「警察庁の勇気 高齢運転者標識の表示義務の取り下げ」
強大な権力組織である警察庁が一度言い出したことを事実上取り下げた勇気は称えるべきであろう。
もう一つの懸念は、認知症のような医学的検査を自動車学校で有料でやろうとしているようだ。マークシートを書かせるだけだから医学テストではないと云うかもしれないが事実上は個人の身体機能検査である、自動車学校の教員に医療従事者のような個人の健康データを取り扱う守秘義務の法的整備はできているのであろうか。自動車学校が運転技能の評価をすることを任されているのは、運転技能は訓練すれば向上するからである、身体機能評価とは違う。現代の先進国では、どんな形であれ身体の状態の診断は公的な教育・訓練をうけた医師だけが行える行為である。最近、オーストラリアやアメリカでは、65~75歳以上では視力テストを義務付けようとする州が増えたが、低料金で眼科医の診断書が得られる制度を備えてのことである。なお、運転免許証の有効期間を決めている国の多くでは、インターネットや郵送で更新申請ができ、日時を指定され、仕事を休んで警察に出向き並んで待たされるような日本方式は少ない。ただ、高齢者については、上記の視力検査書と免許サービス課での面接を条件にするところが増えてきたようだが、この場合も個人的に予約するシステムが確立しているようだ。
成人人口のほとんどが自動車運転免許を持つ現在、運転免許業務は行政の市民サービスであり、警察の仕事ではないはずである。共産圏を除く、先進民主主義国家で警察が免許行政を含め道路交通に関する権力を一手に握っているのは日本だけのような気がする。
日本の警察は、多くの国と違い、戦前を含め過去に強力な権力を背景にした暗いイメージがなく、交通行政全般を任せることの支持を得られていることは良いことと思っている。ただ、交通規則が、事故後の処理をしやすいように微に入り細に入り、しかもしょっちゅう変更されている、本来、よほどの交通環境の変化がない限り、交通法規は変わるはずがないものであろう。国際化の今日、法規だけでなく言語の違う国の間でも運転することが当たり前になっていて、講習を受けなければ常識で理解できないような法規は運転者には必要ないはずである。この国際的な現状認識が警察庁に欠けているように思う。
こう書くと、日本は島国で日本人だけが運転しているのでいいじゃないかと云う意見もあろうが、眼には見えないが、日本では空港で車を借りて目的地に行くような先進国では当たり前のビジネスや観光旅行が外国人にとっては非常にやりにくい、極東アジアの国際化が進む中で日本からビジネスが逃げていく原因の一つになることを交通行政にたずさわる責任組織は考えてみてほしい。
こう考えることは出来ないでしょうか。新たに免許証を取得しようとする人は、少子化の影響で少ない。しかし、警察官の定年後の再就職先の一つである自動車学校は変わらない。そこに仕事を廻すために、認知症の検査をやらせる。要は、必要性ではなく、自分たちの都合、それに合わせた施策ということではなかろうかと思います。かれら公務員に共通する考え方、それに尽きると思うんですがいかがでしょうか。
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忘己 疎林 様おはようございます。同感です、この経済不況でみんなが生活の困難に見舞われている現在、不必要な公益法人やそれにつながるグループ企業の存在が日本の生活コストを吊上げていることをなんとか数字的に証明する方法がないか、私個人で出来ることではありませんが考えています。たとえば、付加価値税が20%近いヨーロッパ、所得水準が日本より多くないヨーロッパの一般人が日本より豊かな生活しているように見えるのは国民性のせいだけでしょうか。総合的に政治・政策を考えれば、消費税率を上げたらたらその分単純に生活物価が上がるとは限らない実例と思います。
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