高齢者の運転者差別は 根拠のない認知バイアスから
機能的制約や身体的的脆弱性
高齢道路利用者の交通安全には主にこの次の二つの要因による。確かに機能的な制約は事故のリスクを高めます。しかし、機能的制約と年齢に関連する障害は、直接危険な交通行動にはつながっていません。
高齢道路利用者のもう一つの特徴として、自分自身の限界への洞察、運転の経験、そしてその結果は、昼間天気の良い時を選び、道路が混んでいるときは避ける運転などの安全上の困難を防止する自己補償動作があります。
身体的的脆弱性の要因としては、事故の結果、重傷の程度を増加させ、相対的に高い死亡率になります。
高齢ドライバーは危険性やリスクがあるか?
高齢ドライバーは、多くの場合、道路で高い死亡率を持つグループとして認識されています。これは、事故に遭遇した場合、高い重症度と高い死亡率の両方に起因することが分かっています。
高齢ドライバ は運転上のスキルだけでなく、身体的および精神的能力について非常に多様であるります。しかし、高齢者に共通していることは、年間走行距離が少ないことです。年齢にかかわらず、少ない走行距離ドライバーは長距離運転者に比べ、走行距離当たりの事故率が増加することは統計的に確認されています。また、事故頻度にも同様の影響を有しています。
さらに、高齢運転者は一般的には、最も安全なタイプの自動車専用道路(通行区分、信号の完備した)の利用が少なく、住宅街など、あまり安全でない路上で運転する傾向があります。高齢ドライバの間で共通している事故は、交差点においてターンする場合、主要道路側の優先権を持つ対向車に対しての衝突事故であります。
機動性と生活の質に対する安全性
高齢者がまだ安全に車を運転することができるのにも関わらず、運転免許証を失うことになるような試験手順は、現実の理由から望ましくありません。まず第一に、高齢者の自転車や歩行者の交通事故死亡率は、高齢ドラ イバーよりも何倍も大きいのです。高齢者はは車の中が最も安全なことは統計的に証明されています。また、高齢者は多くの場合、すでにバランスの喪失のため、サイクリングを停止しています。
根拠のない社会的制約は単なる差別にしかなりません
自分の車に別れを言うことは、多くの場合、それらの社会的な生活の一部に別れることになる。これは高齢者の生活の喪失につながる。これを避けるには、社会負担(ドア·ツー·ドアのコミュニティ訪問など余分なコスト)を持つことになります。高齢運転者が、他の道路利用者への不均衡な危険をもたらすことがない間は。彼らは、若い道路利用者に重大な傷害を引き起こすことよりも、より頻繁に若い運転手との事故で(死亡または入院し)自分自身が負傷してるのです。
人生の最後まで運転できるわけではありません
自分での運転による安全な交通ががもはや確かに可能ではない場合には、移動の代替手段は、高齢者の移動性を確保するために利用できるようにすべきであります。交通の代替手段の例としては、従来の公共交通機関、バスの運行ルート、タクシー、ドア·ツー·ドアの移動のためのスマホ等で予約出来る乗用車同乗利用制度などであるが、ただ一つの交通手段だけの選択ではすべての状況下にあるすべての人々のための移動性を提供しません。例えば路線公共交通機関では乗降からの歩行が伴います。交通サービスの種類は、特定の移動のための要件に合ったものの選択を可能にすることが必要とされています。
以上、私の2023年までの交通関係のブログ集成として纏めてみました。
高齢ドライバーの安全上の問題と重要性に関する科学的研究の要約 ヨーロッパ連合委員会
このテキストは高齢ドライバーの、安全上の問題の大きさと性質に関する科学的研究、関連する事故要因、対策の有効性を検討するものである。
Older Drivers European Commission
http://ec.europa.eu/transport/road_safety/specialist/knowledge/old/index.htm はじめに | 機能制限や身体的な脆弱性 | 高齢ドライバに危険やリスクのある | 参考資料 | 機動性と生活の質に対する安全性 | それについて何ができる | 高齢ドライバの死亡者の将来の数に影響を与える要因は | PDF
ヨーロッパの国ごとの1996-2005期間の死傷頻度と事故の状況の開発については、(> 64歳)高齢者の基本的なファクトシート
(497 KB)上のデータのウェブサイトのセクションを参照ください。
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この報告書から要点を箇条書きに取り出してみた。
Ⅰ 高齢者運転による社会的リスクは誰か。
① 高齢運転者は他の人にはあまり危険ではないが自身にとっては危険である。
② 高齢運転者は事故に遭遇した場合、身体的脆弱性のため致死率が一般のドライバーの平均に対し5倍程高い。
