8月15日
朝日新聞中部版の声の欄「終戦特集」を読んで感じたこと。
投稿者の世代を見てみると当然のことかも知れないが、掲載文8篇中、80代2編,70代5編、60代1編であった。いずれも深刻な体験談が淡々と書かれている。
この特集に応募した全員の世代別投稿者数の様子が分からないが、当然この特集課題では高齢者の投稿が多いとは思う。しかし編集者が、意図的に高齢者の体験談を採用したのではないかとも思われる。これは当然のように思われるが、それだけだろうか。投稿者の中に外国人との付き合いで個人的な感情を紹介したものがあった。
私の恥ずかしい経験も書いてみよう。1994年8月に研究出張で韓国の南極研究所に滞在していた時、8月15日、南極では冬であるがその日は天候が安定していた、突然1機のヘリコプターが飛来して、韓国基地の隊長をはじめ数人の幹部が出迎える中、チリの空軍幹部とおぼしき人が制服で出てきて贈り物の箱らしきものを韓国の隊長に渡す光景を見た。私と一緒にこの情景を見ていた、韓国ソウル大学の大学院の博士課程を終了した20代後半の研究者に、どういうことかと聞いてみた、その研究者は、ちょっと躊躇して私に云いにくそうに、今日は韓国の解放記念日(日本からの)で、チリからのお祝いの訪問だとの説明、私の国際感覚のない迂闊な質問に気がつき恥ずかしい思いをした。この日韓国基地では休日であった。
新聞記事などでは、日本と、韓国、中国などとの世論調査で日本に関するいろいろな設問に対する意見の比率などを発表しているが、国民感情は、世代、教育程度、国際感覚等いろいろな背景で変わり、一般的なアンケートの回答数だけの判断は、すべてではないことに注意しなければならない。
戦前戦後の社会の動向を子供の目で見てきた私には、感覚的に敗戦を終戦と表現し、事実を回避するのには抵抗がある。また1960年代後半アメリカの大学で研究者としての職を得て、一部の特殊な人々ではあるが、アメリカをはじめ、韓国、中国(台湾)、インドなどの人と働いた経験から、現在日本の社会の中心となっている世代の人々の多く、特にマスメディアの人々に、国際社会で働いた経験者の視野を持った体験的な理解が不足しているように思う。
重大な人権違反 新運転免許証 強制する要件が無くなった
6月7日にこのブログに発表した以下の意見の続編として再度送りました。
「重大な人権違反 新運転免許証」 として以下の意見を送りました。
受付年月日:2010/6/7
受付ID:0000261765
宛先府省名:内閣法制局、内閣府、国家公安委員会・警察庁、法務省
上記に関連して 再度送ります。
意見: ニュースによると 改正臓器移植法では、本人の提供意思に関係なく家族の承諾があれば臓器提供ができるとあります。この結果、人権保護違反の恐れのある免許証に臓器提供の可否の表示を強行する要件がなくなりました。
以前にも疑問を指摘したように、運転免許条件と関係のない個人情報を免許証に表示を強制することは、憲法との整合性はあるのでしょうか。
先進国では、運転免許は誰でもが生活のために必要であり拒否できない現在、安全な運転能力と全く無関係な個人の心情を強制的に公示させるのは憲法に保障された人権違反と思います。
このようなことが続かないためには、運転免許行政を、他の民主主義先進国と同じように、警察庁から完全独立した地域生活サービス行政の組織に移し、住民の合意形成を密にして運営すべき時期ではないでしょうか。
高齢者マークの例もそうですが、実行不能な不合理で勝手な法令を発案し強制する暴挙は先進国のすることでないと思います。
市川 敏朗
日本の世代別生産年齢層のGDPと社会貢献度
高齢化時代に入り生産世代の負担が耐えきれなくなると云う社会認識が常識化されている。日本の社会資本が皆無に近かった敗戦時1945年からの人口1人当たりに換算したGDPの推移と生産年齢人口の関係を調べてみた。
年齢別人口の推移と将来の推定値は 国立社会保障・人口問題研究所のデータを用いた[1]。このデータでは年齢層区分を0~19歳、20~64歳、65歳~74歳、75歳以上に分けて表にされている。20歳~64歳を生産期間とし、19歳以下を養育・教育期間、65歳以上を高齢社会補償期間に分けて1940年から2050代までの推移と予測値をグラフにしてみた。これを見ると、生産人口と非生産人口の関係が反転するのは2040年過ぎで、1940年代の状況と似てくることが分かる。
GDPについては、1人当たりのGDPの歴史的推移「社会実情データ図録」[2] を用いた。この表では、GDPを、購買力平価で換算した実質ドルで表されている。
上記の二つのデータから、生産期間中(20歳~60歳までの40年間)世代のGDPの増加に寄与した1人当たりの金額を10年毎の世代別に換算し、グラフにした。
これで見ると世代による社会への経済的貢献度の違いを以下のように分析することができる。
① 生産世代のGDP上昇の貢献額は、現時点での年齢層で見た場合、70歳層が最も多く、次いで80歳代、1970年以降に生産年代に達した現在60歳以下の世代では低下していることがわかる。
② 生産年齢層に対する非生産年齢層の比率は1940年代が最も大きく、将来予測では2050年の推定値が同程度となる。
③ 敗戦直後から日本経済のGDPの急激な回復期1970年までは、非生産層(教育期の)の割合が大きかったことが分かる。それにもかかわらず高度成長を成し遂げた世代と言えよう。
④ 養育・教育期の社会負担費と高齢期の社会負担費の人口当たりの違いが分からないと判断出来ないが、歴史的経過を見た場合人口比では、一概に、今後の高齢化社会の維持に生産年齢層の負担が多いとは云えないのではないだろうか。非生産層の社会負担費の統計は無いものだろうか?
