私のブログ投稿7年余り、 参照いただいた月間表示数の総括
2011年3月11日、東京電力福島第一原子力発電所のメルトダウン事故からの放射能災害が発生した年。放射能汚染に関し収集可能であったわずかの公表データーベースから私が分析投稿した幾つかの記事の積算参照数は現在までで1万表示あまり、1投稿タイトル当たりの参照数は130。1か月あたりの参照数の最大値2011年4月はいまだに破られていません。
ワードプレス・ブログに書いた2010年9月からの月毎表示数をグラフにしてみました。
特に、政権によって公表禁止にされたSPEEDIデータ。隠される前、最初の数日間に残されたデータからの私の関連記事は、4月には最も多くの人に関心を持っていただきました。
下に、放射能災害発生から3か月間、私のブログタイトルの表示数トップ10を表示しました。
当初福島県の放射線監視点では停電と通信回線の切断のためデータは表示されませんでした。茨城県日立市を取り巻くモニター群からのデータは健在で、そのデータで放射能漏れを推定するしかありませんでした。また、アメリカの友人からはヨウ素剤を飲んだかと言ってきました。ニューヨークタイムスは、日本で秘密にされ禁止された原子炉からの放射線漏れグラフを当初からインターネットに表示していました。当時、日本の内閣スポークスマンは「直ちに危険になる放射線漏れはない」との無責任な弁護士の広報の繰り返しだけでした。
科学的な情報がない中で、4月には私のSPEEDIEの記事が最も多く表示されたことがわかります。現在までの集積表示数は1240あまりです。
しかし、この局地的放射能強度の推定に重要な根拠となるSPEEDIEが禁止され、モニタリングポストの限られた地点での平均値の公表のみになりました。広域の平均値が居住者個人の放射線障害には何の根拠にもならないことを理解できない政府行政責任者の弁護士的責任逃れの発表ばかりでした。地方の独立機関の発表は禁止された様でした。
メディアもこのような被災者個人の健康に関する医学的な記事を取り上げることなく、行政側の目線での情報だけでした。
以後、私が力を注いできた高齢者道路交通事故関係のブログ記事では、総計2万6千余り表示いただきました。1タイトル当たりでは125件程度です。