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延命治療

2006/04/22
生死の決断、家族に重く: アスパラクラブアンケート 「読者1万人の声」
 
人口呼吸器を外した行為に関し、朝日新聞は多方面からの特集記事を連載している。上記の見出しは4月22日のものである。
結果は、88%が「自分は延命治療を望まない」 回答者は、10代から80歳以上まであり、そのうち60歳代以上が18%で、高齢者ほど、この割合は大きくなる傾向、ただし家族の場合は70%に下がり、やはり高齢者の場合は家族にも延命治療を望まない傾向が強くなるというものである。
しかし、この記事で重要なのは、仮想の質問に対する回答分析ではなく、実際に治療中止を承諾した親族の苦しみである。これは、自分の決断の迷や、罪の意識ばかりでなく、親族間の意識の相違に原因する悩みである。親族と言っても、患者と日常生活を共にしたり、親密に対話することの無かった人たちは、患者に対する思いやりより、自分中心の考えに陥り安い。
また、「延命治療の拒絶」要望書が例に挙げられているが、病院など医療機関にしてみれば、これが本当に患者の自筆のものかを判断できない。遺産相続争いのように、時間の制限無く専門家を雇って法律で解決するのとはわけが違う。
先ず必要なことは、”一度始めた延命治療を止めるということは”、延命治療を始めるかどうかを決断する出発点に戻ったことであり、”延命治療を止めたことが殺人に当たらない”と言う統一的理解を社会的に確認することである(最高裁判所の判断などで)。
医者が言う、「一度延命治療を始めたら止められませんよ」と言うのは論理的に誤っている。それだったら、延命治療をしないことが殺人になることになり、延命治療をするかしないかの選択の余地は無い。延命治療は医者の治療義務と言うことになる。
ただ、一度延命治療を始めたら、それを中止する場合手続きが必要であろう。以前から、何度もふれているように、最低限社会的に必要な制度として、裁判所や、保健所などの専門的な公的機関が関わって、延命治療を始めない(中止する)に至った経過の記録を保管する制度が必要である。
 
訴訟が起きてから、検察が不完全な記録を掘り返し手続きの欠陥を指摘し、罪人を作る、しかも裁判は時間の制限無しに5年も10年もかける、これでは医療機関が萎縮して本来の終末医療を行えないのは当然と思う。 (4月27日補足)

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