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小学校の英語教育

2006/05/17
昨日、小学校から英語教育を始めるという中央教育審議会の答申について考えてみた。
この問題に関連した議論は以前に2,3のブログサイトで議論になったことがある。
以下の文章は、ブログ名:TI で出しておられる、現在イギリスで活躍している中堅のビジネスマンの方のブログに投稿した文章と、それについてのTIさんの返事である。
私のブログ名: Spaceglow
TIさんのブログに投稿した文章
 
4月28日の理系白書ブログ ”作文の技法” に数人の方が言語教育についてコメントされました、をれに私が参加したときのコメントです。
英語教育より国語教育と言う意見について。
この議論は、英語を使う環境で、その社会の人と競争的立場で職業を維持している人で、少なくとも高校までは日本で教育を受けた人たちの体験を取り入れるのでなければ、英語教育を小学校に降ろしたり、外人教師を雇って発音をネーティブらしく訓練しただけでは効果はないと思います。
英語が堪能で英語を使った職業に付いていても、日本の組織に雇用されている人は多くの場合、国際的に自立しているとは思われません。やはり、国際的な組織の中で職業的に生きていける能力を身につけた人でなければ本当のことが分からないと思います。
また、日本語教育が高等教育に無いのは事実ですが、日本の社会では、意見が情緒的で議論を避ける文化であるため、論理的な表現能力の必要が無いのが原因していると思います。そのため、たまたま議論になると、論旨ではなく「言葉尻」を捕らえて攻撃する場面をよく見ることになります。
国際的に通用するためには、議論に耐える意見の論理的構成力、相手に対する説得技術、相手の意見を分析的に把握する能力、こういった訓練は使用する言語に関わらず必要で、高等教育では、このような言語能力を養うことが必要と思います。
【2006/05/16 08:48】 URL | Spaceglow #- [ 編集]

TIさんの返事
 
Spaceglowさん、
コメント拝見しました。

> 国際的に通用するためには、議論に耐える意見の論理的構成力、相手に対する説得技> 術、相手の意見を分析的に把握する能力、こういった訓練は使用する言語に関わらず> 必要で、高等教育では、このような言語能力を養うことが必要と思います。

この結論がすべてだと思います。言語はあくまで道具であり、ポイントは論理構成力だと思います。論理がしっかりしていれば、あとは文法とボキャブラリーで文章を組み立てるだけです(それも簡単ではありませんが、まず論理構成力が基礎になる)。日本語ではそのあたりの教育がしっかりとされていないように思います。

【2006/05/17 08:28】 URL | TI #- [ 編集]

ばらが咲き始めました

2006/05/13
5月11日、ばらのつぼみが開き始めました。
 
しかし、残念ながら、それから雨降りが続きせっかくの花も雨間に見る始末。
 
今後の天気予報も芳しくないようで残念。
 
 

旅行シーズン到来 日ごろ不可解に思っていること

2006/04/30
レストランサービス
大手のチェーンホテルのレストランや、一般に高級と思われていて、サービス料をチャージするレストランについて。
レストランの入り口からテーブルに案内されるまではいいとして。周りを見回すとテーブルの数にしては過剰な黒服のウエーター・ウエートレスが目に付く。黒服の一人がテーブルに来て、女性から先にメニューを渡し飲み物を聞く、ここまでは教えられたマナーでしょう。飲み物を注文しても突っ立ている、食事の注文を待っているのだろうが、料理の説明をするでもなく、また、勧めるのでもなく、注文を聞き終わるまで待っている、それからあとは、お客の飲食の進み具合に関係なく、彼らの都合で次々と料理を運んできて、客が途中で何か頼みたいときは手を上げて「すみません」と謝って頼まなければならない。最後の料理と同時に請求書をバインダーに挟んで、お願いしますと挨拶して置いて行く。あとは、黒服は客のテーブルを見向きもしない。忙しいわけでなくただ手を前に組んで何処を見るともなしに突っ立ている。
終わって帰るときは、客が請求書を持ってレジの前に行き、客が立たされて待ち、レジの黒服が計算するのを待つ。レジでは客の了解を受けるでもなく当然のごとくサービス料を加算して請求する。こんな黒服にかかるコストを客が払う義務があろうか。少し極端かもしれないがこんな風景が普通のように思う。
 
