オリンピック招致に対する新しい発想
2006/07/08
話はちょっと古いが、
6月26日発売の米誌ニューズウィークは、世界主要国の中で特に急成長を遂げている都市を「最もホットな10都市」として特集し、「アジアへの出入り口」として成長著しい福岡市を選んだ。
福岡にオリンピック招致の最も可能性の高い方法は、韓国の釜山(Pusan)市と共同開催するよう提案することだと前々から思っていた。福岡市長にはそのような発想は無かったのだろうか。
もう時期を失してしまったかと思うが、上の記事を見てその感を強くした。東京開催の可能性はほとんど100%無いと思う。国際的感覚では、現在の東京はまったく魅力の無い都市だと思う。前回の東京に相当するのが現在の福岡かも。
日韓共同開催は、オリンピックを国家の威信を発揮する場としてでなく、国の壁を越えて地域のスポーツ文化の祭典の方向に向かわせる一つの模索として世界の共感を受けるかもしれない。
サッカーの日韓共同開催を成功させた例が思い出される。ただし、ヨーロッパの人々は不満のようだった。
小泉首相とブッシュ大統領
2006/06/29
先ほどのテレビで見たブッシュ大統領は、小泉首相を最大級褒め上げ小泉首相もご満悦の様子だった。明日は大統領専用機でメンフィスに大統領も同行するとか。これも破格の対応だという解説があった。
このことで日本とアメリカの同盟関係を測るのは疑問に感じる。
それよりも二人の人物の共通点に注目した方がよいかもしれない。
それは、二人とも「決して自己の誤りを認めない」性格である。公人でありながら「自分の独断」で強引に行動する。
ノムヒョン韓国大統領が急に北朝鮮寄りになった原因の一つに、この二人が追いやったような気がする。小泉総理の靖国問題の対応は周知の事実だが、それより韓国内では、ノムヒョン大統領が訪米したとき、ブッシュ大統領から非常に軽んじた応対をうけたことに端を発しているように思う。日本を含め東洋では俗に云う”面子”を失うことは、権力の失墜にもなりかねない。少なくとも反対勢力の台頭を誘う。
今回の二人の映像から、日本はアメリカと一心同体だから日本とうまくやって行こうと考える周辺国が生まれる、これが日米の政権の外交判断に沿ったパフォーマンスとして演出された理由だろうか。
マスメディアとカタカナ語
2006/06/28
日本だけしか通用しないカタカナ語
誰が言い出したかわからないカタカナ語を、あたかも時代に遅れまいとするように、たちまちのうちにどのメディアもいっせいに使い出す。
理系白書、膨大な読者をもつブログサイトの家主、有希子さんが昨日の日記で
<セレブリティという時、どういう人たちを指すのだろうと思った。日本と同じ使われ方なのだろうか。単に「有名人」なのか、クラスを伴うものなのか。敬意と憧れをもって使われるのか、茶化す時にも使うのか。英語圏の方、教えてください。>
今回の誘拐事件に関連して「セレブ」の使い方を英語圏に住む人に問いかけていた。
新鮮な感じを受けた。マスコミの人たちは、聞きかじったカタカナ言葉を、何の疑問も無く我先に使う人種かと思っていた。
もう一つ、セレブ女医の3億とも4億とも云われる豪邸と、5千万円以上の高級車の車庫のシャッターの直ぐ前が一般の通り抜け道路であって、おまけに、バス停まである。
そんな場所がそれほどの資産価値がある住宅地とは驚きである。
欧米の例で、築100年以上前の馬車交通時代から住まわれているマンションであれば通り抜けの道路に面している豪邸もあるが、わざわざ建てた築数年としか思われぬ資産家の住宅が、一般道路に面しているのは不思議な光景に見える。
日本も否応なしに、犯罪が国際化し、資産家はそれに見合った警備の備わった環境に住む社会になってきたと思う。
ツバメの巣
2006/06/20
パスポートの更新
2006/06/15
パスポートの有効期間が6ヶ月を切ったので更新手続きをした。
通常、多くの国では3ヶ月以上の有効期限があれば観光の場合問題ないが、新しいパスポートの方が問題が少ないので更新することにした。
パスポートの有効期限は5年あるいは10年である。現在の年齢から言えば5年有効で十分であることは分かっているが、迷った末10年で申請した。
コンドミニアムに滞在するような旅行ならば車椅子でも旅行に出られるような時代になったことにも希望を託そう。
国際運転免許証も有効期間fが切れているので取りに行かなければならないが、パスポートの残余期間が1年に満たなことや高齢など、ぐずぐず云われて直ぐには取れないことも考えられるので早めに更新することにしよう。
ザルツブルグ・フェスティバル; モーツアルト22
2006/06/14
ダーウインの墓
2006/06/01
ダーウインの墓がウエストミンスター寺院にあることを始めて知った。
ウェストミンスター・アビーには10年ほど前に訪れた。ニュートンの墓があることは知っていたので注意して観たが、ダーウィンの墓が近くにあることには気が付かなかった。
今、ダビンチコードが話題になっているが、ダーウインの論文(種の起源1859年)はキリスト教を始めとしてほとんどの宗教や人間の尊厳を信じる人々には受け入れ難い驚きであったと思われる。それが、論文発表からわずか21年後にウェストミンスター寺院に受けいられたことは、イギリスの知的階級社会の科学に対する理解力と、知的文化に貢献した人への尊敬の念がいかに強いかが伺われる。
