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個人の過失に過酷な責任を負わせる社会制度 これが事故の防止になるだろうか?

2009/04/21

今回のJR名松線の無人暴走事件、同様な事件が以前にも起こり対策を行ったというが、再発したことは事故防止に役立った対策ではなかったと云われても言い訳できないように思う。おりしもJR福知山線尼崎脱線事故から4年目。これも運転手個人の過失で終わりそうに見える。

人間工学で明らかの様に、”人は過失を犯す” という科学的な事実を無視した管理体制、これが一番の誤りのように思う。

こういった単独の過失事件に関し、いつも付けられる接頭語に「単純な」「初歩的な」が云われるが、これが人間の犯すミスの特徴であり、もし単独の過失が起こっても、それだけの原因で事故にはなりえないシステムが導入されていれば、事故の確率は格段に減少する。個人と個人の間で起こる自動車事故においても、多くの場合、一方が過失を犯しても、他方がそれに気付いて事故の回避可能なことは運転を経験した人ならば体験しているであろう。事故は、いくつかの過失が競合した時に起こることが多い。

今回の、家城駅の場合、駅構内の線路が勾配を持っていたと云う、 http://www.labornetjp.org/news/2009/1240240762449zad25714 鉄道の駅構内の線路は水平に保たれていると思っていたのだが意外だった。蒸気機関車のような牽引方式がなくなった今、駅も水平にする必要がないからだと云う。

40年前、アメリカで自動車の免許試験を受けたとき、テキストブックに、歩道が一段高い段差のある市内の坂道の途中に駐車する場合、前輪の向きの切り方について設問があった、上り坂の場合はステアリングを左回りに切る(日本の場合右)、下り坂の場合にはその反対、もし駐車ブレーキの効きが悪くて動き出しても、前輪が歩道の境の高い段差のふちに当たって止まる、二重の安全策のためである。現在のオートマチック車では、パーキングにシフトすれば駆動シャフトが機械的に噛み合い固定する構造になっている。このためシフトレバーがパーキングポジションでない限りキーは抜けないようになっている。これが安全思想である。キーを付けたままニュートラルに放置した場合は別だが。

たとえ、ブレーキをかけ忘れると云うミスがなくても、ブレーキをかけると云う行為だけで安全が保たれるわけではない、同線の以前の同様の事故ではブレーキをかけたが暴走している、その原因は車両の機構的なものとして解明されている。そのためにマニュアルでは車止めを置く規則になっていると云うが、車止めをはずすのを忘れて発進し脱線した事故を聞いたことがある。運転席からは車止めがあるかどうかは見えない。いずれにしてもいくつかの手順のうち、ただ一つのミスが事故につながるようなシステムは非科学的で事故の確率を減らすための役には立たない。

最大の予防策は、投資を惜しまず、昔のように駅構内の線路を水平にすることである。また、運転手がペダルを踏むか、運転レバーを握っていないかぎりブレーキが外れない構造も必要であろう。ただ、ブレーキは万能ではない、ブレーキはかえって脱線を起こす原因になったことは、尼崎事故の場合に容易に推定できる。いずれにしても、人間工学、機械工学、人事管理などから見て組織の欠陥に原因する事故を、運転手個人の過失として処理をすることでは同様の事故を繰り返すだけで、事故の再防止に役立つとは思えない。

この50年、旅客航空機の事故率が圧倒的に減少した理由が、パイロットなどの責任追及でことを納めるのではなく、事故原因の究明に当事者の免責を基本にした情報収集による事実が効果を上げていることを参考にすべきであろう。

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