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ジャズピアニスト秋吉敏子とコンピュータ

2006/12/27
  NHK・FM、 秋吉敏子との対談を交えた音楽番組で彼女の経歴を知った。
特に1960年代、娘を抱えて離婚、再婚、音楽界からも「ちやほや」されることも無くなる。この困難な激動時代の話は特に印象に残った。
1960年代の後半はアメリカ社会の価値観の大変革が始まる 時代でもあった。
1965年彼女は離婚、娘を抱えて夜の仕事も出来ないし、音楽を辞めて安定した職業をと考え、コンピュータのプログラマー養成の募集に応募し、合格して受講料まで納めたという話は特に興味があった。
アメリカでは、1960年代後半にはすでに、コンピュータの事務系への利用の実用時代に入り、コンピュータープログラマーはスマートな職業として憧れと、確実な収入に恵まれていた。このことは、1968年に、ワシントンDCのバージニア側の大規模な住宅開発地を見に行ったことがあるが、最高級の住宅エリアの売約済みの邸宅はコンピューターのソフト開発者がかなりを占めていると聞いた。
コンピューターを動作させる基本ソフトの概念は、この時代に確立されたと云っても過言でないと思う。以後40年の発達は主としてハードウェアーの目覚しい技術開発に伴う応用ソフトの開発と云える。
日本でのコンピューターの社会的利用の時代は、アメリカより30年遅れて始まった。コンピュータをハードウェアーと見ている日本の社会では、あれほど騒がれた西暦2000年問題をプログラマーでも理解が出来ていなかった。
コンピュータ応用の基本概念は、現在70歳代の世代が創ったものであることを日本のどれほどの人が知っているであろうか。
老人はIT技術と無関係と決めてかかる世代の勉強不足を情けなく思う。
アメリカとイタリアのホテルでの経験だが、交通情報を訊ねたら、事務室のコンピュータを使って自分で調べてほしいと鍵を貸してくれた。
日本で、70歳の老人にこんなことを言う発想があるだろうか。
老人世代の無能か、現役世代の無知か?

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

穐吉 敏子あきよし としこToshiko Akiyoshi1929年12月12日 – )は秋吉敏子とも綴る。ニューヨーク在住の日本ジャズピアニスト作曲家編曲家

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