マニュアル万能社会 個人の判断力を否定することが公平な社会か?
今朝の朝日新聞声の欄に、タクシー運転手が、車いすの乗客をアパートメントの7階の部屋まで送り届けて戻ったら、放置2分間の駐車違反切符が張られていたとのこと、「車いす送迎中」の表示もしていたと云う。大阪市阿倍野区のタクシー会社所長の実名入りの投書を見た。市警などの監督を受けている弱い立場のタクシー会社の管理職が実名入りで投書するのはよほどの覚悟があってのことと思う。監督官庁は、知性と判断力の無い駐車監視員のせいにするだろうが、それを採用している監督責任はどうなるのだろう。また、違反は違反として罰金を取るのだろうか。もしかして、「正規の福祉タクシーでない」「正規の表示ではない」等の、やはりマニュアル一辺倒の難題を持ちだしての云い訳が聞こえてくるような気がする。
一方、現在メディアをにぎわしている献金問題で、該当する国会議員は、いずれも法規違反でないと胸を張る。法規は、一種の反社会行為防止のマニュアルと見ることができ、このマニュアルを発議し審査する、超法規資格のある国会議員が、現行の法規違反ではないというだけで免責になるだろうか。法規は、国会議員の云う”国民”に適用されるもので、国民の上に君臨する資格を与えられた国会議員諸氏には十分な責任基準ではないことに気付くべきである。
疑惑の議員さんに一言! 議員辞職をし、ただの”国民”になって、現行法規の下の裁判で無罪を勝ち取ってはいかがでしょうか?
エピソードを一つ: これは40年ほど前、アメリカワシントン州東部、スポケーン近郊の道路での話。空港に知人を送るためにスピーディングして走っていたらパトロールカーに止められた、事情を話したら、俺に続けと云ってサイレンと赤色灯をつけて猛速で空港までパトカーが先導してくれた、無事友人を送って駐車場に戻ったら、待っていたパトカーから降りてきた警官がお前にはチケットをやらなければ、と言ってスピード違反切符を切ったと云う。これは実際に経験した本人から聞いた実話である。古き良き時代の田舎での話ではあるが。日本でやったらその警官は首になったであろう。