益川敏英博士 と 朝ずば
先ほど ”みのもんたの朝ずば” で、益川博士の姿を見ることができた。わざわざ博士を囲んであんな番組構成をした意図は理解しがたい部分もあった。経済社会問題ばかりでなく、人類の文化に対する先生の思いの様なものを聞きたかった。
質問の中で、現在のような雇用情勢になったのは、小泉政策のせいだ、「自民党をぶっつぶすのではなくわれわれの社会をおかしくした」とはっきり答えておられた。ここまでならメディア的にはよく聞く話だが、他のもっと広義の経済問題の質問には、データがない(言い換えて、データを集めていない)から私には分からないと答えておられたのが最も印象的に頭に残った。このことから、前段のお話は、先生が根拠を集められたうえでの判断であったように思う。
マスメディア時代、根拠もなく、目立つ言葉や、過激な表現、事の真偽ではなくただ分かり易い錯覚を与える解説など、コメンテーターや芸人の勝手な発言が蔓延しているテレビ界、しっかりしたデータに基ずく、検証可能な議論がないがしろにされているメディアの現状に対する先生のお人柄からくるさりげない拒絶のように思った。
国土交通省の交通需要の解析結果と警察庁の高齢者運転認識の違いはどこに原因があるか。
国土交通省ウェブより引用した高齢者運転免許保有者の動向。
下のグラフは、1990,1995,2000,2005年の十五年間の65歳以上を5年毎、5歳間隔の階層に分けて分析したものである。
2005年には、後期高齢者としてマークされなければならない75~79歳帯で免許保有率は50%を超えている。そして、下記のサーマリーにあるように高齢免許保有者の運転率は70%以上である。この様に現在では後期高齢者の交通手段として自動車運転が欠かせなくなっているとを示している。
このことを見ると、警察庁の「高齢者は免許を返納する勇気を」のキャンペーンがいかに高齢者の生活に無頓着なものであるかが分かる。
http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-council/suikei/8pdf/s1.pdf
この二つの官庁のどちらの広報が正しいか、警察庁の生のデータの入手ができないので評価できないが、官庁は省庁の予算獲得に都合のよい数値を強調して広報しているように見える。議論の根拠としたデータベースを公表して総合的に検証可能な報告書を作成し発表するのが税金で賄われている組織としての仕事であろう。
高齢者の交通手段と事故遭遇率
高齢者の交通手段による事故遭遇率の違いを調べようとしたが、直接分析できるデータベースが見つからないのでイルダ・インフォメーション(ITARDA)2007 のグラフを引用してまとめてみた。 http://www.itarda.or.jp/info68/info68.pdf
図8は乗用車運転中の事故頻度(1000x関与者数/該当年齢層の運転免許保有者数)で、これを見ると75歳以上の年齢層(緑色)は最も事故率が低い層に属している。警察庁や地方警察が高齢者事故激増と云うのは誤りであることがこれを見ても分かる。確かに高齢者の事故数は増加しているがそれにも増して高齢者の運転人口が増えているからである。
図12は歩行中の事故頻度で、こちらは75歳以上の高齢者層(緑)が他の年齢層の2倍以上の高率である。高齢者にとっては道路歩行が最も危険であることがわかる。
図7は75歳以上の交通手段の構成率推移で、歩行と自転車交通が減りその分自動車交通が増えている。これが12図に表れている高齢者の歩行事故率の減少の原因かもしれない、このように高齢者はより安全で体力の負担の少ない自動車運転に移っていることが分かる。この事実を無視して、高齢者の運転はさも社会の迷惑と云わんばかりのキャンペーンをするのはどうしてだろう。高齢者マークをつけさせたり、高齢者運転教習を義務づけたり、高齢者の交通手段を困難にすることは生活の質に配慮のない蛮行である。
データ分析をしようとして警察庁のホームページを調べたが、関連するデータベースはどうしても見つからなかった。そればかりか、日本も加盟している国際機関OECDのデータベースIRTADを調べていたら、どうにも理解できない日本の恥になるような奇怪な報告がなされていることを見つけた。それは、IRTAD Database, November 2008 — Fatalities by age の国際比較表で、日本だけが65歳以上の死者率が全体の48.4%となっていて欧米諸国の14~22%に比べ突出して大きい値になっている。本当に日本の全交通事故死者の半分が高齢者で占められているのであろうか? 日本の次に高い韓国でも27%である。間違いなのか他の諸国と異なる統計法を行っているのか信じられない報告である。 http://www.internationaltransportforum.org/irtad/pdf/age.pdf
憲法上の人権侵害の疑いの大きい高齢者運転マークの義務化 非表示罰則の取り下げか
先ほどのニュースで、警察庁は高齢者マークの普及率が60%程度になったので罰則規定は取りやめる法案を来年出すと云う。本当だろうか? どのようにして統計を取ったのだろう。まあ、言い訳は許すとしてまともな改正ではある。
当初の警察庁の発表のように、もしこのまま法規を変えないで、40年以上事故歴もなく、何の違反もしていない運転者を検問で止めて、高齢者マークを付けていないだけの理由で犯罪者として起訴した場合、訴訟をを起こされたとき勝訴するだけの根拠を検討しての立案だあったのであろうか?
