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道路公団の副総裁逮捕

2005/07/26
有料道路の料金について。
 
有料道路はアメリカ東部のほか、ヨーロッパではフランス、スペインで経験したが日本のように高価ではない。客観的に比較できるデータの記録はしていないが、日本の料金は、それらと比べ何倍といったレンジで高価である。
 
どうしてだろうか? 以下のように素朴に考えたらどうか。
 
世界の資本主義経済の中で日本は非常にうまく順応している。にもかかわらず、道路だけが特異な理由があるだろうか。理由が無ければ結果も世界標準に準拠するはずである。とすれば、現実的に見て、不可解な原因が道路公団の運営にあるはずだ。
 
1998年以前の国際航空料金は、米ドル建ての料金に比べて50%から2倍高価であった。しかも、旅行が日本始発の場合には国内旅行業者に日本円で購入しなければならない拘束がかかっていた。
1970,80年代には、グアム始発で大阪・東京経由ニューヨーク路線があり、この航空券のグアム始発料金はアメリカで買った場合、日本始発の料金より安く、知人にこの航空券を買ってもらい、日本からの中途搭乗の便法で何度か利用した。
 
1998年ごろから、日本を含め各国の航空会社間で相互運行をするようになり、この料金制度は解消し、現在は日本発も国際価格と変わらなくなった。
 
20年以上前には、電話料金、郵便料金も同様であったが、国際相互の交流が密接になるにしたがって外圧などで解消されてきた。
 
道路とか電力は国内で閉じていて外圧がかからないので非常識がまかり通っているのであろう。
 
 
 
 

JR尼崎事故から3ヶ月、被害者の連帯、ニュースを見て

2005/07/25

このままではこの悲惨な事故が風化したしまうという被害者のあせりはよくわかる。

 

7月13日にJR西日本社長秘書室宛に、先に書いた、大阪府知事に送ったとほぼ同様の内容で手紙を送ったが、JR側は受け取ったかどうかを含め完全に無視している。

 

おそらく、最高幹部たちは自分の保身以外のことにかかわる余裕も能力も無く、無作為にじっと事件が風化するのを待っているのだと理解せざるをえない。

 

 

ロンドン警察の自爆テロ容疑者の射殺

2005/07/25
容疑者が警官の制止を無視して逃げて射殺された事件。
このニュースを見て、1968年マルティンルーターキング師の暗殺直後、滞在していたワシントンDC市街の状態を思い浮かべた。
 
昼間は軍隊が銃器を装備した車両で市内をパトロールし、酒屋は閉鎖され、銃剣を持った兵隊が守っていた。夜間は外出禁止になり、ホテルでのレストランでもアルコール飲料は一切禁止となっていた。
 
友人に夜間外出したらどうなるかを聞いてみたら、射殺されても一切文句が言えないとの返事だった。
 
カナダで大陸横断の旅客機に乗っていたとき、突然爆発音とショックを感じしばらく異常な音が続いたことがあった。異常音が収まってから機長のアナウンスがあり、3個のエンジンのうち(機種はトライスター)中央のエンジンが振動を始めたのでシャットダウンした。パワーが低下したのでトロント到着は45分遅れると宣言した。
 
このアナウンスを聞いても全乗客は無言であった。しかしトロントの滑走路にギアがタッチした瞬間大きな拍手が起こった。航空機では機長の決断が絶対的であり、それに意義を発した場合には直ちに拘束・隔離されるこれがルールである。
 
穏やかな日本では必要ないかもしれないが、テロが多発する今日、このような常識を教育する機会が必要であろう。
 
 
 

ニュース番組での証言者の扱い

2005/07/24
ロンドンのテロ後のニュースを見て
 
BBCニュースでは、目撃者のインタビューには必ず証言者の顔を出して放送している。暴力の目撃証言は非常な危険性をはらんでいる。しかしそれをしなければ証言にならないことがジャーナリズムの常識である。もちろん、CNNニュースでも同様である。
 
