ドライブレコーダーを全車に トヨタの株主総会で提案
交通事故遺族の会員がトヨタ自動車の株主となって全車にドライブレコーダーを標準装着するよう提案すると云うニュース。
現在、運送業界などで使用しているドライブレコーダーの機能は知らないが、カメラ映像やスピード記録と云った道交法違反かどうかを確認するためのものだったら、運転者にプレッシャーをかけ、交通渋滞を助長するだけで意味がない様に思う。
現在では、3軸加速度計の機能を持ったICが実用化されている。このような加速度計を組み込んだコンピュータの開発のより、危険運転を事前に察知する機能を持ったレコーダーは、カーナビ程度の価格で開発可能と思われる。
飲酒運転の防止のために、先進各国ではいろいろな方策が考えれれているが、車の加速度状況を分析することにより不安定な異常運転をかなりの精度で検出できると思う。この様な装置は、泥酔運転だけでなく、医薬品の一時的な副作用による運動障害、病気による身体的機能障害、過労や居眠り運転の警告など、また、年齢で一律に課せられている有料の高齢者講習も意味がなくなる。このような汎用的な機能を持つ装置について、大学などの研究機関で総合的なソフトウェアーの開発を試みる価値があるように思う。
以前に、このようなドライブレコーダーについて、トヨタ自動車に意見を送ろうと書き、Webを探したが、一般的な意見や要望を聞く箇所が見当たらなかったのでそのままになっている。
以前に書いた記事: 2008/11/21 自動車にもドライブレコーダー(EDR: Event Data Recorder)を
臓器移植法改正案と審議中の国会議場風景
臓器移植法案審議開催中の国会の様子をテレビで見た。メディアの習性で、視聴者の興味をそそる映像だけを編集して放映していることを割引しても、人の生死に係わる法案の審議の場面とは思えない緊張にかける風景であった。このような高度の知性を必要とする問題に関し、審議する能力も理解力もはじめからない議員が多く、自分の支援団体の利権に係わりのない議案に興味がない。顔が見えない状況でみんなと同じように投票すればよいぐらいの考えであろう、議場は休憩か、雑談の場となっていたようだ。
ただ一つ、議員にとっての難題は、この議案に対しては党議による拘束をかけないということに自民、民主は決めていることだ。法案も4法案同時審議であるようだから自己責任が求められる。議員一人ひとりの投票行動の結果の名簿をリストにして公表してほしい。この議案に対し、無記名投票でなければ公正な議決にならないと云う理由はないだろう。だれにとっても、どの利益団体にとっても利害関係がない、基本的人権に関する問題である。
税金をどう分配するかには無関係な、このような議題に国会議員の大部分の人たちは興味はないし意見もない、だからと云って、すべて廃案にしたり、先送りするのも議員としての無能力さが指摘される。議案は、本来与党の意向にしたがって、各省庁が官僚に指令し一つの法案に纏め、提案するのが内閣の指導力で、今回のように、議員個人の判断を求められるのは迷惑だと云うのが本音の様に見える。
何れにしても、このような問題で統一的な一つの法律を作ることには無理がある。一つの仮想的な方策として道州制が考えられる。各州で法律を決められるとすれば、たとえば、「北海道」州では、年齢にかかわらず脳死を認め、脳死者からの移植を合法とすることが成立したとすれば、移植を望む人は住民票を移せばよい。これに個人の信条として承服できない人は住所を隣の「奥州」州に変えればよい。
この問題に限らず、判断や選択を統一するのに十分な根拠がない問題は道州制の運営により、日本国内でいろいろ実験が出来、結果を事例に基づいて判断し、より適格な法律の根拠を得ることができるであろう。
「実験」とは不見識だと云う言葉尻だけのおしかりを受けそうだが、個人の生死にかかわる医療行為を、「根拠もなしに仲良くみんなで拘束する」この方がよほど無責任と思うがどうだろう。
一つの国の中にいくつかの政府があることをイメージできない人も多いと思うが、1960年代、アメリカでは法的に離婚が認められる条件が州によって異なり、アイダホ州は離婚を認める適格条件の多い州であった。この州の北部、長期滞在するほどのリゾート地でもないコードレーン湖のほとりにモーテルの多い地域があった。その理由は、合法的な離婚のためと聞いた。この州の法律の適用を受けるためには、居住を移してから4週間か8週間か忘れたがある期間滞在しなければならなかったからである。
6月18日追記 上の例は、人の生と死に関する問題とは次元が違うという印象を与えたかもしれないので追加する。
終末期医療と死亡選択遺書について 2006/10/31日に書いた記事で、アメリカの2,3の州の法律を列挙した。このように各州でそれぞれ異なった取扱いをしている。
1960年代 日本の科学、芸術文化が世界に進出した輝かしい時代
小澤征爾さん予定をキャンセルしてパリで入院のニュース、しかし夏のサイトウ・キネン・フェスティバル松本では指揮の予定とあった。昨日の内田さんの明るいニュースとは違うがまあ一安心である。
