私の運転スピード分析
自宅から郊外の一般道路、自動車専用道路を走ったときの15秒毎の速度サンプリング記録の分析を行ってみた。生活道路や商業地は含んでいない場合である。
走行した道路は、長良川堤防道路(規制速度40km/h)、名神・東名高速(規制速度100km/h)中央高速・長野道(規制速度80km/h)、一般道(規制速度40-60km/h)、東海北陸道(規制速度80km/h), 名古屋高速(規制速度60km/h)など、総計25時間の走行について実行した。
右のグラフは全行程の速度サンプリングの頻度をとったもので、このグラフから以下の3っつの部分にわけて考えることができる。
① 停止中および、発進、減速中の20km/h以下の頻度
② 一般道路走行の速度分布
③ 自動車専用道路での速度分布
速度20km/hm以下の過渡的な状態を除いて、一般道路(郊外)と自動車専用道路の速度ヒストグラムを示すと、
一般道路では最高速度80km/h以下、85th%タイル速度約60/km/h, 自動車専用道路では、最高速度130km/h以下、85th%タイル速度約100km/hと見られた。
日常的に車を利用されている方はこの結果をどうみられるでしょうか。私の経験では自動車交通先進国での平均的走行ではないかと思っています。
アメリカ大陸横断記録 41年前の手帳を見つけた
1968年5月、アメリカ、 アイダホ州・モスコーよりニューヨーク州・オーバニーまで、引っ越しのため車に入るだけの荷物を積み込んで一人で運転して移動した。走行距離は4670km, 5泊6日の旅だった。途中イエローストン公園を見たかったのでアイダホの山岳道路、アメリカ大陸の分水嶺ロロパスを越えた。2年半生死を友にした車:Studebaker Lark8,8気筒4,250 cc.
| 出発地点のポイントマーク | 日付 1968年 |
一日の走行距離 km |
平均速度 km/h |
| A | 5/18 | 438 | 50 |
| F | 5/19 | 596 | 52 |
| I | 5/20 | 1037 | 77 |
| O | 5/21 | 986 | 93 |
| R | 5/22 | 1015 | 106 |
| T | 5/23 | 597 | 96 |
| U | 終着 |
平均速度は食事や給油の時間も含めたもので、ポイント(I)のモンタナ州から(O)のノースダコダ州では一日14時間余り運転したことになる。平均燃費は7.2km/リットルであった。
ちなみに、グーグルマップの道案内で見ると、この行程の道路距離は4610km, 現在の道路では所要時間2日と3時間、これを平均速度に換算すると90km/hとなる。41年前、モンタナ州のI-90でも対面交通区間があり、双方向分離方式のハイウェイは50%ほどしか完成していなかった。
日本では、やっと名神・東名が完成した時期に当たる。
エコタクシー 相乗りタクシー ゾーン料金制
先ほどのテレビでタクシーの相乗りサービスの話題が耳に入った。詳しいことは聞いていなかったが、公共交通期間の中でタクシーは、エネルギー、労働効率ともに非効率の代表的な交通機関であろう。とはいっても都会ではなくてはならないことも事実である。
そこで、一つの実例としてアメリカのワシントンDCがある。ここのタクシー料金は距離制ではなく、ゾーン制をとっている。地域毎にゾーン区画し、その間の通過数により料金が決められている。そして込み合った駅のタクシー正規乗車場では、配車係が同じゾーンの乗客を呼び掛け、まとめて運行しているのを見た。料金が単純なので割り勘が簡単である。
駅で並んでタクシー待ちを経験した人なら、列の前に並んだ人が3人ぐらい同じ車に乗るのを見ると助かったと感じたことがあるだろう。
私が見た限り、ワシントンDCでは、タクシー待ちの列の先頭の人の行き先ゾーンを呼び掛けて2、3名出れば乗車させる、別に融通の利かない制度とかシステムがあるのではなく、一人で乗車して行く人もあり配車係の裁量に任されているようだ。
乗客にとっては、行列が早く縮まり料金も安くなる。運転手は一回の走行でチップ収入が多くなる可能性が大きい(チップも割り勘にする習慣があるかどうかは知らないが、一般に料金の20%程度と思う)。