③ 高齢運転者の安全対策では、運転制限になるような政策は誤りである。高齢運転は安全運転者であることを認識することが基本でなければならない。
④ 高齢運転者が遭遇しやすい事故は交差点での直進車に対する判断の誤りである。
➄ 高齢ドライバーは、スピード違反、危険な追い越し、飲酒運転などに原因する事故が少ない。
Ⅱ 機能的低下や身体的脆弱性
① 機能的低下は事故のリスクを高める
② 高齢者は一般に短距離運転のため統計上走行距離当たりの事故率が高く表れる。
③ 機能低下や障害は個人差によるもので年齢で同じように発症するものではない。
④ 事故との関連が見られる病気として、白内障、黄斑変性、緑内障、認知症、脳卒中、糖尿病等の視覚疾患が重要である。
➄ 高齢者は慎重な運転にもかかわらず、事故に遭遇した場合、若い一般のドライバーより負傷は深刻になる。
⑥ 高齢人口の増加や社会的変化の要因で高齢ドライバーの死亡者数は増加するが、現在より運転経験の豊富な運転者が増えることで人口当たりの死亡率は減少するであろう。
Ⅲ 可能な対策
① 車両の改良などで脆弱な高齢者の死亡率を軽減する対策。
② 車両の安全支援システム、道路インフラ、トレーニングなどの充実。
③ 対策では補えない身体機能の低下の進行で、医学的な診断による運転停止の方策が必要となる。
Ⅳ 生活の質と安全性
① 高齢者がまだ安全に運転できるときに運転免許証を奪うような試験は間違いである。
② 高齢者の自転車や歩行者の死亡率は高齢者自身の運転に比べ何倍も大きい。
③ 運転を禁止されることは多くの場合、社会的な生活の一部を失うことになる。その結果、自尊心と尊厳を失う結果になるばかりでなく、日常の活動、ショッピング、社会的接触のための困難が生ずる。
④ 車以外の代替手段は最も重要であるが、それは一つの決まった方式だけでは必要を満たせない。公共交通機関、バスの運行ルート、タクシー、ダイヤルライドサービス、徒歩や車いす、電動いす等いろいろな選択肢の中から生活上必要な特定の交通手段を選ぶことが必要で、それらのアクセス可能なインフラを必要とする。
総合的な科学レポートとして日本の交通安全行政に反映させてほしい。
最後の項目、Ⅳの④は社会的負担を要することで高齢者のわがままの感があるが、現在の交通インフラは今の高齢世代が生産活動時代の税金で作られた社会資産であることにも気付いてほしい。
武力を使わず再統一を果たしたドイツ民族の忍耐力 東西分断から45年かけて
戦争:それは権力組織間で決着をつける短期的な解決策かもしれないが、結果は、多くの住民が生命を奪われ悲劇を生み破滅に終わる。
忍耐力:自由や人権を奪われ、精神的・経済的苦痛を伴っても、戦争ほど多くの人命を奪われることなく再生の機会が期待できる。
兵力を持ちながらそれを権力闘争に行使しない抑止力。ヨーロッパで2回の敗戦から学んだドイツ指導層の歴史認識であろう。
残念ながら、ご都合主義の歴史認識、同盟国の強力な傘に入り権力の恒久化を図ろうとするかに見える日本の政権、この様な政府に若者の命を預け、集団的自衛権を任せることの方が最大の不安である。
追記: 投稿から5時間後の時点で参照いただいた記録、どうしたらもう少し読んでいただける記事になるだろ? どなたかご助言をいただきたい。
憲法九条だけがわれわれの防衛手段 自衛と無関係な戦争に参加した国々を見て
第二次大戦後に行われた大規模な戦争を見てみよう。
| 死者数 | 朝鮮戦争 | ベトナム戦争 | イラク戦争 | ||
| 国連軍 | 北朝鮮・中国 | 南ベトナム | 北ベトナム | 多国籍軍 | |
| 軍隊 | 700,000 | 900,000 | 285,000 | 1,177,000 | 24,219 |
| 民間人 | 1,330,000 | 2,500,000 | 1,581,000 | 3,000,000 | 600,000 |
これだけの大多数の死者、特に民間人の死者数は軍隊より圧倒的に多い。
これらの戦争の開戦の目的は達成されたであろうか? 結局元通りになって休戦、多くの住民の人命と生活が失われただけのようだ。
それぞれの戦争に参加した多国籍軍を見てみよう。
| 朝鮮戦争 | ベトナム戦争 | イラク戦争 |
| アメリカ | アメリカ | アメリカ |
| イギリス | 韓国 | イギリス |
| フランス | タイ | オーストラリア |
| オランダ | フィリピン | ポーランド |
| ベルギー | オーストラリア | |
| カナダ | ニュージーランド | |
| トルコ | ||
| エチオピア | ||
| タイ | ||
| フィリピン | ||
| コロンビア | ||
| ギリシャ | ||
| オーストラリア | ||
| ニュージーランド | ||
| 南アフリカ | ||
| ルクセンブルグ |
ウィキペディアの記事より要約。
こんな戦争、各参戦国民の生命や財産を守るためのものであっただろうか?