ともかく、大多数が満足しているのだから、何をお前だけひねくれたことを言うか、と云われればそれまでだが。不可解な現象ではある。
 
東急下田のリゾートホテルで、定年旅行らしい夫婦が、遠慮がちにレジの前で、若者の黒服に立たされて待っている様子を何組か見て、東急本部にこの不合理についてメールで指摘したら、現在テーブルで会計を済ますことや、クイック・チェックアウトのシステムの研究をしていますと言いう、言葉使いだけが丁寧な返事が返ってきたが、欧米では何処でもやっている標準のサービスを、彼らが知らないとは思えない。横着なのか、サービスの基本について現場教育をしていないのか?

マンション

2006/04/29
バイキングで詳しい語源情報を教えていただいたのでもう一つ、
 
マンション: 最近耐震偽装問題でよく見る言葉、これも私の推測では、どこかの不動産会社が売り出し物件のアパートメントをより高級感を出すために辞書から引っ張り出した英単語を付けて、○○マンションと固有名詞に使ったものがあちこちでまねされて、一般化し、”マンション”だけが独立して普通名詞化したものと思っていた。いろいろWeb検索をしてみるとこの推測は正しいようだが、最初に使った不動会社の名を知りたいものだ。
日本だけでしか使われない概念の言語は、カタカナ表記でも外来語とは言えず、日本語であろう。国語審議会や役所用語として検討すべき対象ではないかと思う。
こちらは「バイキング」と違って、社会的に重要な概念で、「アパートメント」と「マンション」とどう違うか、笑い話では済まされないことだと思うがどうだろう。

不思議な言葉 「バイキングサービスで御座います」

2006/04/29
いよいよゴールデンウィークの始まり。旅行中の人も多いと思いますが、ホテルで、朝食はバイキングで御座います、という説明を聞きませんでしたか?
 
伊豆の東急リゾートホテルでのこと、チェックインのディスクで、見るからにホテルマン然とした係員だったので「バイキングって何ですか」と聞いてみた。係員はバイキングも知らない老人が泊まりに来たといった反応をありありと表しながら丁寧に説明してくれた。
日本のレストランで蔓延している”バイキング”誰が何処で始めたのだろう、興味があったので調べてみたが分からない。
 
おそらく、スウェーデン語の英語読み Smorgasbord style of eating の語源から来ているのではないかと推測した。英語圏では Buffet style table が一般的だがこれも英語が語源ではなさそうだからどうでもよいことだが、日本では、ビュッフェ(buffet)は昔、新幹線の立ち食い食堂で使っていたのでイメージが悪い、誰かが、スウェーデン > バイキング の連想から作ったのだろうか?見事な造語力、「マンション」と同類の発想ように思われる。
この推測は間違いでしょうか、ご存知の方の コメント をいただきたいと思います。

延命治療

2006/04/22
生死の決断、家族に重く: アスパラクラブアンケート 「読者1万人の声」
 
人口呼吸器を外した行為に関し、朝日新聞は多方面からの特集記事を連載している。上記の見出しは4月22日のものである。
結果は、88%が「自分は延命治療を望まない」 回答者は、10代から80歳以上まであり、そのうち60歳代以上が18%で、高齢者ほど、この割合は大きくなる傾向、ただし家族の場合は70%に下がり、やはり高齢者の場合は家族にも延命治療を望まない傾向が強くなるというものである。
しかし、この記事で重要なのは、仮想の質問に対する回答分析ではなく、実際に治療中止を承諾した親族の苦しみである。これは、自分の決断の迷や、罪の意識ばかりでなく、親族間の意識の相違に原因する悩みである。親族と言っても、患者と日常生活を共にしたり、親密に対話することの無かった人たちは、患者に対する思いやりより、自分中心の考えに陥り安い。
また、「延命治療の拒絶」要望書が例に挙げられているが、病院など医療機関にしてみれば、これが本当に患者の自筆のものかを判断できない。遺産相続争いのように、時間の制限無く専門家を雇って法律で解決するのとはわけが違う。
先ず必要なことは、”一度始めた延命治療を止めるということは”、延命治療を始めるかどうかを決断する出発点に戻ったことであり、”延命治療を止めたことが殺人に当たらない”と言う統一的理解を社会的に確認することである(最高裁判所の判断などで)。
医者が言う、「一度延命治療を始めたら止められませんよ」と言うのは論理的に誤っている。それだったら、延命治療をしないことが殺人になることになり、延命治療をするかしないかの選択の余地は無い。延命治療は医者の治療義務と言うことになる。
ただ、一度延命治療を始めたら、それを中止する場合手続きが必要であろう。以前から、何度もふれているように、最低限社会的に必要な制度として、裁判所や、保健所などの専門的な公的機関が関わって、延命治療を始めない(中止する)に至った経過の記録を保管する制度が必要である。
 
