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カラモーア クラシック音楽シーズン最後のコンサート Caramoor Center for Music and the Arts 内田 光子 Mituko Uchida

2007/08/07
 8月5日、ニューヨーク州とコネチカット州境に近いカラモーでセンターで内田さんのコンサートを聴いた。
素晴らしい迫力で、一小節ずつが論理的に研究され尽くした音楽に感じられ、聴衆も感動していたように見た。
曲が終わっても、われ先に拍手するのではなく、内田さんの瞑想の時間が終わり、内田さんが挨拶の動作を始めるまで皆静かな感動の時間を持ち、それから割れるような拍手となった。聴衆のレベルの高さを感じた。
プログラムは、シーズン最後のコンサートにふさわしい、ベートーベンの最後のピアノソナタ三曲、 No.30(Op.109, No.31(Op.110) と No.32(Op.111) であった。
われわれの音楽の旅の締めくくりにふさわしいコンサートであった。
ニューヨーク市に近い関係か、ここでは、日本人の家族連れがちらほら散見された。30数年前に比べ都会から離れた音楽会場や美術館で日本人が見られなくなった様な気がして残念だ、日本の会社関係の駐在員家族が少なくなったからだろうか。
写真はマルボーローでアーティストと談笑する内田さん。
フォトアルバム ”カラモーア音楽美術センター” へ

ニューヨーク州立大学オーバニー分校 SUNY Albanu

2007/08/06

   20年ぶりかに大学内部の研究室やキ   ャンパスセンター、図書館などに行ってみた。内部の様子も40年前と殆ど変っていないように見える。このキャンパスは1960年代半ばに新しく完成したもので、ネルソン・ロックへラー知事時代に計画されたものである。キャンパスの周りを一巡してみたが、新しい設計の建物が出来ていて、キャンパス全体のデザインの統一性が失わレた様に感じられた。この建物は、自然科学の、特に実験系の研究者にとっては必ずしも使い勝手の良いものではなかった。このキャンパスに隣接してやはり広大なニューヨーク州政府のキャンパスがある。こちらは味気ないオフィスビルが散在しているように見える。

アルバム ”ニューヨーク州立大学オーバニー分校” へ 

CARAMOOR ニューヨーク に出発

2007/08/04
 これから、ALBANYを出発してIー87を南に下がり、ニューヨーク州と州境にあるコネチカット州のMaples Innに移動する。また、大渋滞にはいるといけないので準備出来次第出発しよう。
明日は、Caramoorで内田さんのピアノコンサートを聴く。
 

マルボーロ音楽祭 MARLBORO Music

2007/08/01

昨日、日曜日、ここから3時間ほどのドライブして、バモントの山の中の小さなカレッジ、マルボーロ音楽カレッジの音楽祭に行った。

40年前に一度訪れたことがあるが、小さな山の中の大学でありながら高く評価されている。

国際的な学生の支援プログラムがあり、日本人や東洋人の学生も多く、音楽ディレクターの一人には、ピヤニストの内田(Mituko Uchida)さんがなっている。

コンサートでは、日本人と、若い韓国人の活躍を活躍が目立った。聴衆は大部分が、高齢者夫婦で、何時間もドライブして来たと思われる人たちで満席であった。

このあたりの村にはモーテルうやInnなどの宿泊施設が点在していて、宿泊して来ているものと思われる。

中間の休憩時間に、内田さんに声を掛けてもらった、8月5日のニューヨーク・カルモー CARAMOOR International Music Festival で内田さんのコンサートがあるのでそのチケットを予約した、ほぼ満席であった。

水曜日にはサラトガ音楽祭のプログラムに、ベートーベンの第九があるようで、チケットの状況を調べようと思う。

アルバム ”マルボーロ音楽祭” へ

ハドソン河畔からマサチューセッツ製北端のWilliamutownまで

2007/07/21
 

19日天候は曇りながらまずまず、この地域の最大の目的であるロックへラー一族のチャペルで、シャガールのステドグラスを見た。そのあと2-3の観光スポットを訪れてから、2時間ほどのバスツアーで、ナショナルトラスト(英国)が管理している、ロックフェラーの大邸宅と庭園を見た。
民主主義国の最後の王家の城の感がした。
それから、北上してマサチューセッツの北西端Williamstownに来た。

VAN WYCK Expwy の大渋滞

2007/07/19
昨日は、ニューヨークJFKの近くのホテルを正午に出た、通常ならば3時間も見ておけば十分な距離を、一進一歩で止まっている時間の方が多い状態で、結局6時間あまりもかかってしまった。予定の場所には回れなかった。
VAN WYCK ExpwyからBronxまで2時間以上かかり、そこから、I-95,I-87でYonkersあたりまで渋滞が解けなかった、少し走ったと思ったら、WHITSTONE Bride近くでまた渋滞になった。Bronxで道に迷ったこともあって結局昨日は移動だけに終わった。
初めてカーナビを使ったが、この石頭に悩まされ、無視して走行した。カーナビは現地到着まで戻れ、戻れの一点張りであった。カーナビの設定方法を変えてみようと思っている。

ニューヨーク到着

2007/07/18
2年半ぶりにニューヨークに昨夕到着。
レンターカーお借りて、近くのホテルに泊まり、現在東部時間の朝9時である。1時間ほど前から激しい雷雨である。
ホテルのすぐ横がVan Wyck Exwy R678 だが激しい渋滞が続いている。
今日は、ハドソンバレーに行く予定。 ロックフェラー家のチャペルでシャガールのステンドグラスを見、歴史的なアメリカの記念モニュメントなどを見ながら明日までこのあたりをドライブする予定。
 

