在外選挙権の制限 違憲判決
2005/09/15
最高裁の違憲判決判決を受けて選挙法は改正されるのは間違いないが、改正されても在外居住者が実際に投票出来るとはかぎらない。
これは、選挙に限らず、日本社会の基本的構造が、「個人はうそつきで信用できない」 という原則で出来上がっている。したがって申請には証明書や審査申し込みなど時間を要する手続きが必要になる。それらは、ばらばらの役所で出来ていて現実的に実現可能かどうかは無視される。
もう一つ、我々の社会では「慎重」が重視されるが、不作為に時間を費やしてもそれが「慎重」の一言で許される風潮がある。今回の最高裁判決でも国会の重大な怠慢であるにもかかわらず、また、立法不作為の指摘があっても社会に対する責任の追及や罰則を適用されない民事で成立したものある。
しかも、1人あたり5千円の慰謝料、なんと現実離れした単なる法律技術の適用ではないか、我々は最高裁判事には最高の法技術者としてではなく、社会の最高指導者として、現実の社会に適応した法判断を期待している。このことが、形骸化してはいるが、我々が判事の審査権を行使できる理由であろう。
今回の判決で外国在住者に支払われる慰謝料は、日本政府発行の小切手でしょうか、小切手ならば、現金化するのに手数料がいる。取引銀行との信用力の違いで一律ではないと思うが、外国の場合の手数料の金額を誰かに聞きたいものだ。外国政府の小切手を日本で取り立てる場合、その銀行に数千万円以上の資産を持っていれば無料だが、普通の客では5千円程度の手数料を取られる。
民主主義は、政治に対する投票権だけではなく、我々一人一人が市民として信用されることから始まる制度であり、日本では半人前の民主主義といえる。小さい政府、小さい自治体と言われるが、ほんの些細なことでも公機関の証明書を要求される制度が無くなれば、役所の業務がかなり減ると思われる。
自己申告制を原則とし、嘘の申告は受け付けた役所の責任ではなく、反社会的な行為をした個人の自己責任として、重い罰則を適用することで対処すべきである。このような制度で社会を維持している民主主義の国はたくさんある。
皆さんのご意見を聞きたい。
One Comment
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日本の社会システムが個人を信用していないというのは私も折に触れて感じます。日本では個人を子ども扱いしている面が多々あり、過保護なシステムが出来上がっているように思います。特に欧米に住んでみるとその違いが際立ち、もっと個人の責任を重んじ、任せる社会システムにしてもよいのにと思うことしばしばです。民衆を無知な下々の者として見下すようなメンタリティがお役所には残っているのではないでしょうか。選挙権については私もかねてから不満に思ってきたことの一つでした。5年ほど前、イギリスに移り住んだ少し後に国政選挙がありましたが、在外選挙人登録に「数ヶ月も」かかるという意味不明な理由で投票できなかったことを悔しく思ったことがあります。今回の判決は至極妥当なものであり、逆にどうして今までできなかったのかが不思議です。日本よりはるかに民主化が遅れた国でさえ当然のように実現しています。海外に住んでいると「日本の状況が分からず、候補者の主張がきちんと伝わらないので、選択判断を誤る」のだそうです。インターネットがここまで発達した時代、時代遅れの主張ですし、第一人をばかにしています。こういった内向きのご都合主義と民衆を軽んじる風潮、日本がはやく大人の国になることを望みます。
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