高齢化の社会問題がいろいろ言われている現在、世代間の争点にするつもりではない。また、上記の考察が充分と主張するわけではないが、現在活躍している政治家やマスメディア関係の人の多くが、恵まれた成長・養育期間の恩恵にあずかりながら、直感的な迷信にとらわれ、高齢者負担を社会的不公平と見る傾向は、直近の歴史の理解と研究が不足しているのが原因しているように思うがどうだろう。
現在の70歳以上の世代は、多くの非生産人口を抱え、過去の社会基盤も無く、日本の経済発展に貢献してきた世代であると云えないだろうか。
年齢差別撤廃に取り組んだ老年学の創始者ローバーと・N・バトラー博士の死去
このニュースは、昨日「認知症なんでもサイト」三宅貴夫氏 http://www2f.biglobe.ne.jp/~boke/boke2.htm の記事で知った。
残念ながらバトラー博士については知らなかったが、上記の記事とその参照文献から、1960年代はじめから認知症の治療法を含む老人学を提唱、また、年齢による差別と偏見の解消のための総合的な組織を設立し、研究、政策、教育、啓発・広報に大きな足跡を残した学際人であったことを知った。
ちょうど博士が「Ageism」と云う言葉を作り、社会的な高齢者差別・偏見を無くする活動を始められた1968年、私は前後して3年弱、アメリカで生活していたが、その頃印象に残った情景として、公園のベンチなどにうずくまって、会話も無く、何をすることでもない孤独な老人を多く見かけた。
当時、日本では、核家族化は進んでいなく、複数世代が同一家族として生活していて、老人にも役割があってこのような光景は無かった様に思う。
あれから40年、日本の老人を取り巻く家族状況は当時のアメリカに似かよってきたばかりか、世界一の高齢社会になっても高齢者に対する認識は、バトラー博士が活動を始めた1960年代末の状況と変っていないないように思う。特にマスメディアの「高齢者を知的能力の欠如した社会の弱者と見る」風潮は、高齢者の尊厳と人権を傷つけでいることに気付かない、幼稚な歴史観のない知的レベルが原因しているのではないだろうか。
高齢者の交通行政に関する欧米の政府系報告書を見ていると、バトラー博士の信念が浸透しているのではないかと思いあたる。
後ろ向き駐車について 日本だけが なぜ?
