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政治家は官僚をコントロールできる能力があるか

2008/09/23

最近、官僚の背任行為、無責任行為、機能失墜、無能さのニュースが後を絶たないが、だからと云って現在の政治家たちが官僚をコントロールできる能力があるだろうか。中央政府の行政官僚は、行政技術集団の側面を持ち、裁判官や検察官と同じように高度に養成された技能者の集団とも云える。

このことは、革命やクーデター、外国の占領などにより社会の制度・価値観が180度変わっても、医師や裁判官と同じように、実在の官僚集団を利用しなければならないことで分かる。もちろん権力体制が変われば、トップクラスの管理職は更迭されるが、権力だけを与えられた門外漢の管理職ではこれらの組織集団は機能しないことも事実である。

口を開けば流行語のように、政治主導型で官僚をコントロールすると云うが、危機に際し、まともな答弁も出来ない大臣たちを目の当たりにして、官僚組織をコントロールできる能力のある政治家はどれほどいるのだろうか。

どうしたらよいか、本当のことはわからないが、才能ある人材がが、所属する組織内の利益のみで評価される仕組みを変えて、公務員本来の業績が評価されるよう、省庁間の人事交流を制度化し、専門職として個人の評価を明確にすることが必要であろう。官僚を顔の見えない黒子化したことが、所属する組織の利益第一主義にとらわれる結果になったのではないだろうか。

バブル前、メディアは、日本は政治はだめだが官僚で成り立っていると決まり文句を云っていた、そんな時代があったのをのを思い出す。

中央省庁官僚の根性を変えるには

2008/09/22

各省庁の縦割り行政を解体して横に串刺しにすると意見表明をした自民党の総裁候補者の当選見込みはなさそうだ。

各省庁から出てきたいろいろな不祥事を見てみると、確かに共通して見えてくるのは、各省庁とそれの下部組織により多くの税金の分配を獲得して規模を拡大し権益を増強する事に貢献し、評価されたものが省内での出世競争に勝つ。正義感や、義務感をかえりみる余裕もなく無理した結果の不当行為や、背任行為が原因ではないかと云うことである。

こうしたことが起こる主な原因は何かを考えてみると、中央省庁の人事構成にあるのではないか、それは、20代前半にいわゆる一流大学を卒業し、公務員試験に合格し就職、一生を組織の中で過ごす、一組織内で純粋培養されて、その中での出世競争に打ち勝ったものが人材と云われ最高管理者になる。これではわれわれのサービス機関としての役割を果たせないのは明らかである。

各省庁を解体する、これでは行政が成り立たなくなる、それが「自民党を解体する」と云ったスローガンとの違いであり、支持されなかった原因であろう。必要ならちょっとした法律の手直しが必要か知れないが、各省庁間での人事交流を義務化する、少なくとも上級管理者になるためには複数の省庁に勤め、サービス機関としての共通の実績を積み上げ評価された人材を起用する。もちろん、過去の業績評価の客観性と透明性を確保することを前提として任命権者をどこに置くかも大切である。

こんなことを個人レベルで考えるのは笑い話となるのであろうか。

おせっかいな画一社会

2008/09/19

昨終末、法事の後の親族での小さな昼食会を岐阜県立美術館のレストランで行なった。市内にレストランを開いている経営者が開いているもので、本店より周囲の環境や、駐車場が完備していることからここを選んだ。

食事にアルコール飲料を頼んだら美術館だから出せませんとのこと。思わぬ違和感を感じた。なぜアルコール飲料は禁止されるのであろうか。確かにアルコール飲料に対する反応には個人差があり、非行をする人があるのは確かだが、だからと云って一律に全部禁止する発想はお節介なのか、人権無視なのか、あるいは規制主義なのか。

こんなことを書くと、美術館にまで行ってアルコール飲料を飲まなくても何の支障もないではないかと反論されそうだ。

視点を変えてみよう、美術館や博物館などは人類の文化財に接して豊かな気分を味わう施設と思う。豊かさを味わう感動の一つに、額縁に入った絵画や彫刻だけではなく、建造物や庭園、静かな環境、おいしい食事や飲み物も同様に文化であろう。これらが複合した施設、これが美術館ではなかろうか。岐阜県の高山市の美術館は、レストランでおいしい食事とともにアルコール飲料も提供していたと記憶する。

詳しい法律は知らないが、飛行機の客室サービスでは、アルコール飲料はグラスで提供し、1度に一人当たり一杯以上提供しない。その代り客が要求すれば、正常な乗客には何回でもグラスを満たしてくれる。ただし、客室乗務員は泥酔したと思われる客には提供を拒否する権限を持っているようだ。これは不公平なサービスであろうか。生理学的にアルコール飲料に対する反応は大きく個人差があり、もともと一律ではない。個人差に対応しトラブルを避けることのできるサービスがプロフェッショナルではなかろうか。

