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ノーベル物理・化学賞の快挙

2008/10/09

昨日から新聞の見出しやテレビ各局は、受賞者3博士のインタビュ記事で満杯だ。本年度物理学賞、日本が独占のニュース。また、遅れて化学賞に下村脩博士。こんな嬉しいことはない。

日本の中学生高校生に希望とあこがれが生まれ、勉強の動機を与える様になればなによりの贈り物と思う。

60数年前、湯川博士の受賞に励まされて、日本の貧しい時代の若者が日本を立て直そうと自然科学の勉強に励んだ時代があった。今回の受賞者はその時代の研究が発端となっての成果である。

根拠はないが、同世代を生きた我々にとっては、今年のノーベル賞委員会は1950-70年代の日本の科学研究の歴史をまとめた象徴的な演出のように読めなくもない。この時代、目覚ましい日本の科学技術の発展期、その中でもこれを二つの時代に分けることができると思う。

南部、下村博士に代表される第一世代は日本の最貧の環境で研究成果を挙げその能力を買われて研究環境の良いアメリカに渡り研究を続けた頭脳流出の時代。

第二の世代は60年代後半から、まだ大学・大学院の研究環境は劣悪であり、おまけに一部の活動家による暴力的な大学紛争が起こり、大学のキャンパスは激動の時代で大部分の学生は勉強に意義を見いだせない時代であった。ただこの時、大学の理工学系では学部や研究所の増設が始まり、大学や研究所に人材の需要が生まれ人事の交流が本格化したことが研究環境を変え、国内でも研究活が続けられるようになった。また1970年に入るとアメリカの経済状態が悪化、大学でも学部の廃止や研究費の縮小により外国からの研究者の招聘の余裕が少なくなった。小林、益川博士はちょうどこの時代の学者と云えるかもしれない。

益川博士はテレビインタービュで、英語嫌い、パスポートを取ったことがないとメディアに芸人並のサービスをされているが、これを本気に受けては大間違いである。自然科学の研究では、最先端の研究コミュニティーに仲間入りすることは不可欠で、そのほとんどは英語の論文で占められている。1960年代に入って日本ではやっと、主な大学や研究所では世界中で重要視されているこれらの学術雑誌を揃えられるようになった、そんな時代でもある。現在のように、誰でもインターネットで大量の論文が読める状況ではことさら英語のままでの速い内容把握力は不可欠である。

1980年代、科学を否定し、非生産的なマネーゲームに浮かれ、破堤した日本社会、これを契機に、若者が日本を立て直すのだと奮起してくれることを期待したい。

政治家の水をかけるようなコメントでわれわれの知的文化の盛り上がりとプライドをぶち壊さない様に願いたい。

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