日本のようにチップ制度がない場合、10%程度の割増料金も考えられる。規制当局も、微に入り細に入り法規を盾に規制するのではなく、エコにも注目する時代に来ていると思う。
補足 アメリカは不思議な国で、古い習慣や制度に固執する傾向があり、たとえば度量衡制度でも、国際協定に従って、古いヨーロッパをはじめ殆どの工業国が、メートル、キログラム制をとっているのに、アメリカだけが、マイル、インチ、ポンド、ガロンなどの単位を守っている。ワシントンDCのゾーン制もタクシー料金メーターのなかった時代の名残かもしれないが、とにかく生きている。
85th Percentile速度、実勢平均速度と法定速度との関係
日本 参考資料: 平成20年度規制速度決定の在り方に関する調査研究PDFファイルのp.84,85から読み取ったもの。
| 調査道路 | 規制速度 | 実勢平均速度 | 85パーセンタイル速度 | 規制速度からの85%タイル速度の超過速度 |
| 中央自動車道 | 80km/h | 80-90km/h | 110km/h | 30km/h |
| 阪神高速道 | 60km/h | 80-90km/h | 100-110km/h | 40km/h 以上 |
カナダ オタワ市内
| 規制速度 | 85th percenaile speed | 規制速度からの超過速度 |
| 50km/h | 84km/h | 34km/h |
| 60km/h | 85km/h | 15km/h |
| 80km/h | 85km/h | 0km/h |
アメリカ メリーランド 市内
| 規制速度 | 85th percental speed | 規制速度からの超過速度 |
| 40mph(64km/h) | 45mph(72km/h) | 8km/h |
以上を見てわかることは、日本、カナダでは規制速度は運転者にとって無視されていて、道路の状態で各運転者が走行速度を決めていることが分かる。特に日本の場合自動車専用道路にもかかわらず法定速度がその実情に会っていないことが分かる。
カナダの場合、市内でもあり、各自が判断している適正速度は規制速度に無関係にほぼ一定である。
上記二つの例から、法定速度を引き上げると実勢速度がますます上がるという議論が間違いである証拠ともいえる。
アメリカは、規制速度違反が厳しく検挙されるので、速度違反の程度が小さいことが分かる。
ヨーロッパのデータを見つけていないが、一般にスピードカメラで10km/h以上超過した場合罰金を請求してくることから、規制速度と実勢速度との乖離が小さいと思われる。これを日本で行えばおそらく80%程度の運転者に違反罰金を請求しなければならないだろう。
日本の自動車専用道路で法定速度を守って走行することは、重大な危険を覚悟しなければならない。同一車線内の速度差が30km/h以上になると事故発生率が増加するデータがある。死傷してから自分は正しいと主張しても意味がない。このことについてはもう少し分析して見よう。
道路を運転していて最も不合理と思うことがスピード制限の設定値と、大部分のドライバーの実勢速度の乖離である。このことは普通の運転者ならば誰でも体験しているが、取り締まり当局はこれを修正しようとしない。警察庁はデータを持っているはずだが意図して知らないこととしているように見える。
以下に示す報告書が、調査研究検討委員会の名前で発表された。
平成20年度 規制速度決定の在り方に関する調査研究」 報告書、 平成21年3月(3/2009). http://61.117.156.245/koutsuu/kisei39/kisei20090402-3.pdf
ただし、この報告書のPDFファイルにはに発行責任組織の明確な記入のない欠陥文書だが警察庁の文書のようだ。
85パーセンタイル速度とは、晴天で前に遅い車がない条件で、運転者が自分の判断で走行するスピードの速度分布を取ったとき、その85%のドライバーが走行する速度の上限値のことである。この速度は平均実勢速度よりさらに速くなる。