小学校の教室の”おきまり”のような規制から卒業しよう。

税金で養われている犯罪組織集団を解散させると公約した人に投票しよう

2008/09/19

前提として、国会議員、国家公務員すべて税金で養われている認識があるだろうか、彼らは、自らの組織維持に投入された税金額より大きい社会的利益を生み出す義務があることを認識しているであろうか。どうも、彼らは、自分たちは「国民」の上に立つ存在で、税金は自分たちへの貢物だと思っているとしか考えられない。

社会保険庁、農水省: 税金を使うと云う事はどう云うことか、職務記録の廃棄、改ざん、その原因が組織内の成績競争、これらは明らかな事実であり、こんな組織は即刻解散させるべきである。背任行為の具体的事実が出ているのであるから、これらの組織の存続が必要と云うならば、税金に見合う仕事をした事実を具体的に出してもらいましょう。組織がもたらした利益と、税金の消費を比較して損益をを判断できるデータをもとに議論すべきであろう。

2週間ほど前に送った社会保険庁の「ねんきん特別便」の回答に対する応答はまったく無し。同日、社会保険庁の意見要望のメールシステムに送ったメールも受信されたかどうかの応答さえない。これだけ背任行為をしてもまだ、官僚は人民に君臨していると思い込んでいるのであろうか。

小池百合子氏は歯切れが悪いながらも官僚組織の抜本的改革に言及している。小池女氏は、防衛大臣の時、守屋防衛事務次官を解任する行動で結局喧嘩両成敗的な処理で辞任したことは記憶に新しいが、後に守屋の汚職犯罪が発覚し失脚から逮捕にまで進行した。この小池氏の管理能力はもっと評価されるべきであろう。小池女氏の総理としての能力を判断する十分な資料はないが、従来の政治や、官僚とのしがらみから決別するのが困難と思われる2世、3世の候補者に比べ、改革は期待できよう。

政治の問題は客観的データが隠されていて、データによる分析が不可能で愚痴話の域を出ないのが残念である。

裁量権の認められないマニュアル社会は果たして公平であろうか

2008/09/14

全日空の搭乗システムのコンピュータトラブルのニュースを聞いて思い出したことがある。

約30年前、アメリカでは航空サービスのシステムはコンピューター化されていた。現在に比べコンピュータは技術的信頼度が低く、いろいろなサービスの場面でコンピュータダウンにより少々お待ちくださいと云った場面に直面した。

ニューヨークJFKについて国内線搭乗カウンターに行ったら長蛇の列、仕方なく並んで待っていたら、幼児を抱いてあわてた様子の若い日本人の夫婦が私を見つけて駆け寄り、これでは予定の飛行機に乗れない、初めての留学で予定が狂うと目的地に行くのにどうしたらよいかわからなくなり不安です、どうしたらよいでしょうかとた助を求められた。

そこで、ついてきてくださいと云って、ファーストクラスの搭乗手続きデスクに案内した、そしたら私はエコノミークラスだからとしり込みされたのでかまわないと云いながら、係員に事情を説明したらすぐ搭乗手続きをしてくれた。搭乗券を渡されたとき、その若い人はファーストクラスの料金が必要かと思ったのか、ポケットから分厚い札束を出して係員に必要な差額を取るよう渡そうとしたので周囲の人とともにびっくりして早くしまい込むよう注意した。非常に感謝されて、お礼をしたいからと私の住所を聞かれたが、それよりも楽しい留学生活を送ってくださいと云って別れた。

当時、アメリカで3年ほど生活した経験から、組織の中で働いている職員でも、本当に困っている人には、自分に許される範囲の裁量権を使って便宜を与える傾向があり、特に組織の中で地位が高い人ほど裁量権の範囲が大きく便宜が得られやすいことを経験していた。

それに比べ、組織の運営マニュアルどおり、私情をはさまず、無機的に仕事をする事だけがはたして公平かとの疑問を感じた。

日本でも外国人には些細な規則にとらわれず便宜を払っているかもしれないがどうだろう。

独裁政権誕生の機運はそろった!!

