくこの文書に、alpha-blocker(α1受容体拮抗薬)といわれる仲間の薬の使用上の注意を改訂し「白内障等の眼科手術時にみられる光彩の異変で、・・・及び「光彩の脱出」・・・・を特徴とします」とあり、このようなことが起こるとの報告があるを追記するとあった。
処方的には、前立腺の肥大症に伴う治療に使われる数社の薬の改定申請のようだが、主に血圧降下剤として循環器科で処方されるドキサゾシン(カルデナリン)も同族であるが昨日に問題にしたように、ファイザー日本からはこのような記載はない。
医学会のお知らせが製薬会社の情報を転載するだけのように見えるのは患者にとっては不安な気がする。またこのお知らせの改訂年月日が記載されていないのもこの種の文書の常識では考えられない。
独立行政法人 医薬品医療機器総合機構 とはどんな組織か ?
以下の順序を辿って医薬品名カルデナリンを検索した。
独立行政法人 医薬品医療機器総合機構、 医薬品関連情報、 医療用医薬品の添付文書情報(検索のページ)、 http://www.info.pmda.go.jp/ 注意画面に
① 注意事項: 「ここで提供している情報は・・・・・・・各企業において電子化したものです」、 添付文章内容については各企業にお問い合わせください。
② 「使用上の注意の改訂指示」反映状況について。 この情報は、厚生労働省から出された「使用上の注意の規定指示」をもとに・・・・・・・
カルデナリン 2008年2月18日改定版を見ると、白内障手術に関する注意事項関連は皆無であった。 この文書に添付されている主要文献リストは、1980年代 10編、 1990年代 10編、 2000年 1編、 2004年 1編。でこの薬は日本では1998年に審査に合格しているようなので、市販後のに発表された論文は2編だけである。
一方欧米のウエブでは、ちょっと検索しただけで、一般を対象とした注意書に、Pfizer 2007、Medline Plus 2007、 学会論文、Intraoperative Floppy Iris Syndrome (IFIS) に関係する論文: The Annals of Pharmacotherapy 2008. 2編、 Eye 2007.1編, Cataract & Refractive Surgery 2006.1編, SCIRUS 2006.1編 等に白内障手術に関する警告の記載を見ることができる。
こう指摘すると、おそらく監督者官庁は、「まだ確定していない新しい情報は医療現場に混乱をきたすから」 と言いたいだろうが、論文の中に、 この種の薬は2週間もすれば体内から出てしまうという記事もあるAnn. Pharm.2008。その上、血圧降下薬は何種類もあり、この種の薬を手術の前後短期的に服用しなくてもそれが原因によるリスクは、上記の論文を無視した時のリスクに比べて高いという理由は見当たらないように思われる。注意書きの ①は厚生労働省の外郭法人の、②は、製薬会社の責任逃れ、無責任さを露呈している文書と言わざるを得ない。
さらに、この独立法人のカルデナリンに関する文書の中の「有効成分に関する理化学的知見」の一般名に(doxazosin mesilate)とあるが、検索するとこの薬品名は見当たらない。ただイギリスのファイザー2007の文書に、mesilate を mesylateに改名するとあった。患者から見るとあまりにも無責任な文書であると思わざるを得ない。
手術の前4週間ほど、循環器科の主治医に言って、alpha-blocker 系の薬は一時中止してもらおうと思っている。
自転車3人乗り容認へ 警察庁
道路交通法の違反行為の事実上の黙認続行。 子育て中の母親の反発でしぶしぶ腰を上げる。 この件に限らず、規制によって交通量を減らせば事故数も減る、こんな無意味な法律や規制が無責任に行われていることの表れと思う。発足した検討委員会の写真を見ると、かなりの各界からの委員が集まっているようだが、おそらく警察庁の事務方が作った書類が配られ、あらかじめ予定されていた人の発言があって、1時間ほどでお開き、このPRのために、各委員に支払われる日当と交通費だけでもどれだけになるだろうか。
警察庁にかかわらず、医療行政なども、閉じられた各省庁の中だけの論理で、その結果が社会全体に与える影響についての予測や、責任は本来業務ではないといった閉鎖主義が、現在社会に起こっている様々な行政の矛盾や困難の根底にあるように感じた。