85th Percentile Speed: http://en.wikipedia.org/wiki/Speed_limit#85th_percentile_rule
アメリカのメリーランド州や、カナダの町では、実勢とかけ離れた制限速度をこの85th Percentile Speed を制限速度に設定しようとする検討が進められている。
日本の場合、速度制限は道路の管理規格で決められているようにみえる。地方では道路に歩道や信号が完備され、その上歩行者や自転車は殆ど通っていないところが多い。しかも片側3車線の道路でも最高速度60km/hと一律に決められている。これは社会的な不当行為ではないだろうか。
① 実勢速度が、法定速度の10~20km/h上である現状では、大部分のドライバーにとって法定速度は運転に必要な情報にはなっていない。
② 法定速度との乖離を認める行政は、社会倫理に反するばかりか、速度違反を奨励すことにもなる。
③ 職業や生活手段として車を利用している運転者の大部分を犯罪者にすることにどんな合理性があるか。
④ 少なくとも罰金の算出にはこの85パーセンタイルからの超過を基準にしたらどうか。それ以下は警告チケットにする。
⑤ 欧米では、郊外の完備された道路では対面交通区間でも法定速度は90~100km/h程度である。
その他、 取り締まり当局からは、日本人は運転マナーが悪いから法定速度を上げたらさらに高速危険運転が増えるという声が聞こえることは明らかだが。あなた方は自動車先進国の国々で自分で運転したことがあるであるでしょうか?(少なくとも1国当たり2000km以上)。私はアメリカ、ヨーロッパ、オセアニアなどで10万キロ以上運転経験があるが、日本人が特にマナーが悪いと実感したことはない、むしろ順法精神はある方と思う。グローバルな時代、現実離れした「おとぎ話」を作って勝手なキャンペーすることはやめにしよう。
警察庁に送った車間距離に関する道路交通法案に関すす意見の記事の参照数が急に増加した疑問
2009年3月 車間距離の保持に関する道路交通法改正案についての意見を警察庁に送った。その全文を「車間距離の保持 道路交通法改正案について警察庁に送った意見」のタイトルでこのブログに書いた。その参照数が9月に入って下のグラフのように急激に増加した。投稿後の平均月当たりの参照数は10程度であったのが、9月の総参照数は220で他のどのタイトルより際立って多かった。
この現象は別のブログでも見られ、Niftyウェブリブログで道路交通関係のタイトルだけを集めたブログ ”Drive Safely” を公表しているが、このブログでも下の表のようにこのタイトルの記事のアクセス数は一番多くなっていた。
| 順位 | ブログ記事のタイトル | 参照数 |
| 1位 | 車間距離の保持 道路交通法改正案について警察庁に送った意見 | 131 |
| 2位 | 高齢者の自動車事故率は年を追って減少している | 99 |
| 3位 | 運転免許更新筆記テストを受けるための練習テスト カリホルニア州の場 | 79 |
| 4位 | 高齢者運転事故について警察庁交通局データより | 52 |
| 5位 | 欧米諸国の昼間点灯走行の現状と警察庁交通局の報告 | 34 |
| 6位 | 右折信号の安全なタイミング | 32 |
| 7位 | 高齢者運転講習の不合理 | 30 |
高速道路を乗用車で走ったことのある人ならば、追い上げてくるトラックの恐怖の経験があるのは私だけではないと思うが今に始まったことではなく、どうしてかわからない。
警察庁に送った意見の全文を以下に再掲します。
「今回の改正は、車間距離の保持の法文の改正ではなく、罰則の変更だけのようですがこれを読んで、実際との違いに違和感を持ちました。 高速道路を走っていると、後ろにラジエーターグリルしか見えないほど接近して迫ってくる人殺しトラックの恐怖に駆られることがある。どうしてこんな危険な走行を検挙しないのか不思議に思ったことがたびたびある。
今回、偶然道交法改正案の車間距離の保持と云う条文を見て驚いた、第二十六条「・・・・・、直前の車両等が急に停止したときにおいてもこれに追突するのを避けることができるため必要な距離を、これから保たなければならない。」、これでは事故が起こらない限り、いくら車間距離を取らないで走っても道路交通法違反の証拠がつかめないと云うことではないか。これが、車間距離不足で走っても摘発されない理由と分かりました。