前から何度も統計的根拠を挙げてこのブログに書いてきたように。高齢者事故の激増というキャンペーンはあまりにも幼稚な嘘であり、国家機関である警視庁のやることではないと指摘してきた。人口構造が高齢にシフトしてきたので高齢者の巻き込まれる事故数が増えてきただけである、日本を含め自動車先進国のどの国の統計分析をみても、高齢者は安全運転層であり、しかも、高齢者にとっては、自動車運転が最も身体的負担が軽く安全な交通手段である。ここの事実を知らないで、高齢者から運転免許を取り上げ、より危険な自転車交通や道路歩行に追いやろうとする行政は、あまりにも無責任、無教養な行為である。
やっと、反対者が多く、あまりにも安易な権力行使に気がついたのか、高齢者の尊厳を傷つけないイメージのマークを工夫することと、高齢者マークの車に対し運転妨害をした運転者の方に罰則を設ける方向で法規を改訂するとのことである。科学的で人権に配慮した、先進国として恥じない品位のある制度にしてもらいたい。
日本は、世界一の安全な小型自動車の開発先進国である。質量の軽い小型車は事故にあったとき人的被害が大きい、日本がアメリカなどに比べて高齢者の死傷者が多いのは、高齢者が軽量車に乗っている割合が大きいことにもよると思うが、そのような分析もないようだ。国家プロジェクトとして、高齢者や身障者にとっても安全なIT支援の車の開発を援助すべきであろう。そのためにも、警察庁はやたら罰則・規制のためのデータ作りでなく、交通事故データを分析して安全交通環境の開発に役立つデータの発信をすべきと思う。
造反のレッテルを張られた 渡辺喜見議員
いまだに抜けきらない、個人の意見を封じ込める風土。党議に反した意見を表明した者は異端者か?
