コンテンツへスキップ

延命治療 臓器移植 本人の意志と 家族の希望

2012/11/11

今日の朝日新聞(名古屋)の記事 「延命治療せず63%経験」 救急施設本社調査。

全国の救急延命センターで過去1年間に経験した施設の割合は、回答のあった57%の施設の中の63%が ”積極的な延命治療”を控えたり中止したりした経験が6割以上あった。中止や差し控えの理由を複数回で回答を求めた結果では、

① 「家族から本人の希望を伝えられた」: 7割、

② 「数日以内に死亡が予測されると医学的に判断した」: 5割、

③ 「苦痛を長引かせ、本人の益にならないとチームが判断した」: 3割という。

「家族や本人の希望」 があれば延命治療を控える動きが広がっている。 というものである。

一方、21%の施設では、中止を検討したが、「家族の意見がまとまらなかった」との理由でしなかったと云う。

ここで問題なのは本人の希望があっても、家族の同意が要るとしていることである。はっきりした本人の意思がわからない場合、近い家族と相談することは当然であるが、問題は本人の意思にかかわらず家族が拒否権を持つことである。家族についていろいろなケースを考えてみると。かなりの期間同居して看病に当たった家族、同居して日常生活していた家族、血縁関係は濃いが別居していて共同生活感のない親族、これらの複雑な関係の中で、単に家族の同意といっても医療機関で法的に成立しているかどうか判断することが難しい場合があろう。問題点を挙げてみると。 

① 現在、”患者本人の意志” が必ずしも絶対的に優位であるとの社会的合意がないこと。また本人の意思表示の公的な確認システムがなく、本人のメモや家族などの伝言で本人の意志を判断しなければならないこと。

② ”家族” 漠然としすぎていて、決定に関与する家族(親族)の中での優先権、あるいは法的な家族の範囲、また親族間で意見の合意を確認する機関など、明確な社会的合意が示されていなく各施設で判断しなければならないこと。

医療施設は、医学的な判断、医学的倫理については責任を負うべき機関であるが、家族(親族)などの法的な有効性の判断ができる組織ではない。事後に法廷闘争などに巻き込まれる恐れから、医療従事者が患者本人や親身に看病した家族の意思表示を確信しても、それを最優先に実行できない実情がみられる。

この問題が単純ではないことを具体的に考えてみよう。 <長期間看病した配偶者が担当の医療チームから医学的終末期を告げられ「本人の苦痛を思いやり」延命中止を申し出、医学的にも妥当と判断して死亡に至った>。 しかし、直後集まった遺族がその事実を知り、直系でありながら同居したり親密な関係になかった一部の親族から血縁のない配偶者が責められる場合があろうことは容易に想像できる。配偶者自身も迷いがありながらの決断を全員で支持されないことの精神的負担を考えると酷である。

2005年から2007にかけてわたくしがニュースなどに関連して調べるなどした関連ブログのリンクを下にリストしてみた。

末期事前医療指示書 国立長寿医療センターの例 «   2007/5/25

延命中止 終末期医療に関するガイドライン «   2007/4/10

終末期ガイドライン «   2007/2/16

岐阜県立多治見病院の倫理委員会英断 «   2007/1/9

病院倫理委員会の判定を県の役人が否定 «  2007/1/8

終末期患者の医療に関する要望の確認と、患者の人権を尊重した医療の実現 «  2006/11/2

終末期医療と死亡選択遺書について «  2006/10/31

延命治療 «   2006/4/22

尊厳死・安楽死・QOL・Living Will «  2006/4/2

また起きた尊厳死問題 «   2006/3/27

財産分与に関する遺書のように 「死亡選択遺書」 ともいえる法律的に有効な意志の記録システムの確立が望まれる。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください