運転免許制度に関する考察
数日前の新聞で民主党の事業仕分けの対象に、教則本の印刷が特定の天下り会社の利権になっていることを問題にするとの記事を見た。これは自動車運転免許制度からみて本質とは程遠い些細なことである。もっと基本的な不合理、我々市民に異常な支出を強制する非常識な自動車運転免許管理の利権構造を指摘すべきであろう。
自動車先進国の常識から見た場合、日本の際立った不合理は、始めて運転免許を取る時の経費である。若者の初任給の2カ月分以上の経費をかけなければ運転免許を取れない不思議な国は日本だけのように思う。民主主義国の先進国でこんなに経費がかかる自治体があったら教えてほしい。
日本で個人の自動車交通が始まった1960年代末の社会情勢は、各家庭に車がなく、親族に運転免許を持った者が殆どない時代、自動車学校の車を借りて、教習員に運転を習うのはやむを得ない状態であった。それを50年たった今も続ける合理性はどう考えても理解できない。
現在、大都会はいざ知らず、始めて免許を取る若者の家庭には、最低でも一台の車はあり、運転免許を持った両親や祖父母、兄姉があるのが普通の時代に、なぜ個人の使用可能な車や、運転経験の長い家族などの指導での運転練習が禁止されているのか。
欧米の各国では、ペーパーテストに合格すれば、基本的にその地域行政区の運転免許を持っている者が同乗していれば、公道で運転練習ができるのが大勢である。最近では、一部の行政区では公的資格を持った指導員の教習を一定の時間数だけ受ける(単位制)を設けているところはあるようだが。
私の知る限り、運転免許を得るまで、自動車学校の車で、箱庭のような教習場で、指導員つききりで高い経費を否応なしに強制されるのは、自動車学校の存続の目的と取られても言いわけの理由が無いように思う。その上、少子化で若者の運転免許取得人口が減り、自動車学校の経営が困難になったからか、高齢者の運転教習を義務化し収入を確保しているとの疑惑を感ずる。
お役人は、言葉でもっともらしい説明をする技術を身につけ、所属している組織の予算や権益を得る専門家であることから、事実の(エビデンス)裏付けがなくても、説明を聞くと尤もらしくすべて有意義のように聞こえる。しかし、欧米先進国、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ヨーロッパの国々では、道路交通法は州などの地方行政区の法規であり、それぞれ交通法規に差異がある。その結果、運転免許行政の違いによる交通事故統計が得られ、科学的研究により効果の評価ができる。事実の裏付けなしに、言葉だけのもっともらしいへ理屈での規制は通用しない。
ヨーロッパでの研究の一例として、免許更新制度の厳格なフィンランドと、終身免許制度のスウェーデンと比べて両国とも運転者の衝突事故率は変わらないが、全体の交通事故死者の数はフィンランドの方が多い[1]。それは運転免許更新の厳格なフィンランドでは高齢者の歩行者が増加したためであるとの結論を得ている。この典型的な例は日本であろう。日本の運転者の事故率は、高齢運転者も含め世界で最も少なく安全なグループに属しているが。交通全体の高齢者の交通事故死者率は50%と異常に高い、これは高齢者の歩行や自転車交通が多いためであろう。
先進国では、同一国内でも州による法規の違いや、特にヨーロッパでは言語まで異なるが、運転免許はどこで取っても、それぞれの国や行政区を自由に行き来出来有効である。
今日、自動車交通は普通の生活の一部であり、一度基本的な交通法規を身につければ終身それで十分であり、日本のように交通法規を猫の目のように変え、講習を受けなければ理解できないようなこと自体が異常であり、無駄の象徴のように思う。
仕分け人に: 諸外国の運転免許取得や、更新時手続きや費用を調べ、具体的に日本の運転免許維持の手続きや経費が異なる理由とその必然性について、証拠に基づいた説明を聴取し公表してほしい。
[1] Assessing the fitness to drive:
この文章はもう少し整理して、e-Gov の意見要望に投稿し様と思っている。
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