下のグラフは私が昨年4月2日に書いたブログ記事
福島第一原子力発電所の一連の事故を時系列的に纏めたデータベースは無いものだろうか。 «
で引用したニューヨークタイムスの記事のグラフである。
Radiation at Fukushima Daiichi Levels of radioactivity measured by Tokyo Electric Power at different points around the Fukushima Daiichi nuclear plant.
誰が見てもこんなグラフが憶測やでっち上げで書けるはずがない。間違いなく東京電力から出たものであろう。
日本政府や東京電力は、アメリカ政府機関にはデータ・ファイルを渡し、日本の被害者には秘密扱い、政府・各省庁のトップ管理職の決済を受けた報道機関用ペーパーのコピーだけを後出しで公表していた事実。この証言らしきものが今になってちらほら。
このことは、当時の信頼できる外国の報道内容を見れば、状況証拠として、昨年の3月末にはすでにわかってきたことである。
外国に支局を持つ大手メディアはこの事実を当然知っていたはずである。
憲法で保障された、報道・言論の自由。 巧妙に張り巡らされた政府・省庁の諸認可権の網、テレビ局を持つ大手メディアは、省庁のご機嫌を損ねることは出来なかったのであろうか?
自主規制という「談合」、日本のメディアでは、談合は犯罪ではなく、「談合破りが」犯罪となる数十年前の建設業界のように見た。
このようなことを書くと”偏向思想”のもち主のレッテルをな張られそうだ。
この一年に書いた原発災害の記事のタイトル数は115、 トータル表示回数は7,458回でした。
この1年間私が書たブログタイトルの内上位10位までの中で1タイトルを除きすべて放射線のデータ分析に関するものでした。
その総表示回数は3,686でした。そのほかホームページの表示回数4,255から読んでいただいたものもあると思われます。
主にデータ分析に使った文科省の空間線率データが昨年8月7日を最後に公表されなくなった。理由がわからないが、疑いは、放射線率が時系列的に下がらない地点が出てきた(かえって上昇?)この事実を隠すためのようにも思われる。
いずれにしても、このような災害で重要な科学的分析と将来の予測が大切であるが、無責にも政府・東電・マスメディア、いずれも徹底して沈黙を守って被害者にとって必要な情報を隠してしまった。この国の指導階級の哲学や正義のなさには絶望のほかはない。
やっと見え初めてきた福島原発危機の初動経過。原発現場の人たちの献身的な緊急対策がなかったら、日本は西日本と北海道に分割、関東・東北は人の住めない廃墟となった情景が視野に入ってきた。
東京電力の経営中枢が、福島第一原発を放棄、保守要員全員を非難させる意向を政府に打診、管元総理が東電本社に乗り込んで「怒鳴り散らして」やめさせたとかと言う”英雄談”はニュースになった。
今になって見えてきた本当のところは、東電や政府の命令系統と関係なく、現場の責任者 吉田昌郎所長の判断で海水による冷却の決断と、強い放射能瓦礫の中でそれに協力したチーム(大部分が下請け企業の従業員のようだが)、現場放棄の逃亡者もなく、自身の生命の危険を顧みない責任感と実行力により、最低限の災害規模の押さえ込みに成功したことである。
東京の偉い人たちは、放射線の恐れを知らない無知のなせる行為であったと言いたいだろうが。管理職のトップの人たちこそ、原子炉がどれだけの破壊的エネルギーを閉じ込めている装置なのか実感を持ってわかっていたのだろうか。
海外のメディアでは、第一原発の現場で働いた人たちを福島の英雄と讃えるものが多く見られるが、日本のメディアが取り上げないのはどこに原因があるのだろう。単なる文化の違いでは済ませられないと思う。
現場の保全を守った人たち全員の名を冠した記念事業として”国際的な人材による放射線医学を含む原子力安全研究所”を福島に作っては。
恥ずかしい 文科省のウェブ記事の一例
下のグラフは文部科学省のウェブ「積算線量推定マップ」PDFファイルの最後のページに添えられていたものである。
