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ワインが気持よく飲めなくなってしまった

2009/02/19

中川昭一氏の泥酔記者会見がちらついてワインが美味しく飲めなくなってしまった。

こんなことは、国際社会での、日本の指導者階級の知的レベルのイメージダウンに比べれば取るに足りないことかもしれないが。余命の少ない後期高齢者の私に取っては大きな問題だ。きざな表現で気が引けるが。

お酒、洋の東西を問わず食文化の発達した社会では食事の一部分と云っても良いだろう。私たちモンゴール系は北ヨーロッパ系の人種に比べアルコールを飲めない人の割合が多いのは事実だが、日本ではアルコール飲料を飲んでしてはいけないのは自動車運転だけだろうか。警察庁は、世界に先駆けて、お酒を飲んだ運転者ばかりでなく、同乗したり、お酒を提供した者まで有罪にする国柄である。政府の要人は公用時裸の王様ではない、官僚のサポートが付いているはずだ、酔っ払いの記者会見を面白おかしく(言い過ぎか)止めようとしなかった同行官僚も道路交通法ならば同罪にされるであろう。

私の経験上の解釈だが、飛行機では、個々の乗客に対するアルコール飲料をサービスする量は、客室乗務員の判断に任されているように感じている。それは、一度に提供する量はワイン、カクテルならば必ず1グラス相当量、ビールならば小缶1個である。その代り、客室乗務員の判断で乗客個々の酔い具合いを判断し、泥酔していなければ何回でも無制限に提供してくれる。

一般に、欧米では、ビジネス昼食でもアルコール飲料を取ったからと云って非常識ではないが、公共の環境では酔っ払うことは許されない。酔っ払いが許されるのは、自宅や、酔っ払いが集まる仲間同士のパーティーや酒場のみである。泥酔がはっきり分かる状態で公道を歩いても有罪が普通である。今はどうか知らないが、40年ほど前には、カナダのある州では、自宅でお酒を飲んでいる場合ても、公道から見える窓にはカーテンを引いて見えないようにしなければいけない法律があったと聞いた。

日本の飲酒に関する政治風土は欧米と違うと云うならば、世界に向かって、泥酔は要職者のストレス解放の有効な手段で、許されるべきあると云う医学的根拠を示して説得してはどうか。笑われっぱなしではあまりにも情けない。

次元の違う話だが、思い出すのが、1972年イスラエルのテルアビブで日本赤軍の乱射事件後、1976年モントリオールオリンピックの前後、ニューヨーク州から車でカナダに入国するとき、それまでは車に乗ったままパスポートをチェックするだけであったのが、オフィスまで同行を求められ、係り官がパスポートを持って奥に入りしばらくして入国が許された。おそらく写真などをチェックしたのだろう。

飛行機やレストランなどで日本人がお酒を頼んだ時、不愉快な対応にならなければ良いが。

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