2008/09/04
main_hitler

時代は1930年代。国民を期待と熱狂に巻き込む演技力をもった人物。

現代にちょっぴりその片鱗を証明した人物が現存する。

小泉 純一郎

 

不謹慎かもしれないが、政治の現状を見て悪夢の時代を妄想するのは自分だけか。

ねんきん特別便がやってきた

2008/09/01

送られてきた「年金記録のお知らせは」には記入欠落があった。

現在、国家公務員共済と私立学校共済から年金を支給されているが、社会保険庁のリストには私立学校共済だけ記載されていた。

現在はそれぞれの組合からの支給を受けているので問題は無いが、もし年金事務が社会保険庁に併合されれば国家公務員共済分が欠落することとなる。回投票は返送したが。回答を受け付けたことを確認する証明を発送するとの記載はない。一方的な返送を求める要求のみである。

これだけ、公務員として信用できない義務違反をしておきながら、いまだに態度が変わっていないことに驚きである。

したがって、回答書の返送に際し以下のような手紙を同封した。 どのように扱われるか待ってみようと思う。

                _______________________________

年金加入記録回答書                 

社会保険庁 御中                         氏名

                            9月1日 2008年

回投票をお送りします。

必ず、受領した旨の”受理証明書”あるいはそれに相当する確認書を返送ください。

そのような制度や、義務はないと云う返事は承諾できません。

この回答は社会保険センターの都合によるものでなく“加入者の権利による”ものであることを認識して処理してください。係員独断で回答できなければ、確答を申し入れる部局のアドレスをお知らせください。

もしこの加入記録回答書が未処理のまま放置され苦情を申し立てたとき、返送したことの証明を求められてもその方法がありません。厳しいようですが、社会保険庁は過去にこのような事例があまりにも多かったので自己防衛のためやむをえず要求します。

以上                    署名

電話による回答はお断りします。

住所宛ての手紙か、下記のメールアドレスにお願いします。

e-mail   ******@*****.****.****

この回答郵便の内容はコピーして保管するとともに。ウエブなどに発表することもあることをご承知ください。

             _____________________________________________________________________                                                                

どうにも理解のしようのない話 大分県教育委員会の既済用教員の取り消し処分

2008/08/30

採用試験の評価点数を改ざんをした教育行政側の管理職が解雇処分になっていないのに、弱い立場にある新採用された人物だけが裁判なしに一方的な内部調査で解雇処分される。こんな事があたかも正義であるという感覚.メディアの反応も見る限り最も大切な基本的な人権問題に切り込んでいないようだ。

教育委員会は、いろいろな評価方法で新規採用する人物を評価し採用する法的権力は任されているが、教育委員会自身の調査結果の証拠だけですでに採用されている者を解雇する法的根拠はないように思う。カンニング行為などのような本人の不正行為と違い、問題の採用試験の結果改ざんは、本人の力が及ばないところで行われた結果であり、たとえ本人自身が教育委員会に働きかけても実現できる不正行為ではない。処分される側から見れば、答案の採点結果を知らされているわけでなし、まして同時に受けた受験者の順位を知らされたわけではなく、教育員会から採用通知を受けただけである。該当者は、採用前に教育委員会に呼び出され、おまえは本来ならば不採用になるところだがこれこれしかじかの理由で採用すると「不正採用であることを知らされ」同意したのであろうか。

法治国家では、本人の責任で起こした不正行為に対し処分されるのが大原則であり、本人の手が届かないところで行われた不法行為の結果を根拠に不利益処分されるのは法律違反ではなかろうか? 法曹界やメディアからこのような非論理を指摘するコメントがないのは理解できない。該当者が訴訟を起こさない限り問題にされないのは正義に反すると思うがどうだろう。それよりも狡猾な官僚の言い分、「処分ではなく依願退職でございます」と云う声が聞こえてきそうだ。

これを読んで、なぜそんな難しいことを考えるのかと感じる人があるかも知れないが、それは他人事だと思っているからで、自分が該当者に立たされた場合、不合理を訴え理解してもらえるところがないことに思い起こしてほしい。

戦争と人権

2008/08/24

戦後65年今年も8月が終わろうとしている。マスメディア恒例のの日本の戦争特集も出尽くした。

戦争体験をもつ世代は、幼児体験しかないものも含めて70歳以上となった。召集され戦場で戦った経験者、父親を戦場で亡くし食糧難の時代に母親に育てられた世代、沖縄などの占領された地域での民間人の悲劇、初等教育期間に教育を中断され、全く価値観の正反対の教育を受けて育った世代、この事実を次世代に語り継げることで戦争の抑止力とするのは大切であることは言うまでもない。しかし、「唯一の原爆被害国」に象徴される、誰にも異論のない被害者情報だけを強調することで戦争抑止力につながるだろうか。

