ニュスメディアの責任 尊厳死問題
2006/03/29
尊厳死にからむ事件で、今回の発表は遺族の方々が、おそらく苦悩の末にされた決断であったと思う。正義の行動を決断し、微妙な事情を公表されたことに敬服する。
それに比べ、ニュースメディアが、このような複雑な問題について取材をするときの見識が欠けていたとしか思えない。以下は根拠の無い、しかしありそうな話だが、レポーターが関係者の家族に、街頭か、インターホンで「呼吸器を外すことを病院から聞かされましたか?」といったような短絡的な質問をし、あいまいな返事をされたことに対し「何も知らされていなかったですね」といった突っ込みをして、病院は無断で呼吸器を外し、何ヶ月も隠していた。という安易な報道を仕立て上げたのではないだろうか。
遺族の方々が、思わない事態の発展に悩み抜かれた様子が窺がえる。
27日に書いた心配がそまま現れてきたと思う。このような取材は、人生経験や見識が豊富なジャーナリストが、遺族と落ち着いた場所と雰囲気でじっくり対話して記事にすべきことであると思う。
このような倫理に絡む問題は、談合や、偽装事件のように明らかな犯罪行為とは違うのに、同様の手法で取材していることが間違いと思う。
話は変わるが、承諾書云々と言う意見も出ているが、それがあったとしても、遺族関係者は複数であり、関係者にもれなく承諾を受けたか、承諾書の署名者が有効であったか、などの問題が事後に発生すれば万全ではない。このようなことまで医療機関に責任を負わせるのは実行不可能なことは明らかで、現行の組織では裁判所が対応するしかないと思う。
論理的に不可能なことをほっておいて、議論だけしても何の解決にもならない。
今回は、ご遺族の行動を称えたい。
ただし、メディアはこの事態で終わりにしないで突っ込んで取材する必要はあると思う。現代の社会には、計り知れない背景がある場合もある。
One Comment
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「安楽死」と「尊厳死」の関連、つながりをどう考えればいいのかを考えています。
ややもすると、ほとんど考慮することもなく「安楽死」=「尊厳死」もしくは「安楽死」≒「尊厳死」という認識の下で、いろんな議論が進んでいると思うのです。
それぞれを 分けての議論が必要なのかしれません。
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