証拠をもとに予測をする文化と 証拠は責任追及や犯罪追及のためとする文化
2011/03/18
何を言っているのか分からないと言われそうだがあえてこの表題にした。社会の行動を決めるとき、下記のどちらに重点をおく文化かと云うことを考えてみる。
① 証拠に基づく予測をする文化: 自然科学は過去の情報の数値的分析に基づいて(法則)、将来の予測を確率的(数学)に把握しそれに対処する文化。
② 証拠とは、犯罪や過失を証明する情報: 責任追及ばかりでなく、経済報道などでしばしば見られる、証拠を結果の解釈(解説)に使う後ろ向きの情報として利用する文化。
これは云いたくない分類だが、②の代表が文系社会文化と言える。
今回の東電災害にもこの文系支配の文化の特徴が顕著に表れている、検証可能なデータを即時出さず、後に責任を追及されないよう社内で精査した情報だけを一日遅れぐらいで出す。広報は事実の発表より言葉遣いや、責任を追及されなよう「思います」「見られます」「危険な段階にないと認識している」など曖昧にし、謝罪も社長など幹部の個人が頭を下げるだけの形式的なもので、組織としての社会的責任や補償を約束してしているとは思えない。
マスメディアもこんなイライラする公的情報だけを当然のごとく平気で報道している現状が理解できない。偏見かも知れないが、これも文系汚染としか思えない。
やっと政府が動きだしたように見えるのも、菅総理がオバマ大統領と電話会談をしたとの報道があってからのように憶測される。トップ会談は別として、公的ルートまたは個人的を問わず、日本政府の対策(報道メディアも)に国際社会からの非難が押し寄せて来ているのは明らかだ。本当に残念である。
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