また古い話になるが、1968年夏のシーズン、小沢征爾さんのアメリカ時代、サラトガ・パフォーミングアーツセンターでのプログラムが出てきた。
小澤さんの指揮で武光徹さんの November Steps がプログラムに載っていた。琵琶、尺八とオーケストラのダブル コンチェルトと解説してあった。残念ながらこのコンサートには行かなかったが、小澤さん指揮のチャイコフスキー Festival Overture, “1812” には出かけた記憶がある。終章で大音響の鐘の音とともに、指揮者と電気的に同期された本当の大砲を使った派手な演出で、アメリカ人聴衆の大満足のコンサートであった。
今年の松本でも武光徹のプログラムがあるので出かけたいと思っているが、残念ながら第一次のチケット予約は終わってしまった。二次予約はミスしないよう気をつけよう。
昨年のノーベル賞受賞ラッシュ、そして昨日の内田さん、小澤さん、1960年代に若い世代であった人たちである。
サラトガ パフォーミングアーツ センター SPAC ニューヨーク州 http://space-glow.spaces.live.com/blog/cns!A841E9CE14183CB0!3517.entry
内田光子さん イギリスでディムの称号を与えられる
このブログ、2007年8月1日 マルボーロ音楽祭 MARLBORO Mushic の記事に書いたように、彼女が音楽ディレクターをしているこのカレッヂの音楽会で、中休みの時に家内と一緒に直接声をかけてもらうことができた。
また同年8月5日には、ニューヨーク州カラモーアでベートーベン最後のピアノソナタ30,31,32番(Opp.109,110,111)の3曲を選んだピアノリサイタルを聞いた。カラモーア クラシック音楽シーズン最後のコンサート Caramoor Center for Music and the Arts 内田 光子 Mituko Uchida
昼のニュースで受賞のニュースを聞き感慨深いものがあった。内田さんのモーツアルトソナタ全集のCDは何年も前から何度となく聞いて知っていたが、カラモーアのコンサートと同じ曲目のCDが発売されていることが分かり、帰国後購入してこのCDも時間がある毎に聞いている。MITSUKO UCHIDA Beethoven Piano sonatas,Phillips.
彼女の演奏は、非常に学究的で知性の高い音楽と思う。 おめでとうございます。
マルボーロ音楽会で若いアーチスト会話する内田さん
内田さんの向こうは同じく音楽ディレクターのリチャード・グーディーさん
研究者を海外へ いまだにどうしてこうなんだろう文部科学省の認識
新聞によると、文部科学省は若手研究者を中心に、1ヶ月以上海外研修に補助金を出すという。言葉の上では良いことのように見えるが、本当に意味があることであろうか。税金の無駄遣いのように思う。
1ヶ月であろうと、3年間であろうと日本の政府のお金でそれぞれの留学先でお客様として外国の大学に滞在していたからといって、その組織での第三者的立場では、研究成果も期待できないし外国事情も本当のところ分かることはない。
成果を上げるには、留学先のそれぞれの大学、研究所の正規の大学院学生、研究職員、教育職員としてその組織の一員としてでなければ、所詮そこでのお客様でしかない。
アメリカ・カナダの例であるが、外国人であってもビザの資格が適法ならば、大学院生では一般にハーフタイムの助手の給料が支給される制度があり、研究職、教育職等の場合、年契約などで臨時職員としてフルタイムの給料が出る。このように、留学先の本国人と競争的立場で地位を保持できる能力、給料並の成果が期待され、その社会に組み入れられて、それらの人々の協力を得て初めて研究成果が得られるばかりではなく、研究行政システムや管理システムなど、また留学先の研究者との人脈などが出来るものである。助成金はこのような能力を持った人に限り、航空運賃や、家族の(場合によっては)二重生活のための経費の補助の意味で支給すべきである。
1950~60年代、日本の国立大学では、研究者や教育者として外国の機関から招聘され、先方で支給される給料の契約書と、学会などの公的資金で外貨の渡航運賃の支給証明書があれば現職のまま留学することができた(一般人が外貨を取得できない為替制度のため)。期間は制度上最高3年(医学は4年)であったと思う。もちろん現職出張の取扱であるから日本での給料も保障され、帰国後の職の心配もなかった。これらの制度で海外に渡った多くの人たちは現在60代後半か70台以上の世代であるが、一部の人たちは帰国しなくて渡航先の国に貢献した人もいるが、帰国した人たちは日本の学会や企業の国際化に貢献した力は大きいと思う。これらの人々と、勤勉な当時の人々が、敗戦後ゼロから世界第二の経済大国を作り上げる大きな力になったのである。
経済の拡大に伴い、外貨為替の自由化となり、誰でも私費で外国に滞在することができるようになり、資格も、成果もなしに単なる外国生活を留学経験として経歴に書いているような現世代の政治家、それらお坊ちゃまやお嬢様、国費で短期留学をした高級官僚たちの時代にそぐわない発想の補助金でしかないように思う。
オバマ大統領の勇気 イスラム文化の尊厳を認識した演説