このグラフは、情報として何を意図して添付されているのだろう。たくさんの観測地点の凡例が書かれているがほんの数箇所を除けばすべて重なってしまって情報の意味を成さない。
このような場合、一般的方法として、強度軸を対数表示すれば全体像が見える。また、いずれにしても、こんなにたくさんの観測ポイントを重ねてしまっては表示の意味がなくなるのは自明のことで、本気で知らせようと考えるなら、重要と見られる特徴のある観測データを選んで特徴がわかるよう描くべきである。
文科省には失礼だが、このグラフは、中学生の科学研究で描かれたグラフなら、よく勉強しましたと「努力章」がもらえる程度のものでしょう。文科省は日本人の一般の理解力はこの程度、対数表示などわかるはずがないと思っているのだろうか。
強いて悪く憶測すれば、放射線放出はほんの数日で大部分の地点では見えないほど減少していると印象付けるための画像(風景)としての意図であろうか。
いずれにしても、国辱もののレポートであり、恥ずかしい。
http://radioactivity.mext.go.jp/ja/1750/2012/01/1750_011718.pdf
一輪咲いた我が家の白梅 3月1日
「計画的避難区域」 とは何だったか 何時発令されたのか 調べてみた
「計画的避難区域」及び「緊急時避難準備区域」の設定について
平成23年4月22日
原子力被災者生活支援チーム
2. 「計画的避難区域」及び「緊急時避難準備区域」とは
(ア) 計画的避難区域
① 基本的考え方
事故発生から1年の期間内に積算線量が20ミリシーベルトに達するおそれのあるため、住民等に概ね1ヶ月を目途に別の場所に計画的に避難を求める。
国際放射線防護委員会(ICRP)と国際原子力機関(IAEA)の緊急時被ばく状況における放射線防護の基準値(20~100ミリシーベルト)を考慮。
② 区域の範囲(詳細は別添参照)
飯舘村(全域)
川俣町の一部(山木屋地区)
葛尾村(20km圏内を除く全域)
浪江町(20km圏内を除く全域)
http://www.meti.go.jp/press/2011/04/20110422004/20110422004-2.pdf
4月22日に発令されたようだ。この地域の人々がすでに被曝してしまった線量を文科省のデータベースをもとに計算しグラフにしてみた。
文科省のデータは3月17にからであったが。3月15日に放射性物質の大量放出が始まっているので、近似曲線の外挿法により3月15日からの積算線量に0.6を掛けて、政府の主張する被ばく線量に換算して表したのが下のグラフである。
年間20ミリシーベルトどころか避難勧告の最終期限には3地点でこれをオーバーしている。ピンクの塗りつぶしが避難勧告の期間である。
文科省が発表したこの地点での20ミリシーベルトを超えた日付と年間積算線量の推計値はそれぞれ、津島沖中が(7月14日、38mSv)、手七郎が(3月27日、89mSv)、長泥が(5月10日、47mSv)、木椚平(3月21日、204mSv)となっている。
5月22日までの時点で、この地の人々は、政府の云う最大被曝限度の40%~200%をすでに受けてしまっていたことになる。
上記のグラフはリアルタイムで毎日発表されていた文科省のデータベースで作成したもので、避難勧告が出された時点以前、少なくとも4月当初にはグラフで見るように確実に予測できていたことである。この国の権力組織が、如何に事実を知ろうとしない無責任な体制であったかが分かる。
追記: 2011年7月7日の私のブログ記事
文科省のデータベースを用い 日本各地の空間放射線率の初期時間変動グラフを描いてみた « に用いたグラフを再掲します。
これで見ると、浪江町赤字木手七郎、飯館村長泥の空間線量は福島第二原発のモニター値より大きかったことである。また放射性核物質の爆発的拡散は3月14-15日の日付の変わり目ごろより始まり、各地の汚染も15日早朝には始まっていたことが分かる。
計画的避難区域 現在の空間放射線率が十分の一に減衰するまでの年数は?
