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鉱山事故に見る民主化の定着した国家チリ

2010/08/30

チリ大統領エドウィン

チリの鉱山落盤事故に思う。

連日33人の生存者の救出ニュースが世界中に報道され、それで見る限り、閉じ込められた遭難者や家族が政府の救出に期待し、楽観的な様子がうかがわれる。

これは、普通のことのように報道されているが、今日でも多くの国々では、政府や軍、基幹産業が関連する重大な事故が起きた場合、軍や警察を派遣し徹底的に報道管制を敷き、人命の救出が可能であったかを含め政治・経済的利害で決定され、事故の全容が不明のまま終息となる実例は少なくない。地下鉱物資源が基幹産業であるチリ、安定した民主主義の社会が確立した証拠と見られるがどうだろう。

チリでは、悪名高いピノチェト軍政権から平和的に1990年3月、文民政権に移管しパトリシオ・エルウィンの政権が発足し、民主主義の現代国家になってから20年余りである。

私は、ちょうど1990年の8月、韓国の南極観測基地キング・セジョンの光学研究者指導のため1ヶ月ほどサウス・シェトランド諸島のキングジョージ島に滞在した。この島にはチリ空軍の基地があり年間を通して航空路が整備されているため、各国の南極観測基地があり、空軍がその輸送サービスをしていた。チリの最南端の町プンタアレーナスよりC130で2時間ほどの距離にある南極圏内の島である。

右の写真は、1990年9月、サウス・シェトランド諸島のキングジョージ島の空軍飛行場を視察に来たパトリシオ・エルウィン大統領と空軍基地司令官一行で、右から2人目が大統領、3人目が空軍基地司令官である。基地司令官の紹介で大統領が私に握手をしてくれた直後に撮ったものである。この時、大統領の帰りの便の飛行機(C130輸送機)に便乗させてもらってプンタアレーナスに帰った。プンタアレ-ナス空港はコマーシャル空港であるが、この時完全に封鎖されていてタクシーなどは無く、空港警備の責任者にホテルまでの交通を頼んだら、出迎えに来ていたと思われる民間人を紹介しくれた。予約してあったホテルの近くで警備線が張られそこから、運転してくれた人とともに歩いてホテルに行き私のチェックインの手続きをしてくれた。このホテルに大統領が泊まることになっていたため警備が厳重であったことが後で分かった。チリ滞在中、国際線空港と、最初空軍機に便乗する時以外、大統領一行と一緒になったときも官憲によるパスポートの提示を求められたことは無い。洗練され行政の安定した国と見た。

もう一度、1994年12月から1月初めまで同様の出張をしたが、社会システムの欧米化が着実に進んで居るように見えた。出来れば再度旅行してみたい国である。

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