”高齢者は歩行者に優しい運転者” 警察庁のデータベースから。「高齢者は危険運転者」警察庁のフェイク・キャンペーン、この証拠は何処にも見られない
2017/07/26
e-Stat政府統計の窓口より警察庁のデータベースを基に分析した。
下のグラフは、高齢運転者の関与した責任が重い死亡事故件数を日本の交通社会全体から見たものである。
このグラフは、2016年中の全運転者の第一当事者が関与した事故死亡事故件数の総数3,016件を母数にした高齢者の分類に用いられる幾つかのカテゴリーの年齢層区分の類型別死者数の割合である。
顕著な事実、高齢運転者は歩行者など人対運転者事故が非常に少ないことである。車両相互事故、車両単独事故は多いものの何れも人口の高齢化率よりは少ないとみられる。
”高齢運転者は歩行者に優しい運転者” これが間違いのない現代日本の交通現実。
現時点では高齢運転者が少ないから当然という声が聞こえることは目に見えるが、警察庁のような社会政策に責任を持つ組織の根拠とするものは社会の実勢の事実であり、高齢者の運転欠陥を指摘することではない。
警察庁の誤った認識は、無知からなのか、悪意ある組織権力の動機からきているのだろうか?
2件のコメント
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偶然、貴方のブログを拝読したものです。
私も、日本の道路交通法、道路構造令、その他の交通問題に関心を寄せるものです。
貴ブログに関して一言。「高齢者は危険運転者ではない」との結論ですが、ベースとなっているデータは「死亡事故」件数です。貴 別ブログで引用されている欧州のデータも「fatal accidents」です。
今、小さな事故のデータが手元になく、経験的にしか言えませんが、高齢者の車に同乗すると、判断が遅い、視野・視力の弱体化、手足の技巧性の低下を感じることが多々あります。また、車の傷が多いことにも気づきます。
私の結論は、「高齢者の車は比較的速度が遅いためkilling riskは他の年齢運転者に比べて高くない、しかし小さな事故を起こす可能性は高い」ということです。
私も、これから気づき点をブログ化してゆくつもりです。
例として、日本の信号変換(赤、黄、緑)サイクルは長すぎます。これは、切り替え時に全方向を赤にするたびに、全方向交通が停止するので、その無駄時間を短くするためで、一見合理的なように思えます。
ところが、実際には左右からの交通が無いのに、長い時間信号待ちしている場合が多いのではないでしょうか。これを、空から見れば、長いうどんが道路を移動しており、それが、交差点で渋滞しています。市街中心を1つの閉じた系とし、交通を流体の流れとしてみると、よどんでいる流れをかき混ぜて、切れ切れのそうめんとして流した方が、系への出入りがスムースにならないかと考えています。もし、なにか考えをお持ちならアドバイスお願いします。
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コメントありがとうございました。拝読するのが遅くなり失礼しました。
ご指摘の通り死亡事故に偏った分析であることはその通りです。日本のデータベースは総合的なものとしては、e-Statの警察庁発表に限られていますので限界がありますが、軽い事故のデータについても調べようと思っています。
信号についてですが、ご経験がおありと思いますが、信号交差点主流のアメリカ、カナダでは多くの州で、いわゆる「左折保護信号」サイクルが取り入れられ、反応の遅い運転者の安全に配慮しています。また信号灯は各分離帯毎にその前方にあり、直感的に見間違えようがありません。一方通行道路と見間違えるような紛らわしいこち向き車線用の信号が反対車上にはありません。
交差点のない所でも、煩雑な商業地域の道路では左折専用車線が設けられているところが多く、反応が遅く視野の狭い運転者にも配慮されています。
ヨーロッパはラウンドアバウトが一般的で、交通の流れ制御として合理的のように思います。もっとも、道の狭い旧市街地では信号燈は決まった位置にあるとは限らないようですですが。
流体(粉体)の流れ理論については私には見識がありませんが、自動車専用道路での渋滞に応用した研究を見たことがあります。市街地でのシュミレーションに期待します。
いずれにしても、信号管理が警察庁の絶対的な権力のため硬直化し、運転者が無理を強いられている結果の事故があるように思います。
コメントをお待ちしています。
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