一部の政権指導者の思惑により始められた失敗の証拠と言える。あまりにも大きな政権災害である。
日本に関係がないからとニュースになっていないが、現在も世界各地でこのような権力闘争が一般市民を巻き込んで続いている。CNN, BBC では毎日の主要ニュースとなっている。
「自衛権=戸締り論」悪意あるキャッチフレーズに惑わされるほど我々は愚かではない。このことが分からない政権中枢の無能さ、このような政権集団に派兵権を委ねられない。
残念ながら、「憲法第九条だけが」我々の防衛手段である。
「小保方さんがかけたきた涙の電話」
それにしても雑誌メディアの感覚は、この記事の内容からどうしてこんな表題になるのであろう。対談の内容とはまったく関係がないばかりか対談の趣旨を台無しにしてしまった表題である。
この雑誌、私は他の記事を読むために発売された直後購入したが、この表題を見てまたつまらないゴシップ記事ぐらいに思い読まなかった。
今日何げなく読んで驚いた。若山博士の研究者としての経験と体験から判断された論理的に整理され立派な主張が淡々と記録された記事であったからである。しかも科学的素養のない人々にわかるよう実験の経過を具体的に述べながらの発言であった。
小保方さんがかけたきた涙の電話 文芸春秋4,2014. P.176-183.
この対談記事が収録された月日がわからないが、若山博士はなぜ記者会見で主要な共著者となっている二つの論文を引き下げるような発言をしたのだろう? 残念な感じを禁じ得ない。
山中教授まで インターネット・ブログ等で流通している科学論文の些細な欠陥を取り上げ誇大報道をするメディア 中世の異端裁判の様相。
一連の動き、メディアの知的レベルが疑われる事件であった。
科学論文の本旨を理解していないで書かれた新聞記事。
テレビメディアは、興味本位の番組構成に都合の良いコメンテーターを探し出し、局の責任を回避した芸能番組のような無責任報道番組構成。
それでも、科学者が記者会見などをして弁明しなければならない社会環境。メディアの横暴時代と言わざるを得ない。
渦中の人々。
山中伸弥 京都大学iPS細胞研究所所長・教授
石井俊輔 理研上席研究員 STAP細胞論文の不正調査のために理化学研究所が設けた調査委員会の委員長
笹井秀樹 理化学研究所発生・再生科学総合研究センター長
若山照彦 山梨大学教授 応用動物科学
小保方晴子 独立行政法人理化学研究所発生・再生科学総合研究センター・細胞リプログラミング研究ユニット・ユニットリーダー
山中教授: 毅然とした態度で疑惑否定を主張。
石井俊輔: 科学者とは思えない、権力組織の便利屋か?
