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学童の登校悲劇 どうして車の無かった明治時代の徒歩通学に固執するのか?

2016/07/01

通学交通事故を運転者の責任だけにする社会。

このような事件が起きると運転者だけの責任とされ、交通安全インフラに責任を持つ関係官庁は知らん顔。それを許す社会。

見たところ信号はもちろん、道路標識も速度制限通行区分標識、通学路標識もない通学路。こんな道路を通学路に指定している無責任さ。これは道路交通省・地方公安委員会(県警)・自治体の責任だろう。

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書きたくないが、アメリカでは通学はスクールバスによる。下の写真は公立学校の場合。私立学校では両親など保護者が車で送り迎えする。

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スクールバスが乗降中は、ストップサインが出されすべての車は停車して待つ義務がある。

道路を、学童が通学のために集団で歩行することはないにもかかわらず、学校が近づくと標識があり、速度制限が明確に示される。

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20MPHは時速32km/h

日本でも、幼稚園や保育園はバスや保護者の車で通園している現状を見て、義務教育の学童のバス通学が不可能という理由は見当たらない。

世界に類を見ない日本の美しき伝統ならば、通学専用道路を作るか、通学中は車の通行止をしてから言えることでは。

運転者を自殺に追いやるような、恐怖による規制システムでは、社会が車依存の交通であるかぎり100年たっても学童の事故は変わらないだろう。

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