鳥越俊太郎さん 早いご復帰を希望して
癌は病気の中では幸運な病気であると思います。逆説ではなく、病気と診断されたときは正常であり、回復するにしても回復困難である状況にしても、自分の命を認識できる事です。その上、残された時間に余裕があることです。我々は例外なく死が訪れることは誰でも知っているが自分のこととなると実感がないのが普通であろう、そしてそれは突然やって来る場合が多いと思います。こんなことを書けるのも自分が癌を発症し転移癌の治療も経験したからです。それと、昨年までに、お世話になった方、友人、知人、何人かの方々と癌が原因でお別れをしたこともあります。
わたくしの場合ですが、癌と診断されて最初の手術を受けてから14年余りになりました。当時の常識では、癌と診断を受けた場合、不治の病として、残された人生の選択にいやおうなく直面することになりました。現在では、癌は他の病気と同じように、治る病気でもあり、治らない病気でもあると云う認識が一般化してきています。いまだに、メディアでは「癌の告知」、「癌との壮絶な戦い」といった特異な病気であるような表題を見ることがありますが、私には違和感を強く感じます。ここで私の経過を書いてみます。
初めて癌が発見されたのは、1994年12月でした、この年12月末から2週間ほど南極半島の先端にあるキングジョージ島の研究所に出張する予定があり、長時間の飛行機旅行に備え、持病であった痔の出血を止めておこうと診断を受けました。内視鏡検査を受けることになり、痔の診断用の設備であって癌を想定していなかったのか、私も診断中ファイバースコープのモニターの映像を同時に見ていましたので癌の典型的な映像をいきなり見ることになりました。当時、癌の診断を患者に知らせることはしないのが常識でしたので、非常勤の若い担当医師には責任上からか動揺が見られました。生検資料を取ることの承認を求められ、また、手術になっても最近の術法では肛門を残すことの出来るぎりぎりの深さにあるからと慰められました。院長に会うかと言われたが生検の結果が出てからにしました。
映像の写真のコピーをもらって、長野県臼田町の佐久総合病院の外科の専門医に診断してもらいました。結果、翌年1月、帰国後に手術を予約しました。南極出張は万一のことがあっても承知の上ということで了解してもらいました。途中ニューヨークのJFKで研究プロジェクトの主任責任者である教授に会い、状況を話したところ、自分も癌の治療中であることを打ち明けられました。残念ながらその方は一昨年癌で亡くなられました。
帰国直後入院し、1995年1月26日に直腸低位前方切除の手術を受けました、幸い最初の診断通り肛門は残りました。
2回目は、1997年5月、肝臓への転移が見つかり、二人の専門医の診断を受けました、CTスキャンの映像では、手術で取り易い箇所の転移ということでは一致していましたが、術後抗癌剤供給装置を埋め込むかどうかでの意見で分かれ、抗がん剤を使わない判断の佐久総合病院の先生の手術を受けることになりました。術中肝臓に直接超音波検査を行う方法で、血管造影のCTスキャンで見られなかった転移が見つかり、それを含め肝臓の1/3を切除されました。
それから10年余り、2007年に肝臓癌の担当医であった先生と初めて夕食を御一緒する機会があり、明かされたことで、術中に見つかった転移の部位は当時生存率の低いとされた場所であったということでした。すべて知らされていたと思っていたが、やはり当時の医療常識であったのでしょう。
現在、この癌は一応終息したとみられるが、数年前より前立腺癌のマーカーであるPSAの値が6~8ng/mLの間にあり、要注意圏内にあるが、前立腺癌の場合、早期発見が統計的な延命率につながるという確たる証拠が出ていない今、積極的な治療はしないで様子を見ることにしています。
私は手術以外には、抗癌剤も食事制限の指示もなく、仕事も続けられ、生活の質を落とすことなく過ごしてこられました。これは幸運なことと思っています。また、癌と壮絶な戦いをしたという意識は持っていません。
おまえはたまたま治ったからそんなことを言っている、正直ではないとおしかりを受けるかもしれませんが、病気中に仕事が出来たり治療の方法や時期をある程度自分で選択できる病気は少ないのではないでしょうか。