Shared Space の Philosophy : 共有空間の文化的認識
2008/05/17
日本語では「哲学」は学問の分類名として狭義に用いられ、「あなたの哲学は?」と云ったように日常会話で用いられることはないが、英語圏では個人の考えや行動のよりどころとなる信念や論理的前提等を尋ねる時に用いるようである。この様な意味で、信号や標識のない道路空間(Shared Space)が成り立つための条件を考えてみた。
1. 交通事故に対する基本的な考え方: 事故は互いに不幸な災難であり、誰でもがいわゆる加害者にも被害者にもなりうることを前提とする。
2. 市街交通では、歩行者や自転車、バイク、車の利用者が互いに相手を認め合って(eye contact)行動をする、皆が同じ責任を持ち、交通弱者(強者)といった交通方法の違いの間での敵対意識を持たない理念(Phylosophy)、または、マナーの共有が前提でもある。
3. 反対に、交通規則や規制を守れば事故が起こりえない、事故には必ず犯罪が伴うと云う「神話」を信じている限り通用しない交通法式とも言える。
欧米では、交通規則、規制、道路構造、標識などが州や国で異なり、そういった交通環境の違いの中でで生活している人たちは、些細な規制は安全の役には立たないことを体験している。それに比べ、事件が起こるたびに道路交通法を改正して、講習を受けなければ理解できないような些細な規制を増やすばかりに目が行っている日本の交通管理者の認識(Philosophy)では理解できないことのようにも思われる。
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