笹井秀樹センター長: とにかく謝ってしまって論文を台無しにした、その上で「STAP細胞がなくては説明できない仮説」科学研究者からぬ発言。
若山照彦教授: 第二筆頭著者でありながら自分の論文でないような言い訳。
小保方晴子ユニットリーダー: 「STAP細胞はある」 筆頭論文作成者として当然の責任ある主張。
以下はわたくしの書いた関連記事。
「STAP現象を前提しないと説明できない」ならば なぜ論文を取り下げるのか。笹井氏の科学者らしからぬ発言の疑問
科学研究は、仮説に基づいて研究計画が作成され、研究の予算要求の提案から始まる
小保方論文批判 一事が万事的発想 わかりやすいが 本質を見誤る乱暴な話
科学論文は、検証の結果価値がなければ(誤りも含む)自然に消えていくものである。正しいものだけが生き残る。それが科学の本質である。
自動車教習所における高齢者講習を受けて
高齢者講習(認知機能検査の結果に基づいて行う講習)を受けてきた。
70歳、75歳以降これで4回目である。
前回3回でいずれも不愉快な思いをした、その中で一番ましであった教習所に予約を入れた。
不愉快は予約の受付の女性の言葉遣いから始まった。注意したが理解できていないようなので教習所のメールアドレスに管理者として注意するよう書き送った、三日ほどして以下のような返事が来た。
<「先日は電話対応の不手際で不愉快な思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした。
<今後は、ご指摘のとおり、社会的に適正な対応が出来るよう、監督教育に邁進する所存です。
<どうも貴重なご指摘ありがとうございました。」
< XX自動車教習所管理者
高齢者=認知症=人格喪失者 と思い込んでいるのか?子供に対するような言葉での対応。
今回は、事前に上記のようなやり取りの後なので、私の講習担当者は、常識のある選ばれた教習指導員が当たり、対等の関係で会話でき、下の写真のような雰囲気で講習を受けることができた。
Figure 27 – Driving Training with Older Drivers in Lancashire (Source: Lancashire
presentation March 2012 in Modena)
上の画像はSaMERU – Safer Mobility for Elderly Road Usersからとった高齢者運転訓練の様子である。
下の組写真は、以前に私のウェブで使用したものであるが、何れも高齢運転者に対する広報として公的機関で作成されたものである。高齢者に対する認識の違いを象徴的に表す画像ではないだろうか。右下のITARDAは日本のもので、高齢者は情けない厄介者のような認識で表示されている。
先進民主主義法治国家としてどうしても腑に落ちないのが、公安委員会(警察)の認可を受けたとしても、自動車教習所が医療類似行為である認知症検査や視力検査をする医事法違反のような行為が許されるのであろうか。担当者はどのような医療資格を持っているのであろうかということである。
違法行為を避ける法的解釈はされていると思うが、国際的常識としては、警察権力が介入できない個人情報に踏み込んでいる越権行為とされるであろう。
また、認知症は病気であり、その症例は一様ではなく、私の理解では、内外の医学論文等を見た限り医学的にどのような発症が自動車運転に障害が大きいかの判定基準も確立されていない。
医学的指導の下にされたとしても、年齢区分だけで運転との関係を証明されてない内容で認知症検査をすることは高齢者に対する人権侵害と言わざるを得ない。現在では医療機関でも診断検査にはその必要性を説明し、本人の承諾を得てから行っている。
言葉だけが独り歩きしている「認知症=高齢者」検査を強制的に有料で受験させる。こんなことは成熟した先進国として恥ずかしいことであるとの認識が欠如していると思う。
科学研究は、仮説に基づいて研究計画が作成され、研究の予算要求の提案から始まる
STAP現象は「検証価値のある合理性の高い仮説と考えている」笹井芳樹、 共同執筆者
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仮説が確定に変わったとき、それは研究ーテーマではなくなる。
科学研究は、仮説に基づいて研究計画が作成され、研究の予算要求の提案から始まる。この科学的提案を研究資金支出財団は、同一分野での研究業績を持つ複数の研究者に委託し、研究の価値と計画の合理性の評価を得、それに基づいて可否を決定すべきものである。
現在日本でも、実験科学研究費は所属組織から定額予算で無条件に支給されることは少なくなり、研究提案書の作成から始まる。
私が知る限り、一般にアメリカでは州立大学など教育を目的とする機関では、大学に所属する実験系教授は、研究費獲得の業務(プロポーサル書き)から始まる。研究費を継続的に獲得することで初めて大学内の自分のプロジェクトに所属する研究者や大学院生・研究助手の給料を支給し研究活動ができる。
極言すれば、大学教授は大学内に店を開く中小企業の経営者である。多くの研究者や研究助手(大学院生)を雇い、初めて研究成果を上げることができる。このような教授の獲得が大学の知名度を上げ大学院生を獲得できる。これは大学管理者にとって重要な業務である。
