終末期医療 透析しない選択肢
終末期医療について。人口透析治療の中断に関する問題で「透析をしない選択肢」を病院側が提示したことに関しメディアの議論を呼んでいる。
私は、終末期医療に関しその決定は患者本人の意志に基づく人権尊重が紛れもない基本であると思う。人生は本人そのものであり、家族といえども口を出す権利はない。まして医療当事者であったチームや病院など医療管理組織の責任回避により判断されるべきではない。
議論の中心になっている本人の意思確認に、家族や担当の医療チームの話し合いを重視するのは不合理、不適切である。特に家族に責任を投げるのは無責任である。患者本人の意思確認が不明確または困難なら、家族やかかわった医療チームを除き、全く患者と関係のない総合的医学研究者組織の主導のもとに確認し、その過程の記録保存としての機能を裁判所に任すべきであろう。これはすでにアメリカの一部の州では法制化されている。
メディアには出てこないが最も大きな弊害は、末期患者医療や高齢者保護施設の関係者なら少なからず体験していると思うが、問題なのは家族である。特に患者の介護にあたっていなく、同居していない、患者の苦悩も親身になって実感した事のない親族。彼ら自身のうしろめたさと代替に延命治療を主張する場合があるはずである。
日本で見られる、個人の意思を尊重することに薄弱な文化?から、患者本人も終末延命医療中断理由に「家族に迷惑をかけたくない」を挙げる場合が多いことが考えられる。自分自身の「苦しみから解放されたい」「人生の尊厳を失いたくない」を理由にすることを躊躇する風潮があるのではないだろうか?
世界の法律の歴史的主導国オランダでは、患者本人の医学的理由を根拠にした「自死」の確認を裁判者が行い個人の意思尊重を最優先の社会制度を実現している。
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