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定年制と年齢差別

2008/06/17

先週日曜日、ニューヨーク州立大学の物理学教授夫妻と食事した。1931年生まれ(76,7歳)、年齢による定年制はない、現在大学院生博士課程の指導している。専門は相対論などの基礎的理論物理学、国際的にもこのような分野の研究者は少なく、特にアメリカではそうである。

では、ニューヨーク州立大学は老教授ばかりになってしまうのではないか。大半の教授は60歳前半で退職しているように思われる。高齢者が退職する条件には健康ばかりではなく、研究生活を続ける意志や能力、専門分野や職種、大学での必要性など、さまざまであり人によって異なり、退職の決断は本人により行われる。

大学といえども組織体であり、管理者は人事権を持っている。高齢による能力低下なども当然重要な人事要件である、そのように判断した場合、本人に客観的判断を促すことも管理職の仕事である。しかし、年齢で一律に退職する定年制は差別の一種であり基本的に認められないということである。

それでは不公平ではないか、75歳以上でも現職の人を見れば65歳の自分もあと10年居る権利があると思う人が多ければ成り立たない。日本では定年制が運営されているのはそう云った理由からであろう。

1970年代アメリカの経済状態が悪化し大学でも財政難になり、外部からの研究費を獲得したり、奨学金を持った学生を集めることのできない教員は困難な時期があった。上記の教授の専門分野は、当時のアメリカでは重要視されず、研究費はおろか、殆どの学生に興味がなく、大学では不利な立場に置かれていた時期があった。ヨーロッパの学会で評価されていた彼は、大学で国際学会を主催するなどして管理職に認められ学内での安定な地位を確立した。冷戦の終結により、この分野の研究者の多い東ヨーロッパが自由になり、また、アメリカの大学も安定したこともあって、彼は専門分野で貴重な教授として評価され、年齢を根拠に彼を引き下ろすことが出来なくなったと云うことである。

現在日本の社会問題の混乱の原因である年齢での差別、高齢者医療問題や、高齢者を自動車交通から排除しようとする警察官僚の立案による道路交通法、あるいは、高級官僚の早期定年が原因の天下りなど、あらゆる差別をなくそうとする先進国の国際的努力に反するものと云えよう。

国際的な圧力により身体障害者の差別が徐々に撤廃されてきたように、国連の勧告を何回も受けない限り差別を人権問題として認識しない日本の指導層の教養の低さが情けない。

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