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科学に対する懐疑主義 科学的証拠に裏付けされた理論を疑うのはなぜか?

2015/07/21

人が何を信じるかを決めるのは”ムラ”の心理かも知れない。

科学を疑う ナショナルジオグラフィック日本語版 Joel  Achenbach.pp106-123. 3,2015.

この記事を読んで私が興味を持った語句を列挙してみた。

「科学とは、わたくしたちの信じているものが自然の法則に基づいているかどうかを判断するための手法である。」

「直感が招く誤った確信」「素朴な確信」 私たちは無意識に直観にしがみつく。

素朴な確信が頭をもたげるのは、わたくしたちが統計ではなく個人的な体験や伝聞に頼るときである。

「確証バイアス」わたくしたちは、自分の先入観や持論を裏付ける証拠にばかり目を向ける、このことは、科学者でも陥りやすい弱点である。

「科学の成果は常に暫定的で、その後の実験や観察によって覆される可能性がある」

科学者は「完全な真実だ」とか「絶対に真実である」などとはめったに公言しない。

「科学者は懐疑心と競争心が強い人々なので」、誤りを発見すれば喜び勇んで指摘するはずだ。

「科学は真理を見出すでしょう。1度目は誤るかもしれません。2度目も誤るるかもしれません。それでもいつかは真理に到達するはずです」

「メディアはこうした{地球温暖化の}懐疑論をことさらに取り上げがちだ」

科学知識が豊富な人ほど「科学知識の力を借りて自分の先入観を強める傾向にある」

「人は集団に属する必要があります。その思いが強いために、集団の価値観や意見は常に科学を打ち負かすのです。」

「ある人々にとっては真実よりも自分が属する”ムラ”が大切だが、科学者にとっては真実のほうがはるかに大切だ。

科学ジャーナリストもまた、帰属する集団に左右されている。

私たちが科学を信じるのは、「もろもろの証拠を真に評価をしたからではなく、科学者たちに近親感を抱いているから」。ダン・カーハン、エール大学

「ケーブルテレビとインターネットは、自分が好む情報だけをフィルターを通して提供してくれる」

「科学的な手法は教わらなければ身につかない。」

人間の社会は今、急激な変化にさらされています。「誰もが疑問を抱き、問いかけるべきです、ただしその先の検討は科学的に行うか、科学手的な手法を使える人に託すべきでしょう」

以上

”証拠のある話 常にデータ(証拠)を求める文化に向かって” のサブタイトルで書ている私のブログの考えからは、

    「わたくしたちが何を信じるか」は、大したことではないようにも思えてくる。との締めくくりには私は同意できない

    ただし、極端な”ムラ”社会日本には当てはまる話ではあるように思われる。

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