またも目立つタイトルの「高齢者が後ろ向き駐車のため後進運転中失敗でパニックになりブレーキとアクセルの踏みちがえ暴走」のニュース。
このような事故は、日本のメディアでは一方的に高齢運転者の欠陥の様な認識だが、無駄な努力を要する後進運転による駐車方法は自動車運転で必要な技術だろうか。
私の運転経験した欧米10数カ国での自動車交通先進国では、前向き駐車が普通で、後ろ向き駐車を要求するのは日本だけのようだ。
確かに、後進駐車方式のほうが狭い駐車場に多数の車を収容するには合理的である。プロの運転者の車置き場等では有効だろう。
日本でも、現在、郊外型のショッピングセンターや、スーパーでダブルラインの駐車スペースや、広い通路、駐車場内の歩行者区分などが完備したところが多く、前向き駐車でも十分なスペースがあるにもかかわらず相変わらず後進駐車が多い。
高齢者や身体障害者用の駐車スペースを設けているところが多くなったが、やはり後進駐車方式が多く、車止めも、後進位置を外すと間をすり抜ける安全無視のものが多い。
運転困難につながる運動機能的な弱点を持った人の駐車スペースは、前向きに侵入して駐車、そのまま前向きに発進出来る単一レーンに設置すべきで、入口に近いからと云って人通りの多い建物の壁際に設けるのが必ずしも機能的な場所とはいえない。
今日、世界の知的水準の高い民主主義社会で大切なことの一つに、すべての人にとって車の運転による交通は、生活と、社会活動の質を維持するために必要なことである。そして、運転の欠陥を補うことのできるインフラの研究と設置が社会の優先事項であるとの認識で一致している[1]。
運転上の欠陥をことさらのように取り上げて、運動機能障害者の移動の自由を妨げるような警察や、メディアの無責任さは、知的水準の低さを示す何物でもない。
高齢者や、身体機能弱者の運転中事故が社会に異常なほど多くの危害を加えていると云う統計上の証拠はなく「うそ」であり、内外のどの科学的に検証された統計にも見られない。そればかりか、これらの人々の最も安全な移動方法は車の運転であることもはっきり知られている事実である。
目立つからと、ことさら運転の欠陥を強調したメディアの交通事故見出し、それを利用してキャンペーンをする警察の交通課、それにより形成された一般の迷信、こんな悪循環が残念ながら日本の非科学的な認識である。
しかしながら、幸い、こんな矛盾だらけの、ストレスの多い交通政策にも関わらず、日本の運転事故率を統計的に見ると、世界の最も安全な国と肩を並べている事実を強調したい。
[1] EU-Rord safety > Elderly drivers > Older drivers > Safety versus mobility and quality of lifehttp://ec.europa.eu/transport/road_safety/specialist/knowledge/old/safety_versus_mobility_and_quality_of_life/index.htm
政府系研究機関の刊行物 「論文引用状況」
16日の朝日新聞科学欄にトムソン・ロイターのアジア各国の研究論文引用回数の相対化指数(世界平均1.0)の例が書かれていた。それによると日本の08年までの5年間の平均は0.98であるが、自然科学系に限れば1以上であるとのこと、うなずける結果ではある。
今まで何回も書いてきたように、日本の交通関係の政府系刊行物(公益法人を含む)は、殆ど参照文献を引用しているものが無く、あっても、自己組織で以前に発表した報告書や、委員に名を連ねている研究者の論文だけの場合が多く、世界的に評価されている論文の引用は殆ど無いように思う。政府系の文書は、根拠を示さなくても信用されるべきであるとの建前かもしれないが、イギリスのDfT、アメリカのFHWA、国際機関IRTAD、等の政府系研究機関の報告書は、科学研究論文と同様に数多くの参照論文を証拠にして議論を進めている。
私の知る限り、自然科学の分野では、研究費(組織)の要求提案の段階で、世界的に流通している信頼されてた論文を挙げながら、どこに着目して新しい研究の発展が見込まれるかを提案する必要がある。まして、世界の既知の事実の参照なしに研究予算が得られることなどあり得ない。そのようにして成果を上げた論文のみが引用されるのである。
日本の自然科学・工学・医学・薬学系を除く他の分野の政府系研究機関の予算はどんな手続きで決まるのであろうか? 科学警察研究所交通科学部の報告書から見ると、予算を得た機関の存続に都合のような資料のみを用いた一方的な報告書で、悪く言えば「自我自賛」の感がある。当然のことながら、これでは国際的な研究機関に参照されないのは当然であろう。