冷戦時代の共産主義狩り、9・11以後のイスラム系の毛嫌い、アメリカ社会は自分たちの社会基盤としている価値観と異なる文化に対する反感は激しい。
オバマ大統領のカイロでの演説は、単に、格調高いとか正義の理念だけのものでなく、現在進行中の紛争や、宗教対立に立ち入った具体的な問題に対して明確な意見を述べている。本人も演説で言っているように、これが実現できることこそ今後の彼の課題である。
昨年の経済崩壊で、アメリカの社会・経済を牛耳ってきた高額納税者層が自信を失い鳴りをひそめている束の間が、オバマ大統領が大胆に実績を上げることの出来るチャンスであろう。就任半年弱、オバマ大統領の自信に満ちた演出、前政権までのアメリカの世界戦略を否定する演説と見た。
自動車運転免許業務は消費者庁へ
今の日本の道路交通事情は、欧米先進国と同じように、成人の殆どが運転免許を持ち、自動車交通を生活に利用している現在、昔ながらの、職業運転手を管理する感のある運転免許業務ではなく、一般市民サービス業務に移す時期に来ているのではなかろうか。
今日の自動車交通システムは、法規をはじめ、道路のインフラ、信号・道路標識など、多様な利用者の総合的な社会的合意のもとに運営されるものであろう。
警察庁が運転者管理を一手に担っている現在の方式に弊害はないとの意見は多いと思うが、これは、我々自動車運転者が一種の犯罪予備軍のような扱いを受けているのに慣らされているからであると云ってもそれほど過言ではないと思う。交通法規の細かい規定が、事故後に運転者の責任を立証しやすいように、また効率的に事故処理がしやすいとの意図で設けられ、運転者の側に立っていない面が多いように思われる。
自動車事故の場合、泥酔運転や一部の無謀運転を除き、事故に関与した者全員の不幸な災難と見られる。人間工学的には過失は避けられないもので、たとえ過失による間違いを起こしても、事故になる確率や、不幸にして事故になっても人的被害の出来るだけ少ない道路インフラや、信号システム、道路標識など、科学的研究に基づいて改善すべきことがなおざりにされている。これは、事故において道路管理者側の責任が問われた事例が皆無であることを見ても分かる。
警察庁は、法律や法規を執行する組織であり、法規の立案権はないはずである。これは社会的合意による政治の役割であるはずであるが、現実には道路交通法に関してはこの分権制度があいまいになっているようにみえる。
先進民主主義国で、運転免許業務をはじめ、道路交通管理の全権が警察にあるのは日本だけであることの弊害を考えてみてもよいだろう。国際的に比較して異常な経費のかかる車維持費も不思議である。
ブルー・へヴン 青色系バラ 花フェスタ記念公園を訪れて
岐阜県可児市のバラのテーマガーデンの青い庭に植えられている河本バラ園作成の青いバラを見てきた。
青いバラ。桔梗や、菫の色にはほど遠いが、青いバラとして認められているようだ。ばらの色は、季節や天候によってかなり色が変わるので似通った色のバラは自宅にもあるが、色素の分析等の科学的検証の結果このバラが青いバラとして公認されているのであろう。
植えられて公開されていたのは写真の2株であった。撮影は、ソニーのサイバーショットT700,オートの近接撮影で行った。撮影時は、空が白く見える軽いうす曇り状態であった。撮影記録を見ると色温度5000度K程度になっていたので、全画像を6000度Kの色温度の光源に相当する画像に一律に変換し以下に表示した。
サラダのおいしい季節 ハーブの花
サラダが美味しい季節、ハーブの花を写してみました。花を食べられるハーブや、オリーブ油に漬ける用途もあるようです。
カナダの夏、田舎の町のレストランでびっくりする程おいしいいサラダに遭遇したことがあります。サラダの材料は採りたてが大切です。オーストラリアパースのグローセリー・ストアーで、サラダの材料のパケージに当日に採集した時刻が書いてありました。夕食にサラダを作りおいしくいただき、残りを翌朝食べようとしてあまりの味の違いに驚きました。
日本や、アメリカの大都会のレストランではサラダが美味しいと思った記憶はありません。おそらく材料を遠くから運んできているからでしょう。ヨーロッパの夏、田舎のリゾート地では、おいしいサラダとよく管理され食べごろの地元のチーズとワイン、至極の時です。 
私の知る限り、朝食にサラダが出るのは日本だけのようです。普通朝食には果物が準備されています。宵越しの野菜のサラダはおいしくないということでしょうか。
イギリスにもいた ”さもしい” 議員
英議会下院で住宅手当を巡る不明瞭な経費請求が常態化していた問題で、マイケル・マーティン議長(労働党)は辞任すると表明した。事態への対応を誤り、責任を取らされた事実上の解任と云うことのよう。野党・保守党のキャメロン党首は国民の政治不信を背景に、「事態収拾には解散しかない」と訴え、解散・総選挙まで行くか?
聞こえてくる話は、公金でペットのえさやガーデニングの費用を支払ったとか、”せこい” 高官は日本だけではなかった。見方によっては、指導者階級の庶民化の結果で、すべてが悪い現象でもないかもしれない。日本に似通ってきたとも云えなくもない。事態の行方を見ていこう。








