閣僚会議の議事録を残す残さないの議論 この国の法整備はどうなっているのだろう
4月4日の朝日新聞に、大飯原発の再稼働に関する閣僚会議で議事録を残す残さないで閣僚の意見が分かれたとの記事。
公務員が公務中に行った仕事や議事の記録は、関係した公務員の私物ではなく納税者のものであり、勝手に破棄すべきものではないことは誰が見ても明らかである。こんなことが議論になること自体がおかしいし、法律で保存義務が課せれれていないとすると国家組織としての重大な欠陥としか思えない。
厚労省の年金問題を始め、記録が勝手に破棄され不明とされた事件は数知れず報道されているが、破棄した組織や関与した公務員が違反で起訴されたニュースを見たことが無い。
これは法律が無いからと見えるがどうなんだろう。
全ての記録を保管したら天文学的な量になるとの声が聞こえてきそうだが、紙のプリントで保管することしか頭にないのではなかろうか。
現在世界中で電子的メモリーに保有されている情報はどれだけの量になるか想像もつかないほどである。
私がアメリカで働いていた1960年代、図書館には35ミリのマイクロフィルムに保存された文書記録が分類され分散して配布されていて、閲覧やコピーが出来るのが自慢の施設であったことが思い出される。
学術論文などは1970年代には現在のインターネットのように検索して見ることができるデータベースが構築されていた。
これはニューヨーク州立大学での話だが、管理職に配属されている秘書は、管理職当てに来た公的な手紙や文書は秘書が開封し、分類してコピーが必要な書類はコピーして保管すべきファイルに分散収録していた。ボスは、秘書が整理した文書を見、必要なサインをするなどの事務処理をしていた。当然秘書は専門的な教育を受け資格を持った職業であったようだ。
日本の政治家の公的秘書はどんな専門的な資格を持ち、公務員としての基本的義務を課せられているのだろうか。どうもボスの楯のように見えるのは事件の報道のせいだろうか。