NHK初め日本のテレビ局ではほとんどの場合、つまらない事件でも、顔ばかりか声もバックの景色さえ隠して放送している。
 
これは、目撃者のプライバシーを守るためとの回答がくるのは目に見えているが理屈に合わない。
 
証言者の承諾をうけたうえで行う顔を出してのインタビューには、どこにもプライバシーの問題は起らない。
 
たとえ、証言者の身元が特定できないといっても、証言者の承諾なしに話を聞いて放送することがプライバシーを無視した行為そのものである。
この場合も、覆面で放映することは承諾を得ているとの回答がき聞こえてくる。
 
自分が話した内容が勝手に非人格的な映像にされ、メディアが好き勝手に放映することこそ破廉恥行為であり、著作権違反の疑いさえあると思う。
 
いくら覆面にしても事件の当事者には話の内容などから、特定出来ないという保障がないし、仮にそうだとしてっも、当事者でも特定出来ない証言が報道として意味をなさないことは自明である。
 
日本の視聴者は、こんなに低俗と見下げているNHK初め公共メディアの奢りと見える。
 
数年前NHKに同様の内容の投書をしたが無視された。
 
日本では、共産政権の国や過去のヨーロッパのような、冷酷な密告政治の経験が無いので免疫が無いのはよいことであるが、顔の見えない証言や意見は一種の密告であり、犯罪である。
 
 
 

ガードレール事故

2005/07/23
先週JAFが、多くの場所でガードレールに残っている金属片の原因を、実験的に示した。
道路の管理責任組織は、管理責任どころか、原因究明にも無関心であるようだ。
 
自動車先進国である、北米やヨーロッパの経験では、ガードレールは道路の縁からかなり離れて設置されていて、レールの切れ目は必ず地面に埋め込んであ切りっぱなしは見かけない。
 
ガードレールに車が突っ込んでも極力災害を少なくなるよう設置してある。
 
道路管理者は、運転者がミスを起こしても結果が軽くすむように設備を設置すべきで、
事故は、運転者の不注意だから結果はどうなっても知らないという感覚、まだ日本の道路管理は発展途上国のレベルである。

人工心臓とNASA

2005/07/20
CNNニュースで重度の心臓疾患の患者が、移植を受けるドナーを待つ間、心臓に代わる人工ポンプの助けを借り生き延びて心臓移植を受け回復した映像を見た。
ここでもロケットサイエンス! このポンプは、NASAが開発したロケットの液体燃料ポンプの技術を応用して開発したもの。従来の渦巻きポンプでは、血流の中で局部的に圧力が低い場所があると血球が傷つきそれが元で血栓が起こる危険があって長期間には用いられなかったという。
NASAは、税金をたくさん使いすぎるとの理由で、周期的に予算カットの危機に見舞われているが、膨大な数の優秀な人材と、技術の集積は知られないところに恩恵を与えている。
1990年代、アメリカの投資経済を目覚しく成長させた人材は、NASAから流れた「ロケットサイエンス」の人々であった。
 
 

大阪府知事に出した手紙

2005/07/19

先週のJR西日本の処分発表について意見を知りたいと思いメールした。

 

                                7月19日 2005

JR尼崎事故に想う

ロンドンの同期テロのニュースを見てJR尼崎事件の場面が脳裏にうかんだのは私だけではないと想います。事件後ロンドンでは市民や行政が一体となって喪に復した状況が見られたようです。

JR尼崎事件では、大阪市民や大阪に関係の深い市民の犠牲者が多かったと思いますが、市民としての連帯はあったのでしょうか。

 先週、JR西日本は組織内の処分を発表しましたが、組織の外から見れば、事の重大さを感じさせないあまりにも次元の異なった内容に唖然としました。組織内で競争をしている当事者にとっては大きな処分かもしれませんが、社会にとっては何の関係も無い処分内容で、現在のJR西日本の最高幹部の社会人としての狭量さを証明したようなものです。

 ニューヨーク・バルセロナ・今回のロンドン、テロに匹敵する悲劇のJR尼崎事故は、状況的に見て、運転手の確信的な犯罪行為や自殺行為ででも無く、また、予測不能な機器の欠陥でもない、原因は、JR西日本の組織的人事管理体制の欠陥と見るべきで、このことは、JR西日本自身、国土交通省に出した内容でも認めていることです。

 この点に関して、知事の立場からの市民に対するコメントはいかがでしょうか。

 今日の都市交通は、各種の交通機関が相互に密接に連携して機能しているのは言うまでもありません。そこで、市民の安全を守る方策の一つとして、航空管制のように一元的な公共の都市交通管制システムを構築し、合理的に運営することによって得られる利益は、それにかかる費用よりも大きいと思われます。もちろん、このシステムは、予想されるテロ行為などの災難時に、人的被害を最小限にとどめる対応にも有効に働くよう設計することは言うまでもありません。今回のような、交通事業者間の過度な競争を防ぐことも出来、都市安全に資するところは大きいと思います。もし、法的な困難さがあれば特区としていかがでしょうか。すでに研究段階に入っておられるかもしれませんが。

ロンドン同期(同時)発生テロとJR尼崎事故に想う

2005/07/17

JR西日本は事故に関する処分を発表したがそれを見て唖然とした。どうなっているのであろうか。組織にどっぷりつかるとこんなことしか思いつかないのか。人事管理の頂点にある最高管理者が最も重い責任を負うのが社会のルールであると思う。その無能な高位の管理者が地位を利用して下位の管理者の処分を発表する、事故の責任はどこに行った?、天災のように偶然起こったとでもいうのか。これがわれわれの正常な社会か?

 尼崎や大阪の市長も自分が守るべき市民の災難を、こんな茶番に何の感覚も持っていないようだ、またジャーナリズムも取り上げないのも不思議でならない。

ニューヨークやロンドンでは、市民や行政が自分の親族の不幸に接したときのような哀悼の行動をいろいろな機会を捉えて行われているのに。それ以上の大きな規模のJRの人為的災難に無関心であることが恐ろしくなる。

下の手紙文は、処分発表前に出したもので、処分の発表をみて、高級管理者も組織のロボットで、おそらく理解力は無く期待できない。もう一度 どうなっているのか。

 

                           7月13日 2005

JR西日本最高管理責任者 殿

今回、ロンドンの地下鉄同期テロ事件の死傷者のニュースを見て、JR尼崎事故の場面が想起されることを禁じえませんでした。ロンドンの場合、テロ行為であり反社会破壊活動の確信犯によるものでありますが、JR事故の場合は、運転手の犯罪行為や自殺行為、また、車両やレールの明白な欠陥であるとの情報はいまだに聞こえてきていません。とすれば、交通機関としての組織的な人事管理を含むシステム管理の誤りが原因となっていたと思わざるを得ません。高度の教育と社会的見識を持って組織の最高決定権を任されている幹部の方々はこの点どのように認識されているのでしょうか。過失とは言え、テロに匹敵する犯罪行為であると思います。

長い伝統をもつ客船の船長、最新技術の集積である航空機のパイロットにおいても、運行中の安全に関する判断に関しては絶対的裁量権を任されています。このことは、経験から生まれた安全運行の知恵であったと思います。

JR西日本では、運転手にはそのような裁量権が認めているとは思われません。報道された運行ダイヤでは、状況的に見て、安全に関する運転手の判断余地は無いばかりでなく、遅延が起こっただけで罰せられるとは常識的には理解できない管理体制です。

今回のロンドンのバス運転手が重傷を負いながら乗客の救助活動をしたとのニュースに接したとき、尼崎では乗り合わせた通勤中の運転手が現場にいながら上司に電話で指示を仰ぎその場を離れた事実は、職場の下級職員には裁量権がまったく無く、人間としての判断力も感情も剥奪され、ロボットとされているとしか思われません。

電話を受けた管理職は、事故の現場の情報が殆ど無い状態で、本来ならば現場に居合わせた職員の判断を尊重すべきところを、単なる職場の上司の権限だけを行使して誤った命令を下したことは、管理職員として無能なばかりでなく、それを起用している組織の欠陥であると思われます。

乗客が命を預けるのは運転手です。運転手を管理職とし、非常事態では、不適切な指令を拒否できる権限を与える。一方、運転手には上記にふさわしい技量と判断力を備えた人材を養成し、専門職としての待遇をすることが事故の再発を防ぐ人事管理システムの基本であると思います。また、管理職とすることで国鉄時代のような労働組合の台頭を心配することも無いでしょう。

