政府系研究機関の刊行物 「論文引用状況」
16日の朝日新聞科学欄にトムソン・ロイターのアジア各国の研究論文引用回数の相対化指数(世界平均1.0)の例が書かれていた。それによると日本の08年までの5年間の平均は0.98であるが、自然科学系に限れば1以上であるとのこと、うなずける結果ではある。
今まで何回も書いてきたように、日本の交通関係の政府系刊行物(公益法人を含む)は、殆ど参照文献を引用しているものが無く、あっても、自己組織で以前に発表した報告書や、委員に名を連ねている研究者の論文だけの場合が多く、世界的に評価されている論文の引用は殆ど無いように思う。政府系の文書は、根拠を示さなくても信用されるべきであるとの建前かもしれないが、イギリスのDfT、アメリカのFHWA、国際機関IRTAD、等の政府系研究機関の報告書は、科学研究論文と同様に数多くの参照論文を証拠にして議論を進めている。
私の知る限り、自然科学の分野では、研究費(組織)の要求提案の段階で、世界的に流通している信頼されてた論文を挙げながら、どこに着目して新しい研究の発展が見込まれるかを提案する必要がある。まして、世界の既知の事実の参照なしに研究予算が得られることなどあり得ない。そのようにして成果を上げた論文のみが引用されるのである。
日本の自然科学・工学・医学・薬学系を除く他の分野の政府系研究機関の予算はどんな手続きで決まるのであろうか? 科学警察研究所交通科学部の報告書から見ると、予算を得た機関の存続に都合のような資料のみを用いた一方的な報告書で、悪く言えば「自我自賛」の感がある。当然のことながら、これでは国際的な研究機関に参照されないのは当然であろう。
水俣病や、薬害エイズなどの政策で見て来たように、当時の厚生省の委員の選択が、現役の研究者でなく、原案に賛成してくれそうな管理職経験者(大学や学会)を選び、最新の論文を読んでもいないような人物を審議委員にし、責任のない審議会での発言を行政の原案に対する賛成の根拠としていたからではないだろうか。これが、政策の科学的(医学的)根拠の問題となり、訴訟が長引いたり、覆されるような社会的混乱を招く原因になっている。行政の決定の条件として、検証の証拠となる文献の参照が適格になされ、科学的に適切な審議内容が記録に残されていれば、社会的に行政と司法の二重基準を思わせるような大きな不審問題にはならないだろう。
日本では、管理職は偉い人との認識が強く、これらの経歴を持つ人物を並べれば信用の裏付けになる風潮がある。しかし、管理職は”組織運営の技術者”としての職種であって、総合的な判断力の優れた人物と云えない場合が多い。管理職経験者は、議案提案者の意向が手に取るように分かるので、人選を誤らなければ、都合のよいように会議を進めてくれる人材と云えないだろうか。