文科省のデータベースから大まかに言えることは、一部の地点を除き、高汚染地域で、現在の放射線率の1/10であれば居住できると思われる。
昨日書いたブログに引き続き、視点を変えて、高線量地域で放射線率が現在の1/10となるまでの年数を計算してみた(1/10減期)。
解析のキーとなる現在の放射線率のデータが十分得られなく、今年の1月、9,10,11日の3日間の平均値だけである。したがって昨年8月の5,6,7日のデータの標本偏差値を用いて誤差の評価をすることとして計算した結果が下の表である。
もちろん高線量汚染地で居住するには、常時線量モニターで安全を確認してのことであり、上記の表は、いつ頃から居住を考えてもよいかの目安となればと云う程度のものである。
いずれにしてもこの地域の居住者にとっては、危機的な災害であり、戻れないことを想定して、ダム工事などと同様に住民の移転(職業補償も含め)を開始すべきである。更に、この地域の住民は、避難勧告が遅れたため、すでに数十mSvを被曝してしまっている人も多いと見られ、これで見る限り、子供を含む若い人たちは帰郷して居住することは事実上不可能であろう。
追記: 地番33の長泥については、ここは特に高汚染地域で、前の記事中のグラフを見ると分かるように、昨年8月までの減衰量が小さかったのに比べ、1月の線量値が異常に低いように見え、特殊な原因があるのか、予測としては信頼性に問題があるように見える。
計画的避難区域 何時になったら住めるようになるだろう 文科省発表のデータで分析してみた
文科省は、英文ウェブで毎日発表していた各測定ポイントの空間線量測定値の公表を2011年8月7以降、何の説明も予告も無く突然停止した。以後空間放射線量の減衰状況など知るすべが無くなった。
1月に公表された文部科学省の「実測値に基づく各地点の積算線量の推計値」http://radioactivity.mext.go.jp/ja/1750/2012/01/1750_011718.pdf
の表に、2012/1/9-1/11間の平均値として各測定地点における空間線量率の値が「最近測定値」の欄に記入されていた。それを記入したグラフを下に示す。
このデータから、計画的避難区域内の高線量地点について、2011/8/7 と 2012/1/10 前後数日間の平均線量率から常用対数減衰率を求め、1年間と10年間の関数積分線量を推定した。更に何年後に帰って住むことができるかを予想してみた。
観測地点番号 31,32,83地点では、今回の解析で用いた文科省の積算表から求めた減衰係数による関数近似の積分値と、文科省発表の観測値の積算量とはほぼ一致した。地点33の飯館村長泥については、上のグラフに見るように、8月7日以前4ヶ月間減衰していないかむしろ増加が見られたが2012/1月の表の線量率が極端に低く報告されているので減衰係数が大きく計算され、5年後には残留放射線量が見られなくなっている。
このようではあるが、文科省の「空間放射線量率の推計」の表のデータを用いて、10年後(2021)年までの各地点での年間積算空間線量を計算してみた。結果はどの地点も政府の云う許容被曝量をはるかに超える。
では、何年後に、この地に10年以上住むことができるだろうか? 塗りつぶし部分に、現在まで被曝災害を受けていなかった人が、5年後、7年後、10年後に各地に移り住み、以後10年間住んだ場合の積算線量を計算してみた。
地点31,32,33では7年後ぐらいから住むことができるだろうが、地点83では永久に住むことはできないようだ。
これは、あくまでも観測地点での空間線量率の発表値でのみの根拠である。詳しい状況が分からないのでこれ以上のことはわからないが、8月までのデータでは、上のグラフで見るように、地点によっては空間線量率が減少どころか増加の傾向の地点もある。
これだけのデータで、居住の可否を云うのは早計だとお叱りを受けることもあろうが、文科省は、単なる空間線量率の観測だけでなく、放射線源の特定や拡散・移動、放射線核種の分析など、科学立国をうたう文科省、出来るはずの将来の各地点の動向などの科学的予測、あるいは信頼できる学会誌などの論文リスト等、逐次発表する義務があると思う。
文科省のデータベースに「実測値に基づく各地点の生産線量の推計値」として2011年3月12日から2012年3月11日までの1年間の積算線量の推計値が発表された。実測による積算線量と題されているが各地における空間線量値の積算ではなく、屋外8時間滞在、屋内16時間滞在としての軽減率0.6が掛けられている値で、実測とは言えない紛らわしいデータである。http://radioactivity.mext.go.jp/ja/1750/2012/01/1750_011718.pdf