ATC装置や運行管理者との情報連絡機材は必要ですが、これは航空管制システムのような安全運行のためのものです。鉄道の運行管理も、航空機と同様に公共のシステムとして鉄道会社の管理から独立させることにより、多種の交通機関が交雑した都市交通システムを一元的に制御できるのではとの思いがします。また、現実として運転手に商用航空のパイロットのような能力を求めるのは無理という声が聞こえそうですが、では、非常事態にリアルタイムに対処出来る情報収集と判断力を備えた管理システムが各事業者独自に構築可能でしょうか。

尼崎事故の物理的な原因については事故調査委員会の結論を待つ以外にありませんが、当初JR西日本の発表の133km/hで脱線転倒するデータと、最終発表の110km/h程度であのカーブを通過中に非常ブレーキがかかった状況を加えて単純な力学の計算しただけでも、高い確率で事故が起こる可能性が算出されます。力学的に見て非常ブレーキは無条件で安全に寄与する装置ではなく、運転手の判断が働かないところで自動的に、または車掌などが人為的に動作させることの方が、はるかに危険と思います。

 関連して、私が経験した、JR西日本社内に蔓延していると思われるロボット体質を示す資料を同封します。

 もう一つ私の経験を書かせていただきます。 2002年夏(アメリカの9月11日テロの1年後)ロンドンのヒースロー空港で、ターミナル移動するための電車のホームに忘れ物をしました。忘れ物に気がついたのが約3時間後の深夜11時過ぎでした、家内にあきらめるよう言いましたが、よく考えて選んだ土産なのであきらめきれないということで探しに戻ることにしました。幸いヒルトンの空港ホテルに宿泊しましたので空港建物内を歩いて戻れるため、乗車したターミナルまで戻りました。忘れ物は、エディンバラの空港ショップの袋に入れて荷物カートのハンドルに掛けていましたので直ぐ見つかるはずですが見当たりませんでした。ちょうどカートを整理している女性職員がいましたので事情を説明したところ、ついて来いと言って、歩きながら雑談風に忘れ物の形態や内容物、旅行の目的などを聞き始めました。私にはその目的がわかったので、あらかじめ用意していたショップのレシートなどを見せ具体的に説明しました。セキュリティーエリアの入り口で私たちを待たせ中に入って保管中の忘れ物を持ってきてくれました。ここからは私の憶測ですが、制度的には遺失物掛りに保管され、オフィス時間に出向いて正式な手続きをして返却を受けるのでしょうが、この職員は、私たちの事情を考えて自己の判断で処理してくれたものと思います。私たちは返却された袋に危険物が混入されていないか注意深く調べましたが、先方でも内容物を全部チェックした痕跡がありました。セキュリティーの厳しい空港でも、このように職員の個人としての裁量権が認められる管理体制を残しているものと理解しました。ぜひ参考にして下さい。

科学技術は環境を破壊するか

2005/01/27

環境問題を論ずる場面で、しばしば科学技術が環境破壊の悪者として扱われる情緒的な場面が見られるが、これは公平でしょうか。

昨年は世界中で自然災害の多かった年でしたが、人類は気候変動や自然災害による飢餓、疫病の蔓延による大量死など、幾度となく自然環境の変化により、生命の脅威にさらされてきました。自然環境は人類にとって優しいばかりでなく苛酷であると言えます。

今日では、物資の短時間大量輸送が可能となり、災害時でも飢餓から開放され、衛生や医学の発達による知識を社会的に実現し環境を整えることは科学技術なくしてはありえません。

環境問題を人々の寿命で見てみましょう。国家的な規模で、平均寿命が人間の生物学的年齢をまっとう出来るまでに伸びたのは人類歴史上初めてのことではないでしょうか。この事実は、科学技術を社会基盤の整備に取り入れ人々の生物学的環境が良くなった解釈すべきではないでしょうか。

今日、多くの場面で論ぜられている環境問題は、自然科学の知識と分析に基づく予測の問題です。話の”分かりやすさや目新しい話題”ではありません。