アメリカに出発

2007/07/17
昨年の9月に亡くなった、アメリカでお世話になった先生の奥様にお会いするためにアメリカに出発する。
今、名古屋のセントレア空港(NGO)のラウンジから書いている。一番あたらしい空港で、ラウンジのインターネットKAN接続サービスも完備している(無料)。
帰国は一応8月10日に予定している。訪問する町はニューヨーク州の首都Albanyであるが、約束の期間が22日よりなので、その前にJFKでレンたーカーを取って、帰りまで保持することで予約してある。したがって、ハドソンバレリーのロックへらー家のチャペルの、シャガールのステンドグラスや、アメリカ開拓時代の記念物などを訪れて、マサチューセッツとニューヨーク州境タングルウッドのボストンシンホニーの音楽会、その北方にあるクラークインシュチュードに新設された安藤忠雄氏の美術館を訪れようと各地のホテルなどの予約を取った。
今は、旅行のシーズンで公式ウェブにリンクしているホテルは週末いっぱいであった。
出発カウンターからのコールがあったのでこの辺で終わる。

ブログ2年

2007/07/03
ブログの登録は2005年1月だったが、実際に書き始めたのはこの年の7月、ちょうど2年目になる。
 
記事を読み返してみると、ロンドンの同時多発テロ事件と、JR福知山線脱線事故について書いていた。
2年目にして、イギリスのテロ事件は再び起り、JR事故は鉄道事故調査委員会の最終報告があった。
残念ながらどちらも、再度起ることを防止する手立てには役立たない状況である。
 
2年間のアクセス数は13,000 あまり、このうち自分でアクセスした数が3,000アクセス程度、最近になってRSS, Googlなどの検索システムによるものが目立ってきた。純粋に個人でアクセスしていただいた数は分からないが8,000アクセスはあると思う。
 
JR事故について、鉄道事故調査委員会の最終報告書本文を検索しても見つけることは出来なかったが、新聞社などの要約を見ると、科学(物理・力学)的な事故原因の解析は含まれていないようだ。
 
旅客飛行機は事故が合理的な事故原因調査により、50年間に目覚しい安全な乗り物になったが、鉄道はいまだに事故原因は運転手を初め運行当事者の人為的ミスで決着している。
 
東京や大阪のような複雑な交通システムを一元的にコントロールする、航空管制のようなシステムはあるだろうか。
日本では、地震が最も現実の脅威であるが、同時多発テロも無いとも限らない。統一コントロールシステムも無く、現場の当事者に裁量権がまったく無い。このような管理体制では、状況の分からない管理者が手をこまねいているうちに、災害を大きくすることは容易に予測できる。これがJR西日本の教訓であろう。
 

すべての不信は公文書保全の不備によるのではないだろうか?

2007/07/02
社会保険庁の登録漏れを代表とする、社会の成り立ちの根幹となす公文書記録があいまいな状態で保管されたり破棄されても、誰の責任でも無い社会。これが客観的な記録の保全を重要と考える欧米文化と異なる点であろう。また、記録に基づかない日本の政治家や御用有識者の発言が国際的な問題までに発展する原因ではないだろうか。
最近の例として、米下院外交委員会で、日本にとって不名誉な、「従軍慰安婦に対する謝罪要求決議」が可決された一因として、安倍首相の就任直後の「軍の関与が日本の公式記録に無いから事実ではない」と言った身勝手な理屈が引き金になったと言われても仕方が無い状況である。何度も浮上する南京大虐殺問題にしても、否定できるに足りる国際的に信頼される記録を示さない限り、相手側の記録が間違っていると言っているだけでは信頼を失うだけである。
社会保険庁の問題が端緒となって、都合の悪い記録が「社会に混乱をもたらす」と言う理由で、誰の手かとも分からず抹消され(保管されない)、無かったことにされてしまう行政システムが明らかになった日本で、記録に無いから根拠の無いことだといっても、国内的には押し通せても、国際的には意味の無いことである。
久間防衛庁長官の発言にしても、原爆被害者の立場を冒涜する発言だとか、原爆被爆国の閣僚として不適切だとか、結局謝罪させて取り消させることで一見落着、その理由も「国民に説明不足で混乱を招いた責任」、取り消すより、政治家の責任として、発言の真意を説明する理路整然とした論文を発表すべきではないか。女性は「子供を生む機械」の発言と同じく、地方の支援者の集まりでの発言のようだが、支援者は自分の「票を生む機械」だと思っている、支援者とは、選挙期間中の屈辱に耐え頭を低くして投票してもらうだけの無知な烏合の衆と思っているから不用意な発言が出来るのであろう。
歴史的に重要なのは、原爆投下を契機に日本の当時の一部の聡明な指導者がどのようにしてもっと大きな国民の悲劇を避けて混乱無く敗戦に導いたか、規模としては、原爆の被害に匹敵する東京など都会の空襲に対し一般人の犠牲者の保護を考えなかった当時の強大な権力組織を、原爆被害者の犠牲の事実を受けて、原爆の悲惨な威力を正確に把握し、戦争終結に向け身の危険を押して導いた人たちの使命感と、慎重な行動のおかげで、日本の今日があることを認識すべきであろう。
これらの事実こそ教科書に載せるべき事項であろう。