その最たるものが小泉郵政改革、反対者の政治生命を脅かしたうえでの郵政選挙。一つの政策に限定して賛否を問う選挙は国民投票であって議員を選ぶ総選挙ではないはずだ。しかし、当時このことを指摘したメディアや有識者の論調を見た記憶がない。いまだに不思議に思っている。
後期高齢者医療関連法を通した自民党議員で、この法律の詳細を知っているのは何人いるだろうか、舛添大臣でも答弁に疑問を感ずる程である。これは何が原因か、党の議員は党議で決められた法案に賛成票を投ずるロボットでしかない、とすれば法案を吟味をする動機も意欲もわかないのであろう。議員は選挙で選ばれてきた公人である、すべての議会での投票は記名で行われ、すべての法案の賛否の記録を公表すべきである。こうすれば法案の賛否の結果が議員の政治生命にかかわってくる。少なくとも法案の内容を知らないで投票することは少なくなるであろう。
政策論者は、口を開ければマニュフェストト云うが、政治家の信頼は、守れるか守らないかの約束ではなく、立法府の議員として、過去の法案に対する賛否の記録によって評価すより方法はない。賛否の分かれる重要法案については、発議議員の名前を付けた議員立法で討議すべきであり、顔がわからない法律を通すべきではないと思う。もちろん、行政に伴う技術的な法案提出は官僚主導になるのは当然であろうが。
実質的でないホテルの有料サービス
ヒルトン東京に4連泊した、客室は清潔に整えられ、従業員はフロント要員から清掃の女性までにこやかに挨拶し、ホテルの管理は神経が行き届いている様に見える。
反面、宿泊客に対する実質的なサービスについては無神経と思わざるを得ない。
最も大きな欠如は、世界のほとんどのこのレベルのホテルでは、出発日の早朝には計算書がドアの下から入れられていて、クイックチェックアウトが出来るのが普通と思っていたがそれがない。出発日に、フロントデスクの前で客を立たせて清算書を打ち出しその場で見せて決済を求める。チェックイン時にクレジットカードの署名を取っているのであるから客の意思で最終的な領収書を必要としなければフロントに立ち寄らなくてもいいはずである。
実質的な便宜では、たとえば、美術館のスケジュールと行き方を調べようとコンピュータの端末を探したが見つからない、コンシュアージで聞いたら有料のインターネット端末しかないとのこと、美術館周辺の地図と地下鉄の経路は教えてくれたが忙しい彼等にそれ以上頼めなかった。もちろんビジネスルームはあるが、ちょっと調べるだけに高価な使用料を払う気にはならない。アメリカでもヨーロッパでも短時間ならば無料でインターネットが使えたり、有料でも1時間単位ぐらいの料金で使用できるところが多かったと思う。東京ヒルトンでは客室に高速LANと無線LANの設備はある。そこまでは常識的であるが、最低24時間の基本料金が必要で、それが1日料金なのか滞在中の合計料金なのかの明記はなかった。ワシントンDCの Hilton Garden Inn の経験だが、雪で飛行機の欠航が多く、航空会社の電話が話し中でつながらなかったとき、フロントデスクでインターネットで調べてほしいと依頼したら、忙しいからとビジネスルームのキーカードを貸してくれ、自分で調べてほしいと云われた事がある、もちろん料金は請求されない。イタリアでの経験では、部屋から電話線経由のインターネット接続がうまくいかなかったとき、事務室の端末を使用させてくれた。このような臨機応変の実質的サービスが出来ないのは従業員のサービスレベルの低さを感じる。
ニュースによると、アメリカ入国ビザの申請は、到着72時間以上前にインターネットで申請するようになるとのこと、ますますホテルでインターネットの利用が欠かせなくなる。
小さなことでは、ワインを買って帰り、部屋で栓抜きを探したがない、これはよくあることだが、コンシアージまで出向いて栓抜きを借りようとしたら、ルームサービスに頼んでやるから部屋で待てと云う、そんなおうぎょうなことをしなくても自分で開けるから栓抜きを借りてきてくれと言ったら取りに行ってくれた。部屋に戻ってワイングラスを探したが見つからない。このクラスのホテルでの宿泊客は、王侯貴族や優雅な観光客だけではない。ビジネスで滞在している客が居るはずで、これらの人は効率の良い実質的なサービスを期待している。顧客の便宜を考えず、有料のサービスを出来るだけ利用させるような運営感覚は世界の常識とずれていることに気がついていないのだろうか。
追記: この文章を12月22日に東京ヒルトンに意見として送った。反応を見てみよう。
