裁量権の認められないマニュアル社会は果たして公平であろうか
全日空の搭乗システムのコンピュータトラブルのニュースを聞いて思い出したことがある。
約30年前、アメリカでは航空サービスのシステムはコンピューター化されていた。現在に比べコンピュータは技術的信頼度が低く、いろいろなサービスの場面でコンピュータダウンにより少々お待ちくださいと云った場面に直面した。
ニューヨークJFKについて国内線搭乗カウンターに行ったら長蛇の列、仕方なく並んで待っていたら、幼児を抱いてあわてた様子の若い日本人の夫婦が私を見つけて駆け寄り、これでは予定の飛行機に乗れない、初めての留学で予定が狂うと目的地に行くのにどうしたらよいかわからなくなり不安です、どうしたらよいでしょうかとた助を求められた。
そこで、ついてきてくださいと云って、ファーストクラスの搭乗手続きデスクに案内した、そしたら私はエコノミークラスだからとしり込みされたのでかまわないと云いながら、係員に事情を説明したらすぐ搭乗手続きをしてくれた。搭乗券を渡されたとき、その若い人はファーストクラスの料金が必要かと思ったのか、ポケットから分厚い札束を出して係員に必要な差額を取るよう渡そうとしたので周囲の人とともにびっくりして早くしまい込むよう注意した。非常に感謝されて、お礼をしたいからと私の住所を聞かれたが、それよりも楽しい留学生活を送ってくださいと云って別れた。
当時、アメリカで3年ほど生活した経験から、組織の中で働いている職員でも、本当に困っている人には、自分に許される範囲の裁量権を使って便宜を与える傾向があり、特に組織の中で地位が高い人ほど裁量権の範囲が大きく便宜が得られやすいことを経験していた。
それに比べ、組織の運営マニュアルどおり、私情をはさまず、無機的に仕事をする事だけがはたして公平かとの疑問を感じた。
日本でも外国人には些細な規則にとらわれず便宜を払っているかもしれないがどうだろう。