水俣病や、薬害エイズなどの政策で見て来たように、当時の厚生省の委員の選択が、現役の研究者でなく、原案に賛成してくれそうな管理職経験者(大学や学会)を選び、最新の論文を読んでもいないような人物を審議委員にし、責任のない審議会での発言を行政の原案に対する賛成の根拠としていたからではないだろうか。これが、政策の科学的(医学的)根拠の問題となり、訴訟が長引いたり、覆されるような社会的混乱を招く原因になっている。行政の決定の条件として、検証の証拠となる文献の参照が適格になされ、科学的に適切な審議内容が記録に残されていれば、社会的に行政と司法の二重基準を思わせるような大きな不審問題にはならないだろう。
日本では、管理職は偉い人との認識が強く、これらの経歴を持つ人物を並べれば信用の裏付けになる風潮がある。しかし、管理職は”組織運営の技術者”としての職種であって、総合的な判断力の優れた人物と云えない場合が多い。管理職経験者は、議案提案者の意向が手に取るように分かるので、人選を誤らなければ、都合のよいように会議を進めてくれる人材と云えないだろうか。
EUの交通安全報告書の中から。
● 先ず第一に、高齢者を自転車や歩行に追いやることは、これらの交通手段の死亡率が、高齢運転より何倍も大きく、結果的に事故死亡率が増大する、高齢者は乗車中が最も安全であると云うことである。それに、高齢者はすでに自転車はやめている場合が多い。
● 高齢者が運転から別離することは、社会生活の一部からの別離でもある。これは高齢者の生活の質の低下ばかりではなく、社会のためにも良くない結果をももたらす、たとえば、ドアツードア交通を支援する地方自治体の費用負担が増加する。
● 全ての高齢者運転が、不釣り合いなほど他の交通に危険を及ぼしている事実は無い。それよりもむしろ若年ドライバーとの事故により重傷(死亡したり入院したり)させられる被害事故の方が多い。
しかしながら、
● 歳を重ねるにつれ、いつまでも安全に運転を続けられることはない。高齢者の移動の為に、いくつかの代わりのサービスが必要になる。多くの国ではこのようなことをしている。しかし、ただ一つのサービスが全ての旅行を支援できるのではない、型にはまった公共サービスだけではなく、バスの運行ルートや、タクシー、電話(dial-a-ride)による戸別移動システム等の組み合わせが必要となる。
以上は、以下のEU-交通安全研究報告書の要約である。
EU-Rord safety > Elderly drivers > Older drivers > Safety versus mobility and quality of life
日本の場合、
このような総合的な視野に立つ研究を探したが、私には見つけることができませんでした、ありましたらどうかお知らせください。
運転免許行政が警察庁だけで行われている結果、極端なことを云えば、運転免許人口を減らせば事故数が減る、それは明白な事実であり、そのため、事実の証拠を示さない言葉じりだけのキャンペーンで、例えば、「高齢運転事故の激増」(どの統計にも見られない「うそ」)、「運転免許を返納する勇気」など高齢者の生活に無頓着な行政となる。このような批判をしても、警察庁は、人権や生活の質を考慮するのは自分たちの業務ではない、バスのルートや、電話で予約する戸別公共交通機関の研究など道路交通省の権限である、との言い訳は火を見るより明らかである。
このような不条理を解消するためには、欧米先進国並みに、運転免許行政を、警察のような犯罪摘発機関から独立した総合的国民生活サービス機関として新設し、全ての権力から独立した、国際的にも通用する科学的な交通安全研究機関を持ち、その結果に基づき客観的な行政を可能にすべきであろう。
以上、このEUの報告書は、私がこのブログで、各種データや研究論文を示しながら書いて来たことの集大成のようで、間違いではなかったように思う。
EU交通安全委員会の高齢者交通安全研究の現状
Elderly drivers: 初老のドライバー
検索順序: European Commission > Transport > Road Safety > Elderly drivers
高齢者の人口割合が増加しているが、高齢ドライバーに配慮した交通ルールが無い現在、高齢運転者は特に運転に慎重さが要求されている。
高齢ドライバーは、身体的脆弱さのために、75歳以上では、同規模の事故の場合、死亡率は一般のドライバーの5倍、傷害率は2倍高い。
高齢ドライバーは、他を危険にさらすより、自身の障害の方が多いと見られる。
http://ec.europa.eu/transport/road_safety/users/eldery-drivers/index_en.htm
この報告書とリンクしている(More about the topic)トピックの表題を見ると
http://ec.europa.eu/transport/road_safety/specialist/knowledge/old/index.htm
Useful links
- Older drivers
- High fatality rate: more crashes or more severe injuries?
