すべての不信は公文書保全の不備によるのではないだろうか?
2007/07/02
社会保険庁の登録漏れを代表とする、社会の成り立ちの根幹となす公文書記録があいまいな状態で保管されたり破棄されても、誰の責任でも無い社会。これが客観的な記録の保全を重要と考える欧米文化と異なる点であろう。また、記録に基づかない日本の政治家や御用有識者の発言が国際的な問題までに発展する原因ではないだろうか。
最近の例として、米下院外交委員会で、日本にとって不名誉な、「従軍慰安婦に対する謝罪要求決議」が可決された一因として、安倍首相の就任直後の「軍の関与が日本の公式記録に無いから事実ではない」と言った身勝手な理屈が引き金になったと言われても仕方が無い状況である。何度も浮上する南京大虐殺問題にしても、否定できるに足りる国際的に信頼される記録を示さない限り、相手側の記録が間違っていると言っているだけでは信頼を失うだけである。
社会保険庁の問題が端緒となって、都合の悪い記録が「社会に混乱をもたらす」と言う理由で、誰の手かとも分からず抹消され(保管されない)、無かったことにされてしまう行政システムが明らかになった日本で、記録に無いから根拠の無いことだといっても、国内的には押し通せても、国際的には意味の無いことである。
久間防衛庁長官の発言にしても、原爆被害者の立場を冒涜する発言だとか、原爆被爆国の閣僚として不適切だとか、結局謝罪させて取り消させることで一見落着、その理由も「国民に説明不足で混乱を招いた責任」、取り消すより、政治家の責任として、発言の真意を説明する理路整然とした論文を発表すべきではないか。女性は「子供を生む機械」の発言と同じく、地方の支援者の集まりでの発言のようだが、支援者は自分の「票を生む機械」だと思っている、支援者とは、選挙期間中の屈辱に耐え頭を低くして投票してもらうだけの無知な烏合の衆と思っているから不用意な発言が出来るのであろう。
歴史的に重要なのは、原爆投下を契機に日本の当時の一部の聡明な指導者がどのようにしてもっと大きな国民の悲劇を避けて混乱無く敗戦に導いたか、規模としては、原爆の被害に匹敵する東京など都会の空襲に対し一般人の犠牲者の保護を考えなかった当時の強大な権力組織を、原爆被害者の犠牲の事実を受けて、原爆の悲惨な威力を正確に把握し、戦争終結に向け身の危険を押して導いた人たちの使命感と、慎重な行動のおかげで、日本の今日があることを認識すべきであろう。
これらの事実こそ教科書に載せるべき事項であろう。
No comments yet