戦後63年間、武力行使による戦争に参加しなかった日本と、3度も大きな戦争を起こしているアメリカとどこが違うだろう。特にベトナム戦争では、アメリカ社会の価値観まで変え、混乱を生み損失ばかりで無益な戦争であったことに大部分のアメリカ人も異論がないにもかかわらず、ベトナム敗戦当時学生の世代であった現政権が、疑わしい情報を利用してまたも戦争を始めたのはどうしてだろう。

その一つの原因として徴兵制度の違いを考えてみた。

日本では、戸籍が国家制度としてあるために、われわれの出生の記録や家族構成が統一的に把握されており、国家権力側がそれを利用して徴兵することができる。事実、”はがき”一枚でだれもが徴兵された。太平洋戦争時代には、徴兵拒否は言うまでもなく、国家権力に背いた場合、親兄弟は云うに及ばず、親戚まで社会的な制裁を加えることで体制をコントロールしていた。日本人には、外敵からの脅威の他に、深層心理の中に、自国の国家権力の暴走の恐れを感じ取っているのが9条放棄の抑止力となっているのではなかろうか。

アメリカの場合、1960年代後半ベトナム戦争が激化して徴兵制度が敷かれたが、戸籍がないので国家が一方的に徴兵する手段はなく、該当年齢の者が居住地で徴兵組織に自己登録することになる。登録しても徴兵を免れる条件がいろいろあり、たとえば、大学、大学院の就学中であるとか、結婚して子供を育てている場合、外国に留学する資格を取った、州兵の兵役に登録されているなど、ビル・クリントン、ジョージ・ブッシュJrなどはそのような手段で免れたと云われている。云いかえれば徴兵適齢期に、高等教育を受ける期間中であったり、高度な資格を持っていたりして社会にとって貴重な人物と評価される条件があれば戦場に送られないシステムである。悪く言えば、社会的に取り得のない人たちが徴兵されると云うことである。したがって、現在の社会の指導的階級である高学歴の人たちの大部分は兵役とは無縁の人たちだったと云えるかもしれない。

ともあれ、戦争に突入するキーワードを考えてみると。

1. 宗教や社会的価値観の違いが生む人権無視の行為。

2. 政治の権力抗争、経済の利権争い。

3. 情報の遮断または統制。

4. 情報操作による誘導。

5. 社会の緊張度を高め政治権力の安定を図る。

6. 教育程度の低さによる無知。

7. 軍隊の雇用効果。

8. 兵器の保守点検と、新兵器の効力検証、軍隊の訓練と規律保持。

ちょっと取り上げてみても数多くあり、これらの要因が単独で戦争にまで至るのではなく複合した結果であろう。

では抑止力としてはどんなものがあるだろうか。

1. いかなる理由があっても人権を無視することは許されない。戦争の根底には人権無視がある。

2. 教育によって、宗教、社会の価値観などの多様性を理解させ、異文化との寛容性を高める。

3. 情報の自由の確保と、情報を分析する能力を高める教育。

4. 直近半世紀の歴史を、議論から逃避しないで判断や価値観の多様のまま教育する。

5. 教育と社会制度や経済の平等感を高める。

6. 戦争被害状況の情報開示。

なんとなく抽象的で具体性に欠けた方策しか思い浮かばないのが残念である。

専門の学者から見れば欠点だらけの議論かも知れないが、全く当たっていないとも思われないがどうだろう。

保護者による小中学校の信頼度 素晴らしい評価

2008/07/26

朝日新聞の記事によると

学校に満足  76%;  先生を信頼  56%;  先生の教育熱心さ 64%    今年3月全5千人余りのアンケート回答結果の集計から。

教育委員会と政治、一部の管理職との間で起こった不祥事から、学校に対する不信感をあおる感のあるメディアニュース主流の中での明るい話題。

先日のブログに書いたように、日本の社会は、教育現場だけにかかわらず、平均的に見て、現場の公的サービスにかかわる職員は正常な倫理観を持っており、職務熱心で、些細な汚職事件が少なく、信頼されているという直感が当たっていたように思う。それに反して、組織内の競争を生き抜いて管理職にのし上がった、エリートと云われる一部の高級管理職の一般社会常識と正義感の欠如した事件がが目立ちすぎる。

この意味においても、教員や管理職の採用・昇進に試験点数万能主義ではなく、たとえば、無作為に選ばれた保護者の面接評価などを含め、多様な段階での評価が必要であることも明らかになったように思う。試験についていえば、誰が、何を評価する目的で作成したのか、問題をはじめ採点基準、得点分布まで公表し透明化されたものでなければ単に得点の順位だけを重視しても意味がない。

上記の世論調査は、大分の教育委員会スキャンダル前の調査であり、今行えば、マスメディアの論調の影響を受けて変わったものになろう。

日本社会の健全さを示す良いメディアレポートとであろう。