敬老の日に想う
今から30年ほど前、1980年代に纏められた将来の高齢化社会に関する総合的な本 ”Productive Aging: Enhancing Vitality in Later Life” 日本語訳「プロダクティブ・エイジング」岡本祐三、編者:ロバートバトラー他を読んで。
1974年「老後はなぜ悲劇か」”Why Survive? Being Old in America” の出版以後、アメリカでは制度的に大きな変化が生じ、国立老年研究所での研究の主題を「プロダクティブ・エイジング」に向けられるようになったと云う。年齢だけを理由にした職業選択差別の違法性が認識され始め、たとえばニューヨーク州政府職員の定年制は無いと聞く,私の知人は78歳、ニューヨーク州立大学の現職教授である。このような活動は、1981年以降、世界規模の医学研究者を含めたセミナーが毎年行われるようになり、また国連高齢者問題会議も開かれるようになった(1982年ウイーン)。
このような国際的な研究者によるセミナーが30年近くの歴史を持つことを私はこの本で初めて知った。
この本は現在アメリカ、日本とも絶版になっていて、中古本は出版当時の価格の3倍ほどで流通していて入手困難である。しかし、メディアや、高齢者問題に関係する機関関係者、官僚には読んでもらいたい。
日本の高齢者人口は、すでにこの本が編纂された当時の将来予測に到達し,世界で最も高齢化が進んでいる日本であるが、現状を見ると、政治、マスメディアや官僚など社会の指導者層が、高齢者問題に関し、この様な国際レベルの総合的研究の成果を認識しているとはとても思えない現状を実感させられる。30年前の社会通念と変わらない、高齢者を「依存」「介護」「社会コスト」と云った類型的な社会の負担としか考えていないように見られる。高齢者の能力や人権について思いのおよばない思考力の欠如はどこから来るのであろうか。世界の研究の状況や提言を知らない不勉強による知的能力の欠如としか思えない。
その証拠の一つとして、今日は「敬老の日」だが、地方の行政機関では、税金の支出で高齢者に食事を提供したり、はなはだしいのは市長が描いた”書画”など個人の慰みものを税金を使って送りつける、高齢者なら十把一絡げで感激すると思っている権威主義。どこかタガが外れている。
高齢者は、固定資産から収入を得たり利殖を望むことの出来ない今日の社会情勢にもかかわらず、財産を所有しているだけで、毎年高額な固定資産税を強いられている、地方税の高額負担者である。
行政が本当の意味の”敬老”行事を援助するつもりなら、その行事は高齢者自身がイニシアチブを持つ企画にすべきであり、高齢者の社会参画を求め、高齢者の知的能力を発揮できるような組織にするべきである。現在の日本の高齢者は、敗戦による社会資本ゼロの遺産を受け継いで、高度成長期の日本の経済発展に寄与した世代であり、国際的な競争社会の外国社会で活躍し、日本の経済力ばかりでなく文化的な水準を外国に知らせた国際人もたくさんいて、それらの人たちの提言や、助言は現在の日本のおかれた状況に貢献できるはずである。
極端な言い方をすれば、高齢者は自己制御の不能な若い世代のコントロールで生きる存在ではない。朝日新聞の声の欄を読んでもわかるが、70歳以上の高齢者の投稿が圧倒的に多く、しかもその内容は、マスメディアの画一的で時流におもねる論調ではなく、独自の人生の体験から生まれた、証拠に基づく建設的なものが多い。
今までに何度も書いているように、高齢者の人権無視の典型は、警視庁の自動車運転免許制度の極端な例せある高齢者マークの強制、「高齢者運転が社会に危害を与えている」と云う、日本をはじめ先進国のどんな統計的根拠にも見られない「うそ」を根拠に、高齢者の交通権をコントロールすることの人権違反に気がつかない知的レベルの低さ。
警察庁が指摘する間違いは、現実の社会では、高齢者運転者と壮年者とは運転の実情が異なるにもかかわらず、同じ運転条件の仮想的な比較を根拠にしていることである。この場合、当然高齢者は身体的なハンデキャップのため運転の欠陥が見られるこは事実である。だが、それだから高齢者運転が社会に異常な危害を与えていることにはならない。この証拠は、以前のブログで何回も証拠のデーターソースを挙げて書いてきた統計データに表れている。高齢者は、自身の生活の質の維持のために自制心を働かせて、より安全な道路状況や、天候、昼夜などの条件を選んで運転している。このことが、高齢者層が他の年齢層に比べて社会的に責任の重い運転事故率が大きくないばかりかむしろ小さいことを統計的に実証している。
このような実際の運転状況を考慮しないで、年齢区分により、有料で、自動車学校の旧式なゲームセンターにあるような機器での検査を義務付け、若者のデータと比較し運転の欠陥を指摘することには何の効果的な価値も無い。有職期間を含め40年50年大きな責任事故もなく経験を積んだ運転者は尊敬されることこそあれ、犯罪予備軍のように扱われる証拠はない暴挙である。天下り企業の自動車学校、若者の減少による経営保護に高齢者ビジネスを加えたと云われても仕方ないだろう。
日本にも、時期を失した感はあるが、政府の各省庁の利害から独立し、世界の機関で引用されるような研究論文を発表できるレベルの総合的な高齢者問題研究所が必要であろう。