訴訟が起きてから、検察が不完全な記録を掘り返し手続きの欠陥を指摘し、罪人を作る、しかも裁判は時間の制限無しに5年も10年もかける、これでは医療機関が萎縮して本来の終末医療を行えないのは当然と思う。 (4月27日補足)

最後の晩餐を見て イタリアの旅での注意

2006/04/20

レオナルド・ダ・ビンチの最後の晩餐を見て: サンタ・デル・グラーツエ聖堂

Last Supper: Leonardo da Vinci, S. Maria delle Grazie, Milan.

最後の晩餐を見るのを最大の目的にして、ミラノに5日間の宿泊を取った。ホテルの案内デスクに電話で参観の予約を依頼したが、電話が話中でなかなか通じない。3日の朝になっても予約が取れないというので直接出かけることにした。

案の定、チケットオフィスの入り口には Sold out の立て札があったが、予約状況を聞こうと中に入りデスクに話したら、そこで待てと言われ、5分ほどしたらチケットを2枚、コンピュータで打ち出し私たちにくれた、何時にここに集まるのかと聞いたら今すぐだと言われ、20数人待っている場所に行くよう指示された。なんという幸運だろう、25人ほどの集団で、最後の晩餐が飾られている修道院の食堂に案内され、15分ほどの時間が与えられ、自由に鑑賞することが出来た。

終わって中庭に出ると、別の案内オフィスが見えたので行ってみた。最後の晩餐の壁の裏側を見るかと言うので案内してもらった。第二次大戦で破壊された壁の修復、補強構造や、環境保全のためのエアーコンデショナーの設備など、保存状況を説明してくれた。

チケットオフィスで待っている間に、アメリカ人らしい観光客が予約状況を聞きに来ていたが、2日後にしかないと言われあきらめて出て行った。おそらく、私たちの場合、タイミングがよく、予約時刻までに来ない人がいてその分をまわしてくれたと思う。チケットは料金の欄が”0”と印刷されていて無料であった。本当にラッキーだったのと、言葉すくなに、しかし自己の裁量権でチケットを発行してくれたディスクの女性の配慮に感激した。

公平さとか、規則を守るのは大切なことだが、ヨーロッパでは、接客係の人にかなりの裁量権が認められていて、臨機応変の対応に助けられたことをほかでも何度か経験している。教養とか品位のよさを重視するヨーロッパ文明は、そういったところに現れるのであろうか。

食堂の写真は案内書:Electa, http://www.electaweb.it より。

注意: 私のブログを見ていただいている方で、イタリア旅行を考えている方にご参考になるかと思い書きますが、あまり知られていないことで、イタリアでは無届滞在期間が最大8日間(2003年の時点で)です、8日間を超える滞在を希望する場合には警察の許可が必要です。ローマで許可証をもらうために中央警察に行きましたが、観光客用の窓口は無く一般の長期滞在者と同じ取り扱いで、申請書を準備し翌朝7時より並べと言われました。これは不合理と思いオフィスの中に入り、私服の係官に聞きましたがやはり観光客も同じ取り扱いと言うことでした。ただ、そんなことで1日つぶしたくないので無届で2週間滞在しましたが心配した出国のパスポートチェックでは何も言われませんでした。