- Education/training
- Vehicle design and vehicle safety
- Assessing the fitness to drive
の項目がある。その一つ Older drivers: を見るとこの論文には、以下の項目にわけて、130編の世界で公開された報告書、学術論文を根拠に挙げて考察している。
Introduction | Functional limitations and physical vulnerability | Older drivers risky or at risk | References | Safety versus mobility and quality of life | What can be done about it | Which factors will influence the future number of fatalities among older drivers
● この文脈は、先進的な運転の振る舞いや道路安全支援システムの分析をし、それらのシステムを評価する方法、更に優先的に開発を進めるための助言としてのものです。
この文書では、事故要因と、安全の効果の科学的研究を概説する。研究すべき概要のダイアグラムとして、五つの大分類とその下に19のプロジェクトを記述している。
1. Who is at risk: 誰が危険に差さらされているか。 高齢運転者は、他に危険を及ぼすよりもむしろ、危害を受ける側である。しかし、高齢ドライバーが交通社会で他に危険を及ぼしていないと云って、彼らを対象とする道路安全方法の開発を怠ってはならない。高齢者の起こしやすい事故タイプの情報は、交通安全対策を設計するに当たり考慮されなければならない。また、高齢者が、他の危険な運転者から受ける事故の判定が”低く評価されている”。
2. Functional limitations and physical vulnerability: 機能的な限界と身体的な脆弱さ。その他に、高齢者の死亡率(致命的障害)を高めているのに最も大きい影響を与えているのは肉体的精神的な状態である。事故率を上昇させる機能的な減退は、加齢により皆同時に始まるものでなく、個人差が非常に大きい。通常の老化現象としての視力、認知能力の低下は、運転の安全上の兆候としてはほとんど見られない。機能的な劣化と年齢に関係する障害による高齢者の運転特性は、現実の交通では、高齢者の自覚運転行動により安全が守られている。このような行動の補償にも関わらず高齢者の死亡事故が多いのは、被害の方が大きいからである。
3. Factors that will influence future developments: 将来の情勢に影響する要因。75歳以上の人口と移動距離の増加は死亡率の増加につながる、しかしながら、このトレンドを下降させるためには、さらなる高齢者の運転経験の向上と、道路の安全設計の実施にかかっている。
4. Different types of measures available to change the future: 将来に備える異なった種類の処置の可能性。積極的な車の安全性の改良、ドライバーのトレーニング、インフラの整備、運転補助システムの実装が必要だが、老齢による機能の低下は、それらの補助システムで修復出来なくなる時が来る。それは、運転中止のタイムリーな手順が必要になる時でもある。免許発行のありうべき手順は、医師と協議しての認可方法である。
5. Safety versus mobility and quality of life: 移動性の対策と生活の質: 高齢者にとって車運転以外の移動性を維持することは最も重要であるが、全ての人にとってどれか一つの最良の方法があるわけではない。必要な条件を満たす旅行には、各種交通サービスの組み合わせが必要になる。いろいろなサービスには各種公共サービスも含まれる。
以上
これを読んで感じたことは、自然科学の学術論文と同じように全ての見解や分析は、証拠の参考論文を挙げて記述していることです。130件にのぼる参考文献の著者の中に日本名らしきものはただ一つ(日本の機関ではありません)しかありませんでした。これを見ても残念ながら日本の交通安全研究が遅れていることが分かります。警察庁は立派な建物やコンピュータシステムなど交通安全関連施設には高額の予算を使っているようですが、世界で参照される価値の研究論文や報告書がないのはどうしたことでしょう。
日本だけがなぜ交通警察国家のままなのでしょうか。
以下に国際的に見た日本の異常な交通安全行政体制の状況を書きます。
その根拠として、先進国が加盟している(日本も)OECDの報告書2009で、世界の交通安全研究とデータ収集機関見てみました[1]
オーストラリアを例に見ると、The Australian Transport Safety Bureau (ATSB) は、連邦政府の権力組織から独立な機関であることを強調しています。
これほど明確には書かれていないが、日本を除くすべての参加27カ国、50余りの組織は、国家権力や法律立案、犯罪摘発組織とは独立した機関で運営されていると見られます。
日本の報告には3機関リストされており、そのうち2機関は明白に警察組織であり、他のITARDAでは驚くべき記載を見ました。それは、日本の交通状況を”第二次交通戦争”とは荒っぽい表現で紹介し、良く読めば20数年前のこととはいえ、現在日本は運転者の良識で、世界の最も安全な自動車交通国を実現しているのを知ってか知らずか、国辱的な誤解を招く以外に何の意味もない、こんなことを世界に紹介する意図が分からない。またこの機関のデータソースは警察に依存していることを誇らしげに書いています。
