言葉だけの氾濫 検証可能な根拠(データ・エビデンス)を求めない文化の欠陥
2011/07/17
今朝の朝日新聞のレポートによると1955年原子力発電の導入に当たり、政府が派遣した海外事情視察団代の報告書が原子力推進に都合のよいように改変されていたたと云う証言。
言葉だけで纏められ、検証可能な証拠の参照を必要としない政府報告書様式。これが、事実とは無関係に、このような当初からの意図に沿った報告書を捏造することを可能にすると云うことであろう。
官僚主導の各種委員会、報告書のストーリーは最初に作成されていて、それに沿って委員会組織や人選が行われ、視察や会議は一種の儀式である。たまたま委員の中から根拠のある反論を出されると混乱となり、このことは担当事務当局の行政能力の欠陥と評価されるだけで、官僚組織は何とか取り繕って当初の目的を遂行し様とする。
現在でも見られるこんな構図が、原子力発電の導入時からあったと云うことか。
初代原子力委員会、ノーベル賞受賞者湯川博士始め著名人や当時の革新系団体の指導的人物を入れ、特定の政治的勢力の弱体化を図るとともに、責任を分散することでともかく見切り発車ができた日本の原子力発電事業の歴史を垣間見るようだ。
1950年~1970年、権力に反対することを職業とする団体が、政治・社会の間のみならず、学界や革新系学者・学生にもはびこり。まともな議論が出来ない社会情勢であったことも歴史的事実としてあり。原子力発電の推進派にとってはやむを得ない工作ではあったことを理解出来ないわけではないが。
今回の東京電力原発災害、これは国際社会の問題である。インターネットによる世界中の情報が錯そうする現在、60年前と同じように根拠を示さない「言葉選び」だけでことを収めようとする政府の時代錯誤が日本を世界から疎外させる元凶となろう。
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