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ニュースメディアの責任 誤報記事より記事にしなかったニュースの検証こそ重要である

2014/09/21

朝日新聞の誤報記事、ほぼ意見が出尽くしたように見える。

ここで見落とされているのは、誤報記事ばかりではなく、記事にすべき事件であるべきなのに記事にしなかった事実の検証である。ニュースメディアでは、報道にすべき事件を故意に外したことも誤報と同様に糾弾されるべきである。

朝日新聞の謝罪では「皆様の信頼を傷つけた・・」と言っているが、現代では、世界のメディアやソーシャルメディアの情報がインターネットで簡単に手に入る時代、朝日新聞の記事だけを信頼して購読している人はどれほどだろうか。実態を無視した思い上がった錯覚だとすればそれこそメディアの資質がないというべきであろう。

特に重要なのは、東京電力福島原発危機発生当時、日本のニュースメディアは談合したように、政府や東京電力のプレスリリースだけを報道し、ジャーナリズムのかけらも見えなかったことである。

状況的に、日本政府や東京電力しか持ちえないデータの一部を根拠とした記事がニューヨークタイムスやヨーロッパの学会誌に記載されているにもかかわらず。日本のメディアは知らなかったかのように記事は皆無であった。海外の支局に人材をおいているはずの大手メディア、世界の主要なメディアの日本批判記事を知らないはずがない。

当事国日本のメディアは、外国メディア以上に根拠のある取材をして世界で信頼されるレポートをする義務があった。政府や東電の秘密主義に阻まれて正確なデータが得られない、外国のメディアは無責任というならば、外国のメディアにどんなルートでデータが流れたのか、それともまったくの捏造なのか、そこを粘り強く取材し報道しなければニューメディアとしての責任を果したとはいえないはずである。

日本の法律には、言論を弾圧する法文は無いはず。大手メディア幹部のサラリーマン化、事なかれ主義、ジャーナリズムの精神を捨てた無責任な自己規制(大手メディア間の談合)による結果と見るべきであろう。

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