防災の日
2007/09/01
テレビをつけたら、今日は防災の日、防災週間と云う。
災害のうち最も被害の規模が大きく、人命が失われ、壊滅的なのは地震であろう。
日本の場合、東京が地震災害に遭ったら、物理的破壊や、人命が失われることだけでなく、金融、産業、学問文化、流通など計り知れない後遺症を残すと思われる。
不思議なのは、これだけ情報通信が発達し、世界の情報がよく知られ、また、外国で知的活動をしてきた経験者が多いのに、一般には、東京一極主義がまるで選択の余地がない様に信じられているのであろうか。
欧米諸国の例を見ると、学問・教育、政治、金融、商業・芸能、芸術などそれぞれが各地に分散していて、そこで活躍する人々は良い環境で生活している。アメリカの様に極東アジア全域に匹敵するような広大な国でも例外ではない。
昨夜も、ニューヨーク市の五番街交差点でニュースをやっているのを見たが、何処か、日本のメディアがずれているような気がしてならない。ニューヨーク市はアメリカの、学術文化、教育、産業、政治の中心で無いことは誰でも知っているはずである。金融経済はここが世界の心臓の様に思われているが、9.11テロ災害の時、拠点オフィスが破壊されても完全に機能停止したのは1日間ぐらいであっただろうか、世界の金融界の大恐慌にはならなかった。これは、コンピュータ時代の今、それぞれのクローンオフィスが、郊外のどこかに在り、リアルタイムで拠点オフィスの作業を追っかけ記憶しているからで、拠点オフィスが破壊されても、人材だけ確保できれればそこから再起動出来るからである。幸い、9.11の場合、早朝でオフィスの稼動前であり、管理責任者の人的被害が無かったからでも有る。
ニューヨークの地下鉄も、貿易センター崩落と共にその下の施設は破壊されたが、総合管制システムが機能して、破壊前に、列車の全線停止を初め危険区域の避難も事前に完了していて、一人の人命も失はずにすんだと言う。
東京の交通に、航空管制システムの様に、JR、私鉄、都営、民間企業を問わず共通に制御ができるシステムは有るだろうか。
首都移転問題は何時しか消えてしまったが、これにかかる費用は、東京の街を災害から守る物理的な防災工事に要する費用に比べればわずかなものと思われるがどうだろう。
現在、この前近代的な構造の東京に回帰の動きが起こっていると言う。日本は、江戸文化といわれる都市中心文化の伝統が生きているのかも知れないが、情報通信、交通機関の発達した現在、どうして蟻塚のような都市に魅力があるのだろうか、合理的な理解に苦しむ。
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まったく同感です。 日本人の考え方は「東京とその他」、という二元主義に囚われており、東京以外を見下すような言動や行動に頻繁に出くわします。そして、悲しいかな、どの街も東京のまねをしようとしているようにしか見えず、実際、地方都市は個性にも魅力にも欠けるように見えます。私の故郷である大阪や京都でさえ、見ていて残念に思えるときがあります(まだましなほうかもしれませんが)。街だけでなく人の心も東京だけを向いています。そしてそれがそのまま日本人の盲目的とも癒えるNYC信仰にもつながっています。NYとLA以外はアメリカと思っていないような狭量な理解が見受けられることが多々あります。
実際にはアメリカやドイツの場合は州への権限委譲が進んでおり、欧州の場合は一つ一つの国がほどよく分散して結果として集中を防いでいます。そこには程よい規模の社会と、ゆとりある暮らしが見られます。妙な中央志向はありません。日本や韓国の異常な一極集中主義は、国が一丸となってまっしぐらに突き進むという前世紀的な成長の時代には適していたのかもしれませんが、国家も国民も成熟した今、日本社会は次の段階に進んでいく必要があるように思います。そのためには、中枢回路がいかれるとすべてが機能停止する前時代的なメインフレームシステムのような社会ではなく、個々のネットワークのつながりが膨大な知を生み出して社会を支える、インターネットのようなウェブ社会を目指すことが解だと信じています。政府はもっと分散と地方への権限委譲を進めるべきですし、地方都市もそれにこたえうる能力と魅力をそなえるようにすべきでしょう。そのためには国民と政治家の意識がもっと高まらねばなりませんね。
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