蟻塚の中のような東京の新スポット
フェルメール展を見て
最終日前日の土曜日、朝10時過ぎに美術館に到着したが予想通り長蛇の列、1時間余り並んでようやく展示場に入った。フェルメールの部屋に入ってその鮮烈な輝きに圧倒された。オランダやアメリカの美術館で見た印象より美しさが際立っていた。照明技術の違いであろうか。残念ながら入場者が多く2重3重に囲む状態で絵画を少し離れた位置で見ることは不可能であった。とはいえ、今回の展示はあまり知られていない美術館から借り出したものが多く、7点の展示中6点が初めて見るものであった。数えてみたら今までに見たフェルメールの絵画は全部で26点になった。あと見られる可能性があるのは、ベルリンとロンドンにある、何とか機会を得たいと思う。
翌日曜日にはピカソ展に出かけた、やはり開館直後に入った、画家の年代順に展示されていて興味深かった。バルセロナのピカソ美術館より点数では多かったように思う。
益川敏秀博士の朝日新聞寄稿文 「おもてなしの心」を読んで
スウェーデンの誇りノーベル賞、受賞者の人類文化の最高峰を築いた人たちに対する純粋な尊敬と心遣い、繊細なおもてなしに感銘された益川博士のお気持ちがよく伝わってきた。
授賞式のテレビ画面を見て感じたことを12日のブログに書いた感想が、受賞者に招かれた博士の実感として語られていた事にあらためて思いをあらたにした。
2002年、ただの定年老夫婦の旅行に、ヨーロッパ大陸のドライブ旅行最初の地としてスウェーデンを選んだ。ストックホルム空港で車を受取、郊外の島に建ったホテルに1週間ほど滞在し博物館や、歴史的文化施設などをまわり、スウェーデンの人々の文化を尊重し尊敬をする念を感じた。その後、マルモ(Malmo)まで、修道院や古城、貴族の館などを改造したホテルに泊まりながら南下した、ホテルや観光施設では、節度あるもてなしと、事情のわからない旅行客に必要な情報を親切に教えてくれる一般の人々の親切心と教養の高さを感じた。言語はスウェーデン語であるが、他のヨーロッパ言語の国も同様で、少し教養のある人たちは英語が通じ旅行には英語だけで不自由はない。
「英語はできるにこしたことない」超一流に評価された益川博士だから云えることだろうか、凡人の自分の経験にも当てはまる言葉として全く同感できる。「英会話だけしかできない」は、道を聞くことぐらいにしか役には立たない。自然科学、芸術・学問を問わず、なにか日常の帰属社会と異なる文化を理解する訓練(勉強)をした経験があれば、片言の外国語でもある程度意志の疎通ができるような能力が身に付いているように思う。
どうなっている経済大国 些細なことだが非常識な話
明日早朝久しぶりに東京に出かけるのでクレジットカードでJR新幹線を予約しようとしたら、WEBサイトが簡単に見つからないばかりか、いまだにJR東海、東日本、西日本などでそれぞれ会員にならなければ購入できないようだ。10年以上前、在職時代には有料のJR東海会員カードを使っていたが、東京駅のJR東海の窓口に行かなければ東京都内の各駅では使用不可能であった。国内最大の交通機関が一般クレジットカードでのサービスをしないのは乗客サービスを無視した横暴であろう。外国の航空券でも買える時代にである。
今は、駅の対面窓口で署名すれば一般のクレジットカードが使用できるが、自動出券機で購入を試みたら暗証番号を要求された。普通、交通機関やホテルなど旅行関連の会社では署名が無くても受け付ける契約をクレジット会社としている。クレジットで現金化するときは暗証番号が必要だが日本ではその必要がないので通常暗証番号は記憶していない。
30年ほど前になるが、夜外国から空港に到着し、現金が不足して新幹線切符が買えなくて困ったことがある。当時24時間ATMはあったかどうか記憶していないが、夜間は旅行業者の店も閉まっていて購入方法がなかった。国内旅行では用心して現金を持っていくが、外国旅行ではつい油断して帰りの分の現金を持って出るのを忘れてしまったからである。
前にも書いたが、アメリカから日本に来た友人が世界的に営業している銀行カードが日本では使えなかったり、特定のATMでないと現金化できなかったり、こんなことは西ヨーロッパ各国では経験したことがないと驚いていた。
自分の経験でも、各国で、CITI銀行や、Sony銀行の口座から一般ATMを使っての現地通貨の引き出しに困ったことはない。もちろんVISAカードはどこでも通用する。どうなっているのであろうか。