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原爆投下から68年 いまだに放射線障害を理解できない政治権力者たち 「福島第一原発事故では死者は一人もいない」

2013/08/11

都市に原爆投下を決定したトルーマン大統領 、1945年7月の原爆成功で、すさまじい熱線と力学的破壊力を聞いて究極の破壊兵器として理解したことは疑う余地もないが、後遺症としての生物学的放射線障害について理解していた証拠は見られなく、全く無知であったことは想像出来る。

放射線障害については、1926年には、夜光時計の文字盤にラジウムを塗っていた女子作業者が再生不良性貧血、 1927年、マリ-・キュリーに師事しフランスへ渡っていた日本人物理学者の山田延男が帰国後間もなく放射線障害と見られる症状を呈し死亡した。1929年には骨肉腫の発生などが報告された。1930年頃までには放射線障害について各種症例は確認されていて、ナチスドイツのヨーロッパから英米に亡命した原子物理学関連学者間ではその危険性は十分知られていた。そのうえで彼らは原子爆弾製造をナチスドイツに先んじて成功させ、抑止力としての必要性を米英の最高権力者に進言した。

ルーズベルト大統領政権下、1941年12月18日 – 核分裂兵器開発の決定。1945年4月ルーズベルト大統領の死亡により副大統領であったトルーマンは大統領に就任、7月に原爆の成功を知る。時を同じくして、戦争に勝てないと判断した日本政府は、7月12日、ソ連にいる日本大使(佐藤尚武)宛に、ソ連に和平の仲介を依頼する特使を派遣することを知り、トルーマンは、核の力を見せつけることでソ連を抑止できるという考えから日本に原子爆弾の投下命令を最終決定したと云う 。

一般市民の密集している都市に原爆を落とすことに、実戦経験を持つ将軍たち(マッカーサーも含む)は全員が反対意見を具申している。アイゼンハワーに至ってはスティムソン陸軍長官に対し「米国が世界で最初にそんなにも恐ろしく破壊的な新兵器を使用する国になるのを、私は見たくない」(1963年の回想録)と。

以上はウィキペヂアの記事から要約してみたものである。 http://ja.wikipedia.org/wiki/ハリー・S・トルーマン

これが、人類の歴史において、原子力エネルギー関連の政策に、科学的知性の欠如した権力者の誤った決断の重大な災害の始まりで、半世紀を優に超えた現在も東京電力福島原発事故で見るように、日本政府の対応に続いている。

「直ちに健康被害は出ない。 将来も???」 何度も聞いた記憶!

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