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臓器移植法改正案と審議中の国会議場風景

2009/06/17

臓器移植法案審議開催中の国会の様子をテレビで見た。メディアの習性で、視聴者の興味をそそる映像だけを編集して放映していることを割引しても、人の生死に係わる法案の審議の場面とは思えない緊張にかける風景であった。このような高度の知性を必要とする問題に関し、審議する能力も理解力もはじめからない議員が多く、自分の支援団体の利権に係わりのない議案に興味がない。顔が見えない状況でみんなと同じように投票すればよいぐらいの考えであろう、議場は休憩か、雑談の場となっていたようだ。

ただ一つ、議員にとっての難題は、この議案に対しては党議による拘束をかけないということに自民、民主は決めていることだ。法案も4法案同時審議であるようだから自己責任が求められる。議員一人ひとりの投票行動の結果の名簿をリストにして公表してほしい。この議案に対し、無記名投票でなければ公正な議決にならないと云う理由はないだろう。だれにとっても、どの利益団体にとっても利害関係がない、基本的人権に関する問題である。

税金をどう分配するかには無関係な、このような議題に国会議員の大部分の人たちは興味はないし意見もない、だからと云って、すべて廃案にしたり、先送りするのも議員としての無能力さが指摘される。議案は、本来与党の意向にしたがって、各省庁が官僚に指令し一つの法案に纏め、提案するのが内閣の指導力で、今回のように、議員個人の判断を求められるのは迷惑だと云うのが本音の様に見える。

何れにしても、このような問題で統一的な一つの法律を作ることには無理がある。一つの仮想的な方策として道州制が考えられる。各州で法律を決められるとすれば、たとえば、「北海道」州では、年齢にかかわらず脳死を認め、脳死者からの移植を合法とすることが成立したとすれば、移植を望む人は住民票を移せばよい。これに個人の信条として承服できない人は住所を隣の「奥州」州に変えればよい。

この問題に限らず、判断や選択を統一するのに十分な根拠がない問題は道州制の運営により、日本国内でいろいろ実験が出来、結果を事例に基づいて判断し、より適格な法律の根拠を得ることができるであろう。

「実験」とは不見識だと云う言葉尻だけのおしかりを受けそうだが、個人の生死にかかわる医療行為を、「根拠もなしに仲良くみんなで拘束する」この方がよほど無責任と思うがどうだろう。

一つの国の中にいくつかの政府があることをイメージできない人も多いと思うが、1960年代、アメリカでは法的に離婚が認められる条件が州によって異なり、アイダホ州は離婚を認める適格条件の多い州であった。この州の北部、長期滞在するほどのリゾート地でもないコードレーン湖のほとりにモーテルの多い地域があった。その理由は、合法的な離婚のためと聞いた。この州の法律の適用を受けるためには、居住を移してから4週間か8週間か忘れたがある期間滞在しなければならなかったからである。

6月18日追記  上の例は、人の生と死に関する問題とは次元が違うという印象を与えたかもしれないので追加する。

終末期医療と死亡選択遺書について 2006/10/31日に書いた記事で、アメリカの2,3の州の法律を列挙した。このように各州でそれぞれ異なった取扱いをしている。 

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