「もみじマーク」代替えデザイン公募 ・・・警察庁はなぜこんなことに執着するのか
昨日のニュースで警察庁が今日から老人運転者マークを募集するとのこと。
老人マークを公示して車を運転しなければ罪人にする。このことの人権違反、あらゆる差別を排除する基本理念の憲法に違反する法令であり、無効との疑いで反対するのであって、警察庁の、老人はマークが良ければ喜ぶとの認識には驚く。
高齢者運転が社会に重大な危害を与えている事実があれば、科学的にそれを証明して社会に問うべきで、根拠のない「迷信」で高齢者を差別することは先進国家として恥ずべきことである。
以下に、警察庁発表のデータから作成したグラフにより間違いの核心を述べる。
上のグラフは、第一当事者の10万人当たりに換算した事故件数の年次推移であるが、これを見てわかるように、75歳以上でも(黄緑)30歳以上の運転層よりわずか多い程度である、30歳以下の若年層より(青、赤)より格段に少ない。
よく云われる、高齢者の認知力や運動機能の低下による危険性について見てみるために、事故原因分析についての統計を下図に見てみよう。
このパターンも若年者を除く一般の運転者とほとんど変わらないと見るべきであろう。以上のデータは警察庁交通局交通事故発生データ(2007)から取ったものである。
これからからわかるように、高齢者の運転が社会に危害をあたえやむをえなく排除しなければならない合理的理由は見当たらない。
警察庁がキャンペーンに使っていた日本の恥ずべきグラフを右に示す。
警察庁は、この表で日本の高齢者の交通事故死者は50%近くもあることを強調して高齢者の運転を止めさせる理由にしているが、このデータは道路での事故死者件数であって、高齢運転者の第一当事者のものではない。これは明らかな「うそ」に基づくキャンペーンである。なぜ欧米諸国に比べ日本がダントツに高齢者の交通死者が多いか、高齢者が、より危険な自転車や徒歩による交通に頼っている割合が多いのが一因であると思われる。アンケート調査による不正確なデータであるが、高齢者の交通手段としての自動車の利用は、日本33%に対しフランスは40%である。交通事故死者だけの統計を見ると、高齢者は同規模の事故に対し死亡率が3~4倍高いことも統計的に証明されている。
高齢者にとって、最も安全な交通手段は自動車運転であり、来るべき高齢化時代に備え、高齢者をできるだけ長く運転できるよう社会が支援する研究や交通インフラの整備がが先進国では始まっている。
人口の高齢化が最も早い日本で、高齢者の生活を無視し、高齢者を安全な交通から排除しようとする警察庁とは大きな認識の違いである。
とは言っても、個人差はあるものの、誰でも老衰によりいずれ運転できなくなることは事実で、そのことを知らせ、運転をやめるよう説得するのはだれが良いか。
アメリカの例であるが、警察の関与を望むものはわずか2%程度である。
日本は交通に関しては、民主主義先進国で唯一の警察国家であるといっても言い過ぎではないだろう。
強大な権力を背景に、交通事故はすべて犯罪の結果であるとの原則で、検挙し易い法規を猫の目のように変える。これでは事故防止に役立たない。
アメリカでは交通法規は州法であり、細部は州によって異なる、またヨーロッパでは国や言語までが異なるが、自動車運転は州や国境を越えて運転するのが普通である。日本だけが、頻繁に変更され、講習を受けなければ分からないような交通法規が必要な特別な由がどこにあるだろうか。
つまらない蛇足だが、私はの初めての運転免許は1967年アメリカアイダホ州で取り、ニューヨークに引っ越した関係でニューヨーク州のペーパーテストも受けた。
帰国後、日本の運転免許は、法規や運転試験はすべて免除されニューヨーク州の免許からの書き換えで取得した。これは何も特別なことではなく、現在70歳以上の人ではかなり居るはずである。以来、法規の勉強を特別にしたことは無いが、幸い40年間警察の記録に残る事故を経験したことがない。67歳で定年してから、ヨーロッパ、オセアニア10数カ国で2万キロ以上ドライブ旅行をしたが、各国語が理解できるわけでもなく、法規の勉強もしたことがないがやはり幸運にも事故の経験はない。
以上は、自慢話と思われるかもしれないが、私の考えは、現在の先進国では自動車交通は共通の手段であり、国際感覚として交通法規の基本は個々の国で個別に決める時代ではないと思っている。それが、自己組織中心で命令調の警察庁に強い違和感を持つ理由である。



