日本航空の末路
日本航空がデルタ航空の資本・業務支援を受ける交渉に入ったとのニュース。デルタ航空は好きな航空会社の一つである。右の写真はデルタ航空MD-11のコクピット。名古屋空港からポートランドに向かう離陸準備に忙しい機長と副操縦士、快く撮影に応じてくれた。1999年8月。
今までに各国の政府系と思われるいくつかの航空路線を利用したことがあるが、乏しい経験の範囲ではあるが、これらの航空会社では、組織のご都合主義で、乗客サービスは二の次といった扱いを受けた記憶がある。ただし、シンガポール航空は例外で、一回り前の丑年、初めてシンガポール航空でニュージーランドに行ったが、その機内サービスに感心した。以後十数年来注意して見ているが、常に世界でトップクラスに入る人気のある航空会社である。
今までの経験で最悪なのはイタリアのアルタリア航空であった。ミラノ経由でパリに行ったとき、荷物が到着していなかった。これはよくあることで、正規の手続きをしてクレーム番号をもらいとりあえずホテルに行った。次の朝、ホテルから指定の電話番号で問い合わせてもらったが調査中とのこと。2日目も同様な返事、これでは埒があかないので、直接シャンゼリゼにあるエールフランスの営業所に出かけた(ミラノ・パリ間はエールフランスとの共同運航)。日本の銀行のように番号札をとって窓口から呼ばれるのを待って状況を聞いた、コンピュータの画面を見ながらまだ不明だとのこと。パリの滞在予定期間が残り少なくなるので、次の日も同様に営業所に出かけ強く要求したら、明朝ホテルに送れるだろうとのこと、はっきり約束するかと問い詰めたら約束は出来ないが心配はいらないと思うとの返事。空港まで取りに行くからタクシー代を出してくれるかと云ったらそれはできないとのことで、やむを得ずもう1日待つことにした。翌日夕方やっとホテルに荷物が着いていた。これだけならやむを得ないといえるが、帰国してからインターネットで私の荷物を追跡してみたら、ミラノから数時間後の便で荷物がドゴール空港に到着していた記録が見つかった。私が最初に営業所に出向いた時には当然コンピュータにはこの情報が入っていたはずで不明だというのはうそを言ったことになる。状況的にはパリでの配送システムに遅れが出ていたとみられるが、これらの証拠資料を添付してアルタリア航空に ”うそ” を言ったことに対し抗議をしたところ、最終的に、スカーフや財布など日本円で数万円程度のイタリアのグッズが送られてきたが明確な謝罪はなかった。
オーストリア航空では、機内食が不足したということで希望のメニューがなかったばかりか、日本食と洋食からごちゃまぜにして勝手に持ってきた、欧米の食文化では考えられないことであり、チーフパーサーに厳重に抗議した。偶然帰りの便もこのチーフパーサーのクルーであった。私のところに来て、ドイツ語の書類を見せ、お前のクレームをこのように上司にレポートしたとの説明を受けたがドイツ語でどんな内容であったかはわからなかった。
これらの航空会社はいずれもすでに本国ではなく外国の傘下に入った、日本航空もそれに続くことになろう。
チリのランチリ航空では、正規の通常搭乗券であったにもかかわらず搭乗日の変更サービスに関し不透明で不親切であった。
航空関係に限らず、政府系組織はどこでも、権力側の圧力により、組織内に無駄で無能な管理職が増え非効率になるとともに、顧客サービスに目を向ける余裕がなくなるこによる自滅現象が起こるように思われるがどうだろう。