メンバー28カ国中、日本だけが完全な交通警察国家であることが分かります。
日本は島国で、道路は日本人だけのものと云う感覚かもしれないが、欧米各国では、ビジネス移動では空港でレンターカーを借りて目的地に行くのが常識で、日本の官庁高官の外遊のように、空港に現地駐在員が出迎えに来て全て世話をするようなことは無い。
交通行政が、日本における国際的な経済活動にも責任がおよぶ事の認識が見えてきません。
警察は、本来犯罪行為を摘発する組織であり、自ずと、警察の発案による法規は、犯罪摘発の効率を目的としたもので、事故防止の効果が少ないばかりか、犯罪摘発目的では正確な事故記録が収集できないことは、国際的な航空事故調査においての常識であります。
以前に指摘した、恥ずかしい記載、高齢者の運転する車にステッカーを表示させる法律を作った、違反した場合4000円の罰金を取る。この表記もそのままになっている。(来年あたりこの報告書には、国際常識では医療行為としか見られない認知症検査を、自動車学校で強制的に受けさせる、と記載するのではないだろうか)。
国際常識に無頓着、粗野で人権無視の独断的な行政、免許証管理にともなう個人情報の収集、そして国民を教育するかのような警察庁、これらは本来の業務ではないことで知的水準が低く、権力構造の奢りがそうさせているのではなかろうか。警察庁傘下の交通安全協会などの行政法人(グループ企業)は廃止し、運転免許管理は地域住民サービスとして地方行政に任すべきであろう。
交通安全研究については社会的に重要であることはもちろんで、先進諸外国並みに、純粋な科学的研究機関とし、研究成果は国際的な研究論文で参照されるレベルにすべきである(欧米諸国では普通)。それにより、国民が信頼する合意の上での交通行政を目指す、普通の先進国の行政であるべきでことを強く望みます。
[1[ IRTAD International Traffic Safety Data and Analysis Group
Currently, more than 50 institutes worldwide, representing an extensive range of public and private organizations with a direct interest in road safety, are members of the IRTAD Group.
http://www.internationaltransportforum.org/irtad/members.html
この意見は 警察庁、内閣府(行政刷新相)、法務省、内閣法制局に送りました。 2010/06/29 うけつけID : 0000265183.
運転事故と医学的健康状態との関係
EUの報告書ウェブ SafetyNet “Older Driver”と題したPDFファイルを見た。
この中で、第10ページに表示されている、医学的健康状態と相対リスクと題した表を簡略化して日本語表示にしてみた。
相対リスクとは、健康な人に比べ、リストされた健康上の疾患を持つ人の事故のリスクの増加率を推定したものである。
オリジナルの表の相対値を%表示に換算して分かりやすくした。また、統計的信頼度の表示として、95%信頼範囲で表されるリスクの下限値を表した。
|
|
相対リスク(%) |
|
| 健康状態 | 中央値 | 下限 |
| 視力障害 | 9 | 4 |
| 聴力障害 | 19 | 2 |
| 関節炎/運動機能障害 | 17 | 0 |
| 心臓血管疾患 | 23 | 9 |
| 真正糖尿病 | 56 | 31 |
| 中枢神経の病気(包括的な脳卒中、パーキソン病) | 35 | 8 |
| てんかん/他の発作 | 84 | 68 |
| 精神病的欠陥 | 72 | 48 |
|
痴呆; 狂気(医学)、認知症 |
45 | 14 |
| アルコール中毒 | 100 | 89 |
| 麻薬類 | 58 | 45 |
| 全ての医学的不調の平均 | 33 | 28 |
これで見ると、アルコール中毒の危険率が最も高く、次いで脳疾患、真正糖尿病などで、痴呆、認知症のリスク上昇の下限は14%と低い。
このデータだけでは、既往症診断基準、罹病率、加齢との関係などが分からないので、該当患者の運転による社会的リスクを見積もるのは不可能だが、はっきり言えることは、科学的な(医学)結論が得られていない難しい問題であることである。
警察庁が、単なる言葉の上での分かりやすさを種にキャンペーンして、認知証イコール運転不適格者と決めつけ、医学的根拠も確かめないで、高齢者に人権の侵害と負担となる認知症検査を強制する、これは無知からか、または何か別の意図があると思わざるを得ない。医療教育を受けていない無資格の、とかく批判の多い、知的信頼感も薄い自動車学校で強制する。これは無茶な話である。昔から当然のごとく行われている視力・聴力のリスクも低いことが分かる。
ちなみに参考にしたこのEUの報告書は、全部で48ページ、六つの章に分け、根拠とする研究論文・報告書を参照して多角的な見地から、高齢者の人権と生活の質に関し慎重に論じている。この論文で挙げられている参考文献は120件である。
Project co-financed by the European Commission, Directorate-General Transport and Energy, 16/10/2009 Page 10
Older Drivers – web text
http://ec.europa.eu/transport/road_safety/specialist/knowledge/pdf/olderdrivers.pdf