このような表現は、法律の条文の常識かもしれないが、道交法の場合抑止効果がなければ意味がない、速度違反はその趣旨であると理解しているが、高速道路での車間距離不足は、速度違反に勝る重大な危険の恐れが大きい走行と思います。
アメリカでは一般に、車間距離不足には違反切符が切られる、車間距離は、走行速度により車体の長さの何倍必要かにより決められていたと思います。現実には違反走行かどうかの判断は難しいと思いますし、摘発後の面倒を承知の上である程度警官の裁量に任されているように見ました。
交通事故は、他の犯罪と違い、当事者間のヒューマンエラーの重なりが原因で、ある確率で起こる可能性があり、お互い様である場合も多い。道路交通法は、事故が起きてから責任を追及し検挙しやすいためにあるものではないだろうし、まして事故のたびに犯罪者を作るための法律ではないと思います。
しかし、高速道路での車間距離不足走行は確信犯でありその行為だけで摘発すべきで、高速での追突は重傷か死亡につながる危険行為であり、実質的に、事故になった場合にしか適用出来ない罰金の増額にはどんな意味があるのでしょうか。」
私のもう一つのブログ、DriveSafely http://spaceglow.at.webry.info/
アメリカでのトヨタ車リコール 昔の体験が頭に浮かぶ
アメリカ仕様でトヨタの高級クラスの車、燃料供給ペダルが戻らないのが原因と思われる死亡事故に伴い380万台リコールのニュース。
直接の事故原因については検証の余地はあるものの、エンジンを切ろうとする場合、従来のイグニションキー(スターターキー)をまわして切る代わりにボタンを3秒以上押し続けなければエンジンが切れない構造という。これが本当の事故原因ではなかろうか。
思い出すのは今から41年前アメリカで働いていたとき、バジニア大学シャーロットビルのキャンパスからニューヨーク・オーバニーのキャンパスに帰るのに、当時完成したばかりの州間高速I-81を選んだ、このハイウェイはアパラシアン山脈の中を通りバジニアからニューヨーク州まで北上する道路で、最初の区間は山岳道路のハイウェイだが、快適な双方向分離式高速道路で走っていて前後に車を見ないほど空いていた。
大学の古いバンを運転していたが、高速に入ってしばらくしてアクセルペダルを踏まなくても時速75マイル(120km/h)程度で走行することに気がついた、最初は山岳道路でもあり長い下り坂と思ったがいつまでも走り続けるので不審に思い、幸いオートマチック・トランスミッション車であったのでシフトレバーをニュートラルにしたところエンジンが高速回転に吹きあがった。それでガソリンの供給が止まらない故障と分かった。夕方でもありガソリンも必要になったのでサービスステーションで修理するため高速から出ることにした、ブレーキを踏んでも止まる保証はないので、出口のランプ付近でニュートラルにシフトしてイグニションキー(エンジンを電気的に切る)を切って惰行運転で出口付近の商店の駐車場に入れたことを思い出した。そこはアメリカでもっとも貧しい州に数えられるウェストバジニアの小さな村であった。予想通りキャブレーターをとりかえることになった。当時の車はガソリンを気化し空気と混合するする機械式の複雑な構造のもので故障の可能性は容易に予測できた。
現在のIC化された車は、もし故障すれば予測がつかない状態になることは容易に想像できる。どんな場合にも最優先で働く緊急エンジン停止キーと、エンジン停止後、暫らくの間パワステアリング、パワーブレーキの機能を保持する装置を装備すべきであろう。
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せっかく築き上げた日本車の安全性が認められている現在、残念な事件である。厳しい国際競争の時代、日本車は先駆けて上記のような安全装置を装備することを期待する。
エンジンが停止できなかった車 バジニア大学ファンマウンテンの天体観測所アクセス道路にて