研究提案書は一般に3~4年程度の期限付きで、研究目的を実行するための経費、その中には実験設備や消耗品費ばかりでなく、研究に従事する研究者の給料、旅費・滞在費などすべて具体的に計画書を作成する。さらに、研究完了後の成果の学会誌投稿経費も計上する。
研究計画の信頼性の評価には、主研究者はもちろん共同研究者の研究業績リストを添付し、所属する大学の設備や技術者などの支援組織も検討される。
大学教授の多くは大学と終身雇用契約(テニュアー)を持っているが、期間契約の教授、特に助教授(准教授)の場合は多い。教授でも管理職でない場合には10か月、夏休み2ヶ月分の給料は無い。したがって研究計画には2ヶ月分の自分の給料も盛り込むことができる。
これほど極端ではないが、日本でも、大学や国立研究所など、法人化しこのようなシステムに移行しつつあるようだ。
今回の理研の事態、発表期間が長引いたことなど、何となく官僚的管理者と研究管理者との水と油的攻め合いの妥協の結果のような不自然さが見られるがどうでしょうか。
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私の印象に残る言葉 「これでプロポーサルに追われることがなくなった」 高齢で退職した知人の州立大学の教授のつぶやき。
「それでも(地球は)動く」ガリレオ・ガリレイ 1633年、宗教裁判の際につぶやいたとされる言葉。
STAP細胞の論文問題で、主要著者の一人、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹副センター長の記者会見を先ほど見た。
科学者としての不可解な行動。最初に謝ってしまったので論文を台無しにしてしまった。
笹井氏は、声明の最後に、論文の主題である「STAP現象を前提しないと説明できない」と認識していると発言。ならばなぜそれを最初に堂々と主張しないのか。それが共著の科学者としての責任である。
論文の「お作法」の欠陥を謝るるのは最後でよい。
科学論文として最も大切なのは、その成果を発表し、同じ専門分野の研究者の注目を集め、検証をへて確立することにある。その評価が学問の水準向上に貢献したとされたとき認められたことになる。
科学論文では、公表後間違いであったことがわかり消えていった論文はいくらでもある。科学では、何もしなくても正しい結果だけが生き残る宿命にある。間違いがないことが分かっていればそれは教科書である。間違いが非難されたり処罰されることはない。
論文の不備を取り上げ宗教の異端裁判のように取り上げるメディア。日本の知的水準が恥ずかしい。
とりあえず「つぶやかなければ」という心境である。
この表題はマスメディア的な見出しで恥ずかしいが!
両研究とも、他のグループによる追試やメカニズムの解明の必要があるが、今回の発見が実現可能性の扉を開くこととなることが期待される点では共通していると云えるのでは?
これが私の感想です。
STAP細胞: 小保方晴子博士の初めての実験。
http://www.riken.jp/pr/press/2014/20140130_1/digest/
常温超伝導現象: 1974年以来、何度も成功したとの発表はあってから40年、まだ科学者たちに追試確認された室温超伝導の例はない。
世界初の室温超伝導達成か|独の研究グループが、水中撹拌したグラファイト粒子で(Adv. Mater.)
投稿日: 2012年10月18日 作成者: admin
http://www.wiley.co.jp/blog/pse/?p=11982
Can Doping Graphite Trigger Room Temperature Superconductivity? Evidence for Granular High-Temperature Superconductivity in Water-Treated Graphite Powder
- T. Scheike,
- W. Böhlmann,
- P. Esquinazi*,
- J. Barzola-Quiquia,
- A. Ballestar and
- A. Setzer
Article first published online: 5 SEP 2012
10月18日2012 に記載されたコメント
Doped graphite powder: room-temperature superconductors at last?
Scientists have found evidence for granular room-temperature superconductivity in water-treated graphite powder.
コメントの抜粋
* このグループの方法は、高純度の黒鉛の粒子を蒸留水中で22時間撹拌し(その後真空中で乾燥)したもので、処理前には超伝導性を示さなかったが処理後は常温で超伝導とみられる現象が観察された。
コメントの最後の部分。
* 試料中で超伝導性を示した部分の収率は極めて小さく、今回の結果が直ちに実用に結びつくものではありません。さらに他のグループによる追試やメカニズムの解明も待つ必要がありますが、今回の発見が室温超伝導の実現可能性の扉を開くこととなることが期待されます。
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