EUの国からイタリアに入国するとき、パスポートチェックが無いのでイタリア入国の日を証明できる航空機のチケットなどは保管しておいた方が良いと思います。

屁理屈でなくデータで議論しよう

2006/04/14
朝日新聞の記事によると、国交省発注工事の平均落札率が、昨年までゼネコン大手4社が99%程度であったものが、本年3月には80%までに下がった。これは状況的に見ると、今まで行政と結託してやっていた天下りの談合が”休眠した”結果であろう。
談合の被害は、たとえば、日本の道路高速料金が、自動車交通先進国に比べて数倍以上の高額であることを見ても明らかと思う。高速料金は自分のことではないと思う人がいるかも知れないが、殆どの物流が自動車運送で行われている現在、食料を含めすべての生活費にかかってきている。
政府も、メディアも、デフレ脱却といって良いことの様に言っているが。欧米で普通の生活をしてきた人が、日本で同じ住・食の環境を維持しようとすると非常に高くついて、同じ収入では維持できない。
スウェーデンは消費税だけでも25%と高額だが、交通費、ホテル、レストラン、食料品などを、同一レベルで比べたとき、日本の価格より25%も高くは無い。言い換えれば日本でも、消費税を25%にしても今の物価のまま維持出来ないはずが無いとも言える。
諸外国で普通の事が、「日本だけ特殊であるはずが無い、」ということを基準に原因を議論すれば、誰にも分かりやすくて単純な話ではなかろうか。
 
 
 
 

海外は本当に旅行者にとって治安が悪いか。

2006/04/09
最近、外国に友人を多く持つ人に聞いた話。
スウェーデンのある駅で、日本人の旅行者がリュックサック式のバッグを下ろしフィルムを取り出しカメラにセットし、そのままバックを背負うのを忘れ出かけてしまった。ホテルで気が付き、幸いスウェーデンに住む友人に案内してもらっていたので、駅に電話してもらったところ届けられていて、取得した青年がホテルまで届けてやるとの返事、部屋まで持ってきてくれた。お礼をしようとしたが受け取らなかった。そのバッグには、パスポートや、非常時の用心にかなりの現金を入れていたとのこと。日本流に考えて一割程度のお礼をしなければと思い、スェーデンの習慣を聞いたら、金銭の御礼をするような事は無いという話であった。
自分の経験でも、海外で何度か忘れ物をしたが、いずれも保管していてくれて返してもらった。特に、警備の厳しいヒースロー空港のターミナル間移動用の電車のホームに忘れ物をし、2時間ほど後に探しに戻ったとき、すでに忘れた場所には無かったが、空港職員に尋ねたらセキュリティーエリアに保管されていた忘れ物を返してくれた。麻薬や、爆弾の危険の多い空港で、正規の手続き無しに返してくれた職員に許された裁量権と、自己責任による判断と実行力に感激した(もちろん荷物の内部はチェックされていた)。この時、深夜の11時過ぎで、もし明日オフィスが開く時間まで待って、正規の返還手続きをすることになれば、帰国する飛行機に間に合わないので忘れ物はあきらめることになった。
このように、今までの経験では、海外でも特に日本に比べ治安が悪く、常に気を配っていなければならないという実感は無い。ただし、世界中を歩いたわけでもないので、以下に2週間以上滞在した国を挙げてみる。
アメリカ、カナダ、チリ、スウェーデン、オランダ、フランス、イタリア、スペイン、イギリス,オーストラリア、ニュージーランド。
 
ただし、これら欧米の国では、都市構造が日本と違い、電車やバスの駅の近くは比較的治安が悪いように思う。駅の近くは市民の生活にとっては、買い物や文化の中心地ではないことを知るべきと思う。
日本で流布されている、欧米は置き引きやドロボーばかりの国というのは間違いであると思う。どうしてそういった話が本当らしくされているのか理解できないのが実感である。

京都の桜

2006/04/05
昨日京都で行われた退職者の親睦的な昼食会に出席した。
終わってから友人と、四条から東山方面にかけて花見をした。曇りだったが、桜はほぼ満開で柳の芽吹との色のコントラストが美しかった。暖かい日だったので夜桜も違う雰囲気になるとは思ったが、2時間ほどで帰った。
部分的に歴史的景観を保存しようとする形跡は見られるが、地域全体での調和の取れた文化的雰囲気に乏しく、商業主義が目立つ普通の観光地の風情と見た。
カメラを持って行かなかったのが残念だったとの思いもあるが、写真を撮ろうにも、人出と、違和感のある建造物に邪魔されて構図を決めるのは難しいだろうと思った。