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地球温暖化と人間活動

2019/10/15

今回の台風災害、多くの人々が地球温暖化に関係づけ、それぞれの思いで心配しているのが実情であろう。国連の環境問題会議でも現代のエネルギー政策、化石燃料の燃焼による大気中の二酸化炭素濃度増加による温暖化が次世代以降の人々に及ぼす責任問題として議論されました。

今朝の私のブログ表示リストから、10年余り前に書いた下記の記事を開示していただいた記録を見、改めて読み返してみました。

リサイクル と エントロピー

2008/01/28

このところニュースで製紙会社の古紙再生混入率の不足が会問題になっているが、何か古紙を再生することが無条件に環境に良いことだという迷信に基づいて語られているようだ。ここで見えてきた問題は、科学的根拠無しに資源のリサイクルを強要すると、総合的に見た場合、資源の無駄遣いになるという恐れがあるということである。その一つの表れとして古紙を混入した方が製品のコストがかかるという製紙会社の言い分で、これを単に製紙会社の利潤の問題ととらえるのは間違いである。古紙を再生するためにはエネルギー資源の投入が必要でそのコストの方が大きいということである。現在利用可能なエネルギーのほとんどは化石燃料の燃焼による二酸化炭素放出の代価として得られるものだということを合わせて考えるべきである。

エネルギーの概念は物理学で明確に決められていて、エネルギーの総量は増加も減少もしない不変であるということがこの宇宙の基本原理である。でもわれわれの日常社会では、エネルギー消費という表現が実感として受け入れられている。 このことはどこから来るか? 同じく物理学の概念であるエントロピーと合わせて考えていないからである。 エネルギーは状態に変化を与える原動力であるが、変化を繰り返す度にそれに関与したエネルギーの属性であるエントロピーが増大するというのが物理学の法則である。言い換えれば、エントロピーはエネルギーの変遷の方向と能力を知るために導き出された数値で、この値が大きいということは、すでに使い尽くされたエネルギーということになる。これを社会の価値観と関連させてみると、価値のあるエネルギーは、エントロピーが小さく多様な変化を起こす能力を持つものであり、このエネルギーを利用するとこれが消費されて、エントロピーの大きい価値の低いエネルギーに変わるということである。

エントロピーの増大しきったエネルギーは、使い道がないばかりかそれを捨てなければ糞詰まりになって活動が止まってしまう、これはごみ問題と同じである。これを地球環境でいえば、太陽エネルギーという比較的エントロピーの小さいエネルギーが、気象現象をはじめ生物の活動などいろいろな活動を経て使い古され、温度の低い(エントロピーの大きい)エネルギーとなり地球の温度を上昇させることになる。この使い古されたエネルギーは赤外線となって絶え間なく宇宙に捨てられているから恒常的な活動の継続が保たれているのである。地球環境問題はこのエネルギー収支の関係に依存している。

では、なぜ資源のリサイクルにはエネルギーが必要かを考えてみよう。 エントロピーの概念は物質資源についても拡張することが出来る。このことを金属資源について見てみると、経済的価値の高い資源は純度の高い、言い換えればエントロピーの小さい工業原料である。これらの資源が消費活動によって分散されてしまうと金属そのものは無くならないがエントロピーが増大し、そのままでは利用価値がなくなってしまう。このことから、物質の拡散の度合いをエントロピーで表すと、資源についてもエントロピーの増大法則は成り立つ。したがって、このエントロピーを再び減少させることを我々はリサイクルと云っていることとなる。しかし、宇宙の法則は、物資資源とエネルギー資源のもつエントロピーの合計は増大する方向にしか働かないので、物質資源のエントロピーを減少させるためには代替えが必要である。これがエネルギー資源であり、エネルギー資源のエントロピーを増大させることの代償で物質資源のリサイクルが実現出来るのである。 

一般的にはリサイクルをすればするほどエネルギー資源が必要であり、現在はそれを大部分化石燃料に頼っているので二酸化炭素の放出が増大するということである。このことを古紙再生問題について考えると、森林資源の保全か化石燃料の消費のどちらが重要であるかの選択である、これはそう簡単な問題ではない。しかし、電子製品に使われている稀少金属のリサイクルについては明らかに化石燃料より貴重な資源であることからリサイクルが必要であるといえる。

このように、地球環境とリサイクル活動は切り離せない関係にあり、これは総合的な自然科学の理解とデータに基づいた科学的根拠で行われなければ効果はない。一部の職業的環境活動家や、マスメディアに動かされたり、あるいは、単に 「良いことをしたい」 というだけで安易に環境問題に貢献していると思いこんでする行動が結果的に意図しない反環境問題にならないとも限らない。科学的根拠の乏しいリサイクル法がその一例とも云える。

以上

思い返してみると、私がブログを始めて最初に投稿したのも環境問題の難しさに関するものでした。

科学技術は環境を破壊するか

2005/01/27

環境問題を論ずる場面で、しばしば科学技術が環境破壊の悪者として扱われる情緒的な場面が見られるが、これは公平でしょうか。

昨年は世界中で自然災害の多かった年でしたが、人類は気候変動や自然災害による飢餓、疫病の蔓延による大量死など、幾度となく自然環境の変化により、生命の脅威にさらされてきました。自然環境は人類にとって優しいばかりでなく苛酷であると言えます。

今日では、物資の短時間大量輸送が可能となり、災害時でも飢餓から開放され、衛生や医学の発達による知識を社会的に実現し環境を整えることは科学技術なくしてはありえません。

環境問題を人々の寿命で見てみましょう。国家的な規模で、平均寿命が人間の生物学的年齢をまっとう出来るまでに伸びたのは人類歴史上初めてのことではないでしょうか。この事実は、科学技術を社会基盤の整備に取り入れ人々の生物学的環境が良くなった解釈すべきではないでしょうか。

今日、多くの場面で論ぜられている環境問題は、自然科学の知識と分析に基づく予測の問題です。話の”分かりやすさや目新しい話題”ではありません

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