以下文科省の積算値に0.6の逆数である1.67倍にして、真の積算量に換算して話を勧めることとする。
これによると、30km圏外(計画的避難区域)でも政府の安全制限20ミリシーベルトはおろか150ミリシーベルト(双葉郡浪江町赤字木手七郎)の地点があることが分かる。計画避難区域と緊急時避難準備区域 相変わらず言葉選びに終始し時期を失した安全施策 «
私が文科省発表のモニタリングデータを用いて積算線量を推定し、最初のブログに書いたのは、2011年3月30日です。
福島第一原子力発電所付近の空間放射線量率の分布と減衰予測の試算 « 3月30日
SPEEDI の結果とモニタリングデータとの比較 « 4月5日
福島県浪江町の観測値について原子力安全委員会の不可解な被曝線量の計算発表 « 4月7日
この時点で私の計算値では、浪江町津島付近の3地点の積算線量はすでに 37~51 ミリシーベルトとなった。
その方法は、文科省のデータベース、3月17日から28日までの11日間の空間線量率から、日経過による対数減衰率を算出し、データの発表が無かった3月15日に遡り放射線率の推定値を算出し、3月15日を起点として3月30日までの(15日間)積算量を計算したものである。その結果は、SPEEDIや米軍の航空測定ですでに分かっていた高汚染地域、原発から北西の地点の測定点では、距離20-29km圏内にある測定点で 11~62ミリシーベルト、30-39km地点で 6~48ミリシーベルトとなった。15日間ですでに20mSvは超えている。
4月12日、浪江町、飯館村の高汚染地でのデータから4月11日まで(1ヶ月)の積算量を推定した結果は 17~45mSvとなった。
浪江町の累積放射線量 災害発生時から一年間で20ミリシーベルトの推測 どんな根拠の計算から出るのだろうか? «
5月1日に、高汚染地域の8地点について年間の積算線量の推定を行ってみた。結果はこの時期でではまだ減衰率が大きかったのでその値で推定した年間積算量は最高地点(浪江町)でも56mSv~73mSvと今から見れば少なめの結果となった。
文部科学省の英文データベースを用いた高汚染地域の総被ばく量の試算 « 6月19日
線量減衰率がかなり落ち着いてきた6月19日までの値を用いた年間積算量の試算値では、浪江町赤字木で 191mSv、飯館村長泥で 133mSv と大きな値となった、これは日の経過とともに空間線量の減衰率が減少しているためである。
福島県の高放射線域の半減期は2年か 過渡的な放射線量減衰期は終わり定常的な減衰期になったようだ « 6月14日
非科学的な文科省の放射線量積算データ 原子力安全委員会の資料を参考に修正を試みた « 6月19日
文科省の各観測地点での空間線量率の公表が中止された8月7日までの線量率データベースから、私が行った減衰関数近似から求めた年間積算線量値と、今回発表になった文科省の「実測値に基づく各地点の積算線量の推計値」の表から高汚染地点の数点にについて比較してみた。
福島県20km圏外の高線量地域の空間線量率減衰特性 « 8月19日
主な高線量地点の年間空間線量の積算量比較(単位:ミリシーベルト)
| 地点番号 | 地点の住所 | 文科省推計値X1.67倍 | 私の関数積分値(8月19日の分析による) |
| 31 | 双葉郡浪江町下対馬中沖 | 64 | 48~64 |
| 32 | 双葉郡浪江町赤字木手七郎 | 147 | 112~146 |
| 33 | 相馬郡飯館村長泥 | 78 | 66~86 |
| 34 | 双葉郡浪江町津島大高木 | 31 | 24~30 |
| 79 | 双葉郡浪江町下津島深 | 69 | 54~72 |
結果は嘘のように良く合っている。信じられないと云われるかもしれないが、私の積算値は8月11日までの文科省のデータベースに基づく統計分析による近似式の積分量である。
文科省は実測値に基づく値であることを強調したいようであるが、被害者にとって一年後の後出しの実測値にどれだけの意味があるか。被害者にとって重要な情報は、災害の進行中における明日の予測である。
自然科学者の仕事は、は過去のデータの蓄積ではなく、現在までのデータから将来進行するであろう現象を理論的に予測する能力である。
原発危機に直面したこの一年、放射能災害の日本政府の唯一の窓口である文科省は、実測データ以外の科学的分析を一切排除した非科学的な発表のみに徹していた。その原因は、証拠がなければ無かったことと等しくなる”弁護士的権力”に汚染された科学音痴の管理職のせいだと云っても言い過ぎではないように思う。
自然科学者も、それを取り上げるべきマスメディアもみな沈黙をしていたこの1年、日本の権力統制の暗部を感じざるを得ない。これは一老人のたわごとであろうか。