参考: 日本車の安全性を評価した論文を見つけた
ガードレール2児を串刺しに 道路設置者の責任が最も重大であろう
なんとも言いようのない悲劇。
23日岡山での悲惨な事故、どのニュースの記事を見ても運転していた母親の悲しみを思いやる配慮や同情が見てとれない。我々の社会はどうしてそうなったのだろう。
科学的検証に基づく人間工学では、人間は過失を犯すものであり、たとえそれが自分や親族の命にかかわることであっても皆無ではないことがはっきりしている。このような過失は確信的な犯罪とは区別されるべきである、誰もが遭遇することがある確率事象であり同情すべき災難である。
前にもこのような危険を書いたことがあるが、ガードレールの切れ目を車に突き刺さらないよう曲げて徐々に高さを低くし地面に埋め込んであればおそらく今回の事故は、車がそれに乗り上げ横転したとしてもけがで済んだだろう。最悪の車内に突き刺さることがなかった可能性が高いと思われる。たとえ過失で運転を誤っても死傷を最小限に抑える道路構造を設置し管理するのが道路管理者の義務である。ちょっと手直しすればより安全になる、このような容易に予測できる危険な構造に無関心で放置している道路管理者こそ最大の責任を問われるべきであろう。
いつも外国の例を出すとの声が聞こえるようだが、アメリカをはじめヨーロッパで運転をしていて気がつくことの一つに、必ずガードレールは上記のように埋め込んであり、切れっぱなしで放置してあるのを見たことがない。監督官庁の幹部管理者は公費での外国視察旅行の経験があると思うが、何を見てきたか疑問に思うことが多い。アメリカと違い道路が狭い日本では・・・という言い訳が聞こえてくるようだが、確かにアメリカでも馬車時代の道路と思われる狭い分岐点で、ガードレールが始まる切れ目の前に、高さが十分にありいやでも視野に入る大きな防御板が設置されているのを見た。車交通の経験が長い欧米では、事故を自分のものとして運転を誤ってもできるだけ重大な結果につながらない構造にする共通の社会的合意があるように見える。
交通事故は現代の避けることができない災難であるという認識から、信号方式や道路の安全設備が研究され、出来る限り設置するよう努力している欧米自動車先進国に比べ、運転者への注意事項だけがやたら目につく日本の現状はどこに原因があるのあろうか。
適当な映像が見当たらなかったが、一例として交差の中央分離帯のガードレールの始まりの部分の示す。
首班指名選挙 鳩山博士は自民党議員票を得られるか ?
自民党議員様、談合で決めた仮想首相にに無効な投票するのではなく、投票権を生かし、実現性のある政府を支持し、協調できる政策を強力に実現ようとする発想は生まれないのだろうか。
有権者は政党の投票ロボットを選んでいるわけではなく、自民党議員が鳩山博士に投票するという選択は民意に離反した行為とも思わないがどうだろう。自民党の成熟度に期待する。
末は博士も大臣も
「末は博士か大臣か」日本型のドリーム、このことわざには、博士と大臣は社会的に背反する称号という印象がないでもないが、鳩山博士は間もなくその両方を実現する。
日本では、人物を紹介する時、所属する集団の名前と階級を重視しそれを最初に付けるが、博士の学位には無関心、欧米ではPhDの学位を持つ人物にはDr.の称号を付け、Mr.やMs.とは呼ばない、鳩山氏や鳩山さんあるいは鳩山先生ではなく鳩山博士である。これは差別用語ではないかとの感覚も我々にはあるが、そうとも言えないのは、アメリカでは手紙の宛名は呼び捨ての場合が多い。これを見ても学位は日本的な敬称ではなく人物評価の一つの要素である。
日本ではPhDのような総合的な知的業績を対象にした学位がなく、それぞれの専門職を表す場合が多い(特に医学の場合は医学博士は別にあるが一般には医師免許保持者も同列のように思われている)。理学博士も文系の業績を上げた人を対象としていないのでPhDとは違う。
日本の社会的指導者層の教育程度を上げるためには、文系でも国際的に通用する学位基準を明確にし、文系の学位保持者も名誉博士的取り扱いではなく、職業的資格として評価する時期に来ているのではなかろうか。