アメリカの一部の地域では、今でも、進化論を学校教育で教えることに反対する集団がニュースになることがある。理由は、人間の尊厳が失われ、社会の犯罪を助長するということのようだが、教義にすがる偏狭な宗教観で社会は規制できない。
愛国心教育について
2006/05/25
教育基本法の改革問題で国会の愛国心教育の議論についての感想は、法文の言葉遣いについて、辞書で調べなければ分からないような微妙なことの議論にのみ時間をつぶしているように見える。
今日の新聞に、国政調査費を一億円も飲み食いに使ったとか、社会保険事務局の組織ぐるみの公文書偽造問題が取り上げられている。幼稚な偽メール問題で国会を1ヶ月近くも空転させたこともそうだが、国会議員を含め、高い教育を受け、総合的な判断力と倫理感を期待して社会から委託を受けている指導者層の、あまりにもみっともない事件が多い。
愛国心は、みんなが信頼できる社会から自然発生的に生まれるもので、そのように考えると、緊急に教育をし直す必要がある人たちは誰か、子供では無いことは自ずから分かってくるはずである。
愛国心が政治的に利用される時代、これは歴史的に見ると、権力組織が国民の信頼を失い始めた時期であろう。国民の側から自然発生的に起こったのではなく、政治家から愛国心が云われ始めたのは、政治家が自身の保身のための危機感を感じ始めた表れであろうか。
十数年前、日本航空に乗った外人が、ファーストクラスの座席数が多いのに驚き、日本の経済力を実感したと云ったことを記憶しているが、これは判断違いである。同じ時期、大韓航空を利用してニューヨークに行ったことがあるが、やはり、そのときは”がら空き”のファーストクラス席が目に付いた。
政府系航空会社は、政治家や、高級官僚が大勢のお供や、接待役の会社幹部をつれて外遊するための座席を確保する必要があったからである。
お供を連れてファーストクラスで出張したり、赤坂の料亭で1本数十万円もするワインを振舞われたことで自分の出世を満喫しているような幼稚な政治家や高級官僚がいることを知るべきである。
また、「お前のやっかみだ」という声が聞こえてきそうだが、63歳をすぎてからの何回かの出張では、チリの最南端プンタアレーナス経由で南極へ行ったときも含め、依頼者側で正規ビジネス航空券を用意してくれていた。もちろん、日本での地位も組織のバックも無いので、これは日本政府や、法人から支給されたものではない。
これを書いたのは自慢話のように見えるかもしれないが、老体の健康を考えてビジネスクラスの航空券を買ってくれた気遣いを考えると、それ以後、自費で旅行するときも、料金の負担は大きいが贅沢からではなく、長時間路線ではビジネスクラスを利用することに決めている。こういうのはつまらない自己満足か?
いずれにしても、公金を使うのは偉くなった証拠だと思う様な人物は社会の中枢から排除したいものだ。
写真は 「とげ」 小骨から大きいとげまで。
やっと現れた青空
2006/05/20
昨日の党首討論、小沢さんの教育論に関連して
2006/05/18
教育改革について、小沢さんの論理は、現在の日本の教育法規では、教育の最終決定権は地方の教育委員会にあり、政府の機関”文部科学省が”全国一律に統制しようとするのは法律違反と言わないまでも基本精神に反しているのではと言う問いかけであったと思う。
小学校の英語教育構想をみるとき、準備として英語教育特区で研究教育を実施しているのはよい事だが、文部省主導では、おのずから教育効果についての評価の大要は初めから決まっていて、それを根拠に全国一律に実行するのは疑問である。
中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会外国語専門部会委員名簿を見ると、そうそうたる地位を確立した教育の専門家や有識者と、熱心な現場教育の実績を持つ方々で構成されている。これらの方々は、それぞれ外国語に造詣が深く見識を持った方々と思う。
これらの方々の経歴を調べることは簡単には出来なかったが、おそらく、外国の大学で学位を得たり、外国研修や、留学経験のある方々が殆どと思う。
しかし、英語教育の最終目的が、グローバルな国際社会で、「経済的駆け引きや科学技術の競争に立ち向かう言語能力を身に着ける人材を育てる」と言う目的らば、上記のようなエリートの発想によるカリキュラムでは、従来の外国語教育と大差ないように感じられる。
それには、前のブログに書いたように、日本で教育を受けた後外国に移住し、その国の教育を受けた人と対等の条件で職業を維持している人々の経験を生かしたカリキュラムの開発が不可欠と思う。上記のような経歴を持つ識者は国内在住者にも多数見つかるはずである。
政府派遣や、日本の研究資金、大企業の出張職員、大学院学生での外国生活はいわば、その国のお客様である。これらの立場では、正しい外国語を使えば尊敬されエリートとしての扱いを受けるが、その社会での競争的立場にはないので、現地の人と利害関係の生ずるような実経験をする機会は少ないと思われる。